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2008年4月21日 (月)

君の「民医連」は幻想ではないのか?

大学を卒業してすぐに民医連に飛び込んで33年目になる。3年目からは、それまで実質上民医連らしい医療機関のなかった県に赴任して、診療所を作り病院を作るという仕事をしてきたが、結局、本当に民医連らしい組織も作れなかったし、自分も民医連医師らしい医師になれなかったという感が深い。

いまいる病院では対患者関係も、対職員関係も殺伐とし、憲法25条・9条を発展させる運動がどこに根付いているとも言いがたい。

すべて自分の責任でしかないが、無駄な人生だった。

そういう風にすべてが見えた朝、ふと、その「民医連らしい」とは何かが気になった。

いったい、私にとって、どんなものが「民医連」的なのだろう?

簡単に言ってしまえば、1970年代後半から82年ごろまでの、北九州の財団法人健和会や、山梨勤労者医療協会で感じた雰囲気がそのすべてなのである。医者になったときに刷り込まれたものを後生大事に抱えて、同じものを身の回りに作ろうとしていたわけである。これは、ほとんど鳥類の巣作りのようなもので、きわめて原始的行動ともいえる。

くしくも、上記の2者は、いずれもカリスマ的な事務系リーダーに率いられて、私が在籍したときに最盛期を迎えていたが、その後、相ついで無謀な経営路線ゆえに倒産し、全日本民医連あげての援助で、長期間かかって再生した。

健和会のリーダーは、私たち新卒医師のオリエンテーションで「思う存分仕事をしてほしい、ほしい機械は言ってくれれば買うし、それで赤字が出ても構わない、たいていの赤字は私がちょこっと土地を転がせば何とでもなるのだから」と豪語した。実際に彼は膨大な土地を買い占めていた。山梨のリーダーも「医師対策とは医者に玩具を買ってやることだ、どんな不満分子の医者でも機械を与えればすぐにそっちに夢中になって黙ってしまうのだから」と嘯いていたようである。

そういうタイプの医療機関において、「患者にはどこまでも親切で、職員同士はあたたかな相互の思いやりに満ちていた」という私への刷り込みは何だったのだろうか?

看護婦長は膨大な患者の生活背景を全て記憶して援助に抜かりがなかったし、検査技師や放射線技師などコメディカルの人たちの、若手医師への親切さは思い出しても涙が出てくるぐらいである。事務幹部も青年医師のことをいつも気にかけてくれていた。

彼らは貧困や病気の社会的原因とは向かい合わなかったが、貧困や病気の結果には真剣だったのである。

辛口にいえば、貧困や病気の原因に向かい合うことをしなかったので、目の前の患者や仲間に皮相な親切心を発揮できたとも言える。

だとすれば、私が何年たってもそこに到達できないのは当然のことだし、たとえ到達しても無意味である。

私が出会って、刷り込まれたのは、農村型の共同体が社会からまだ姿を消していなかった時代の、古いタイプの(巨大な社宅共同体があった)工業地帯、また純然たる農村地帯の民医連のスタイルに過ぎない。

その破綻は証明されている。

そして私の「民医連」像は結局幻想にすぎないものである。

だとすると、私は一つの新しい疑問を提示しなければならない。

そのとき本当の「民医連」がどこかにあったのだろうか?

それには答えようもないが、私の知らない、私の感じ取れない民医連のスタイルが、そのころすでに形成されていて、私以外の人はその道を歩んで今日に至っているのである。

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