« 「地獄を見たから生きてこられた~満蒙開拓団の戦後~」と「エレニの旅」 | トップページ | 地域医療学へのパラダイムシフト »

2008年9月 5日 (金)

「わたしのスターリン体験」~崖の上のポニョ~品川正治講演会

夏の終わりは忙しく、疲労も大きかった。

この間、東京に少し長く出張し、地元にかえって医療生協の理事会を開き、頼まれていた原稿を書き、県保険医協会の総務部会に企画を出し、最新の著作に感心した名古屋の医師に講演依頼の手紙を書いた。何冊か本を読み、レイトショーで安く映画「崖の上のポニョ」を見た。出血性胃潰瘍の一例にてこずった。気持ちの落ちつかない日々だった。最後に経済同友会終身幹事の品川正治さんの護憲の講演を聞いた。

読んだ本の中で印象に残ったのは高杉一郎「わたしのスターリン体験」岩波現代文庫、2008である。(高杉氏はピアス「トムは真夜中の庭で」の訳者でもある。)

実は1990年発刊の岩波同時代ライブリー版で同じ本をすでに持っていたことに後で気付いた。その頃は読み通せずに忘れてしまっていたのだが(同時代ライブラリーの無意味に厚い紙もよくないのだ)、今回は興味深く読み通せた。民族主義について優れた論文を書くこともできたスターリンのその後の変化については不破哲三さんの著作に詳しい解説があり、周知のことではあるが、実際にシベリアに強制抑留された感性豊かな知識人の記録として、この本は独自の価値を持っている。

「崖の上のポニョ」は分かりにくい。フジモトって、加藤登紀子の夫の藤本か?なぜポニョはブリュンヒルデなどというヨーロッパの伝説(北欧神話)に出てくる本名、しかも復讐の女神の名を持っているのか?なぜ、ポニョが大暴れすると月が地球に近づき、引力が狂い、人工衛星が次々落下するのか?説明不足でよくわからなかった。ますます、宮崎ワールドは一人よがりになっているといわざるをえないが(それは福田首相辞任に匹敵するだろう)、嵐のシーンの波の迫力は驚かされた。

品川さんの講演には考えさせられることが多かった。

品川さんの原体験は対中国戦争の前線にあり、そこで見殺しにした戦友の母が、戦後に彼を訪れてきたとき何も話せなかったことが、彼を生涯護憲の立場に立たせた。南方戦線にあって飢餓でばたばた倒れていった兵士たちの戦争体験の前には、自分の戦争体験は語るに価しない微々たるものなのでこれまで語ることがなかったが、戦争体験を持つ人が次々亡くなる中で、自分も最後のランナーとして語らざるをえなくなったとのことだった。

品川さんは、最後に、今、日本がアメリカにノーといえば、アメリカの戦略は変わり、戦争からの危機を遠ざけることができる、そういう力を一票という形で国民は持っており、そして、アメリカに異を唱える根拠こそ憲法9条なのだと強調して講演を終わった。

戦争体験を持っている人は日本ではどんどん少なくなっており、戦争体験の継承が大きな課題になっているが、それは見方を変えれば幸せなことではないだろうか。戦争体験が完全に忘れさられる状態はある意味では私たちの目標である。もちろん、それには、二つの条件がある。第一に日本で再び戦争体験が作り出されないこと、第二に日本の外でも新しい戦争体験が作られないことである。その条件が満たされない限り、戦争体験の風化は許されないだろう。では、戦争体験の継承はこの二者のどちらに重点をおいて語り継ぐべきだろうか。

同じだといえば議論は終わりである。私としては、あえて同じではないと言いたい気がしている。子や孫よりも、同時代の異国の青年の運命に私の気持ちは衝き動かされる。

品川さんの戦争体験によるトラウマは1950年までには終結している話である。しかし、アメリカは太平洋戦争後もずっと戦争をし続け、自国の若者に大量のトラウマを生産しつづけた。アメリカに攻撃された国、ベトナム、中南米諸国、イラクにも大量の戦争犠牲者が作られた。

日本国民が憲法9条を根拠にアメリカの世界戦略を変更させるとき、その未来が変わるのは、決して日本の青年だけではない、アメリカ本国や、アメリカに敵対されている国々の青年の運命に大きな影響を及ぼすのである。

だから、どうしても私としては、後者のほうに大きな意義を感じざるをえない。

|

« 「地獄を見たから生きてこられた~満蒙開拓団の戦後~」と「エレニの旅」 | トップページ | 地域医療学へのパラダイムシフト »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「わたしのスターリン体験」~崖の上のポニョ~品川正治講演会:

« 「地獄を見たから生きてこられた~満蒙開拓団の戦後~」と「エレニの旅」 | トップページ | 地域医療学へのパラダイムシフト »