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2008年9月30日 (火)

吉松広延先生のこと

夕方からなかなか名前が思い出せなくて苦労していたのだが、当直をしている深夜、患者さんの来訪を告げられてふと記憶が回復した。

そうそう、吉松先生だった。

サメの解剖を習った先生である。サメ専門の漁港が島根県にあるという話を聞きながら、透明な頭の骨を削って三半規管を掘り出していった。その頃の私は不器用だったし、何事も粗雑にやってしまう性質だったから、決して誉められたりしなかった。

それだけだったら、大学に入って初めて出あった学者然とした上品な老人としか記憶していないはずである。

しかし、思い出したい理由があって努力しなければならなかったのである。

格別、親しくしていただいたわけではないが3度ほど印象に残っている出来事がある。

一度は何かの講演か署名の依頼で教授室に行った時のことである。話の中で「私も若い頃は社会民主党に魅かれていて」と先生はふと口にされた。一緒に行った友人M君が「社民はちょっと・・・。僕たちとは違いますから」と非難めいて応えたが、それは明らかに文脈が違った。「レーニンもいた社会民主党ですね」と私が言うと「そう。」と先生はにっこりされた。「共産党と名前を変える前は社会民主党と呼んでいましたよ」

二度目は、学園紛争中の教養部の教室である。いかにも軽薄なヘルメット野郎が教室に入ってきて先生の背広の襟をつかんで「総括してみろよ、お前」とほざいたことがある。私はそのとき教室の後のほうにいた。成り行き次第では突進して殴りあう覚悟を固めなくてはならないと見ていたが、先生が毅然として何か言い返されているうち、そいつは外から呼ばれて出て行った。その後は変わりなく授業が進んだ。

三度目は、私が宇部にある学部に進んでまもなくのことである。2年間の習慣が抜けなくて毎月のように山口の古本屋に出かけていたが、ある日、店に先生がいた。声をかけると、隣の喫茶店に誘われた。「宇部はどうですか、面白いですか」と聞かれて、「全然です」、それよりも教養で習ったドイツ語が面白かったので、その方面を専門にしてみたかったと、そう本気でもなかったことを話すと、「そうでしょう、医学は面白い学問ではない、金儲けにはいいかもしれないが」、君の2年先輩には漢文が好きでたまらず、吉川幸次郎に惹かれて大学を変わった人がいますよと教えていただいた。その話に影響され、その後数年間(ということは学部にいた間は全部)医学の勉強にまともに向き合わない人間になったという次第である。

実は、吉松先生について考えていたのはそういうことが中心ではない。日本のマルクス主義研究者多数を混乱させたソ連のルイセンコ学説を、世界でもいち早く批判した若手生物学者が先生だったことをその後知ったからである。それは中村禎里という人の本の中に書いてあるのだが、先生の周りにいつもあった自由で批判的な雰囲気とそのことは関連している気がする。自分も、その頃の先生の年齢に近づいてきて、先生がどういう人物だったのかだんだん気になってきたのである。

*スターリン主義の生物学への無惨な影響としてのルイセンコ学説はずっと生き残っていていたようだ。ルイセンコの仲間であるミチューリンを担ぐ「日本ミチューリン会」というものがつい最近まであって、学術会議の会員でもあった福島要一という人が会長だった気がする。福島さんは医学連の全国的企画にも呼ばれたりしていたのではなかっただろうか。

そういうわけで、吉松先生の名前を思い出したので今晩ネットで検索したが、ほとんどヒットしない。忘れ去るのは惜しいという気がする。

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