生協のブルジョワ株式会社化
マルクスもレーニンも協同組合の可能性をさまざまに論じているが、1912年レーニンは第二インターナショナルのコペンハーゲンでの大会で、協同組合への懸念として、「ブルジョワ的な株式会社に退化する傾向がある」ことを指摘している。
現在、私の医療生協の理事会においても定款の改正作業を迫られているが、その理由になっている生協法の改定に私としても若干の危惧を持つ。文字通り、生協と株式会社を近づけるものだからである。
代表理事制になって、理事間の関係が平等でなくなり、理事一人一人を選ぶ選挙がなくなり、理事会全体の選任制になったりという点では特にそれを感じる。
実は制度がどうであれ、民主主義が形骸化するのはきわめて容易である。非の打ち所のない組織図を作っても、そこにいる人次第で非民主的になる例は無数にあるだろう。まして、制度が後退すればその危険は更に大きくなる。
したがって、これまで以上に、すくなくとも理事の任に付く人は運営の民主主義に敏感でないといけない。敏感とは、まず疑問を表明することである。
私に至っては、常時、これでいいのか?という自問を繰り返し続けなくてはならない。
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