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2008年3月14日 (金)

「九条の会講演会」堀田-加藤-小田

べ平連運動と阪神大震災後の被災者救援法制定運動という小田 実の二つの大仕事を取り上げながら、加藤周一さんは、始まってしまった帝国主義的国家間戦争も、突如起こった大地震も、人の力で止めることなどできないと言った。

しかし、その被害者を救うことはできる、それに全力で挑んだのが小田である、と。

それは誰も否定することのできない彼の業績である。

しかし、20世紀後半の戦争形態の主流となったなし崩し的に拡大する戦争は、その萌芽から注意深く追っていけば、市民の声で止めることができる瞬間がどこかで来る。そこを逃せば、けっして止められないものになる。その貴重な瞬間を見逃さない姿勢こそ、実は小田から私たちが引き継ぐものだと、加藤さんは続けた。

堀田善衛の1956年の小説「奇妙な青春」を読むと、戦争をどうしたら止めることができたのかと1947年時点である意味技術的に真剣に考える主人公たちが現れる。「何が出来て何が出来なかったか・・・・。・・・・しかし、もういっぺんしかしだ、果たして結果論か、それはむしろ未来論であるはずだろう」と主人公の一人はつぶやく。

これから見ると、小田に現れた姿勢は小田だけのものではない、それは遅くとも1945年8月以降は、多くの日本人の姿勢だった。小田はその代表者の一人だったのである。

平和運動とは、具体的にいま進行中の戦争や戦争準備を止めるために何をすべきかを見抜く、きわめて実践的な運動なのだ。

       私は3月6日―8日と横浜で開かれた全日本民医連総会に参加した後、8日午後に澁谷公会堂で開かれた「九条の会」講演会に参加してきた。

全日本民医連総会では辻井 喬さんの講演を聴くことができた。内容は岩波新書「伝統の創造力」に沿ったものが多かったが、時局の話題や、1960年安保の総括、中曽根元首相の評価に及んで聴き応えがあった。

総会の全行事を終えて、私としては初めて乗る「みなとみらい線」という地下鉄―東急線の連絡電車で澁谷に行った。公会堂に近づくにつれ、大挙して来ていた右翼の宣伝カーの音が大きくなった。彼らの放つ騒音の中をくぐって会場に入っていくと、この催しがけっして穏やかな文化的な行事などではなく、国政をめぐる一つの激しい闘いなのだということがいまさらながらに感じられた。

「九条の会」が最近作られた改憲目的の「新憲法制定議員同盟」に名指しで対抗されているということは、山口に帰った後の新聞で知った。講演会の最後の演者、澤地久恵さんがそれに触れていたのだが、彼女の前の7人の演者がみな持ち時間を越えて長く話されたので、飛行機に乗る予定のあった私は涙を飲んで途中退席したのだった。

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