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2008年8月 4日 (月)

フェルメール展(東京都美術館)

8月3日は会議が昼前に終わり、夕方の飛行機まで少し時間ができたので、炎暑の東京の街を歩いて、上野の東京都美術館までフェルメール展を見に行った。前日8月2日から始まっていたのだ。

実は1時間くらい炎天下に行列を作ることを覚悟していたのだが、拍子抜けするくらい人は少なかった。やはり、猛暑の影響だろう。タクシーを乗りつけるわけにも行かない公園の中の美術館には、猛暑が天敵である

今回、展示されているフェルメール作品は7点。フェルメール前後のオランダ・デルフトで活躍した画家の作品も一緒に展示されている。

ぜひとも見たかったのは「小路(こみち)」というレンガの建物を描いた小品である。これにはやはり感動した。

しかし、今回、私が絵を見るという行為の意味が変わるような作品に出会った。

「リュートを調弦する女」という、保存が悪いことで知られている中くらいの作品である。

リュートというギターに似た楽器を調弦している女性が、ふと窓の外に視線をやった瞬間を捉えているのだが、しばらく見ているうちに、その女性が生きて立ち上がってくるような気がして驚いた。これまでどんな絵を見てもそう思ったことはなかったし、この絵は上にも述べたように保存が悪く、鮮やかな絵というには程遠い。

あまりに不思議だったので、しばらく他の絵を見て回った後、もう一度、その絵の間に立ってみた。やはり同じような気持ちがしてきた。

世の中にはこういう絵もあるのだと、なんとなく打ちのめされた気分になって、美術館を出た。上野公園の高い木立の枝々が作る日陰が現実でないくらい美しい気がした。

ずっと前、山陽新幹線に乗って移動しているとき、列車が岡山に近づいたところで、倉敷の大原美術館のモネの絵の緑色をどうしても見たい気がし始めて、途中下車して出かけたことがあった。そのとき、はじめて本心で絵にひきつけられる自分がいるのを発見したが、それは、美しい風景を見たいと思うのとどこも違いはなかった。

今回のことはまったく違う鑑賞体験だった。

結局、その日は 疲れきって宇部に帰ってきた。

今日になって、画集で見ても、ネットで見ても、その感覚は再現されない。やはり、本物の絵の間に立つことでしか経験できない感覚なのだろう。

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