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2008年9月29日 (月)

映画「歓喜の歌」、「おくりびと」

秋分の日珍しく何の予定もなかったので、勧められた映画を2本見た。中学生や高校生の頃は3本立て映画をほぼ毎週1回見ていたのに、大人になると、2本映画を続けて見ることが本当に珍しいことになった。

話が横道にそれるが、映画の価格について考えてみる。学食のうどんが25円だった頃、場末の洋画屋は入れ替えなどもちろんなしで150円だった。今は入れ替制で1800円。今、うどんが安いところで250円くらいとすると、それほど映画は高くはなっていない。古い映画を3本立てで上映するというスタイルが、TVや貸しビデオの出現で消滅したというだけのことである。そういえば、ビデオだったら1日3本見ることくらいは普通にある。世の中はあまり変わっていないところもある。

さて「歓喜の歌」は地方の映画館の特別企画だった。(それくらい、宇部に来る映画は限られている。)立川志の輔の新作落語が原作で、どこをとっても、落語で演じている場面が透けて見える。では、合唱の部分は?実は落語でも、女性コーラスが登場するということである。

公民館の主任に左遷された公務員の描き方を初めとして、類型的な人物描写が多いのに文句を言うのは野暮だろう。リアルさを追求した映画ではないのである。決まりきった類型を動かしてどう面白い話の運びにするかということに勝負がある。しかし、パートで働く女性を中心にしたコーラス団についてはどこか身につまされるリアルさと希望が表現されている。いやみのない佳作。

「おくりびと」は評価と反発が半分づつというところ。

年間死亡者数が100万人を超え、20年後くらいには160万人になる。世の中が葬式で満たされるという時代、葬儀をテーマにした映画が増えるのは当然のことである。医学部卒業生が年間3000人時代から8000人になると若手医師を主人公にしたTVドラマが増えたのと同じ。

この映画は風景や音楽が美しいし、納棺の作法も様式美が発揮されていて、観客として満足させられるところが多い。

どうかと思うのは、いくつかの場面設定の不自然さである。たとえば、死後2週間して発見された老人がいれば、まずは警察が関与して、場合によっては解剖される。いずれにしても葬儀屋さんが真っ先に処置に当たることはないように思える。また最後のシーン、生別した父親が死亡して再会するとき、すでに横たえられている人の手の中に思い出の小石が握り締められている。どうしてそういうことが可能なのだろう?その石を身ごもっている妻の腹に押し当て祖父の心の何かを伝えようとするのもあまりに感傷的だ。

結局は、本木、山崎という男優の魅力、また決して悪い意味ではないが、折り目正しい古い生活習俗への回帰への憧れで成り立っているだけの作品のように思えてきた。

あまりに解放された休日をすごしたせいか、翌日から数年ぶりに発熱して鼻がつまり、数日は死んだような苦しい勤務を強いられた。東京か飛行機のなかで感染してきたのかもしれない。

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