J.アーヴィング「ホテル・ニューハンプシャー」
4日間のお盆休みの間は、半日直が1回、待機が合計2.5日間割り当てられていた。
待機中、および待機外での実際の呼び出しが緊急内視鏡2回を含め3回あったので、大半は病院にいた。完全な休日は1日もなかったのである。
それはごく普通の日本の勤務医の実情であって、格別ここに書くほどのことでもない。夏休みが取れる医師は少数派なのである。
猛暑の朝、「ああ、出勤したくない」と思いながら起床して、なんとなく覗いた本棚に7,8年前に古本屋で買った上記の2巻の日本語訳が目に付いた。
1988年ごろの発行である。
何回か読み始めたが、登場人物を覚えるのが面倒くさくて30ページとは進まなかった。しかし、この朝は、ぱらぱらとめくって、大体登場人物も覚えていそうで、これならもう一回最初から読めば全部読めそうだ、と 思ったのでいつもぶら下げている袋の中に入れた。
今度は面白い。だらだらと病院にいた2日間で読み終えた。
とても面白かったが、読んだあとは、それほどさわやかではない。なんとなくだまされたような、時間を損したような感じ。
作者も繰り返すように、これは残酷なおとぎ話である。「偉大なるギャツビー」や「ライ麦畑」等に似た手触りをしている。村上春樹とも似ている。
これらに共通するのは、底の浅さと、俗っぽい教訓をたれたがるところである。
これらに比べると、アーヴィングの師匠であるカート・ボネガットはぜんぜん違う。彼には底の浅さを感じさせるところはない。
たとえば、ある労働者の知識や技術が陳腐化して、労働力市場で商品価値のなくなったとき、そんなこととは無関係に、「ただ人間であるというだけでこの世に生きていく権利が彼にある」ということをなんとしても読者に納得させようとする切ない彼の問題意識がいやおうなく伝わってくる。
アーヴィングにはそれはない。
作家としての真贋の分かれるところだろう。
ただし、まったくだめな奴というわけでもない。
「ホテル・ニューハンプシャー」でも、最後のところで、盲目となった父親が(ホテルは病院と同じように人を癒すためにある)と語るところはよかった。
病院も、よいホテルのように患者さんをもてなせればどんなによいだろう、と思って、今日の診察に少し影響があった。
私もずいぶん底が浅い。
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