安部一成・大江健三郎 最後に柄谷行人
広島の隣の県で医療活動しながら、県内の被爆者も少なくないのに、これまでほとんど被爆者の医療に携わってこなかった。被爆者にも正面から向かい合うことがなかった。それを反省して身近な被爆者からの聞き取りをおそまきながら始めることにした。
高齢化した被爆者に直接接する機会は今後どんどん乏しくなるはずで、いわば今は残された最後の時間と言ってよい。聞き取りができた被爆者の中に原爆症訴訟を起こそうという人がいたら支援したいとも思う。
その企画の準備として、山口大学経済学部名誉教授で、山口県被爆者団体協議会「ゆだ苑」理事長の安部一成(あべかずなり)先生のミニ講演会を2月9日に私の所属する病院内で開いた。
参加者は20名弱とあまり多くなかったが、お話はすっきりとまとまっていてわかりやすかった。「感動をもらいたい人」「勇気をもらいたい人」「なんでもいいからもらえるものはもらいたい人」には期待はずれだったかもしれないが、実際に運動したいものには勇気を鼓舞されるものだった。
安部先生が被爆2世をどうするかが大きな問題と繰り返されたことは今後良く考えなければならないことだと思う。
それから「調査するときやみくもに出かけても得るものは少ない。事前に被爆者の手記を可能な限り読んでおくことが大事だ」といわれた。これは先行調査を丹念に調べてから計画的に始めるというフィールドワークの鉄則そのものだと思う。心して受け止めなければならないだろう。
私は 大学2年の頃に、経済学部の学生から、「ちょうどいま山田旅館で安部先生を囲んで、新年の大学新聞に載せる座談会をしている。医学部の学生もいたほうがいいのですぐに来るように」という電話をもらったことがある。その頃、「安部イッセー」は大学一のスター教授で、出たばかりの新書もよく売れていた。私はそれに気後れして 依頼を断ってしまったが、後々までそれを悔やんでいた。安部先生は、その後革新派の候補として県知事選挙に出ることが取りざたされたが、縁故関係が県の保守政治の中枢に深いつながりがあるということで実現しなかった。私としても接点がないまま今日に至った。今回、核廃絶の問題で協力いただけるようになったことはことさらに感慨が深い。
ここで、話は少し変わる。大江健三郎に関わることである。
安部先生は講演のなかで、「大江健三郎さん」に何度か言及されたが、たとえば雑誌「世界」1995年1月号『大江健三郎特別対談』(相手は安江良介)では、大江の発言の中に安部先生が登場する。
大江:「広島で、僕は調査して帰ってきて食事をして、あとは本を読んですぐ床につくのですが、僕が寝るころから、隣の部屋は緊迫してくる。山口大学の安部一成さんとか、金沢大学の前田慶穂さんとか、大阪市大の宮本憲一さんとか、一くせも二くせもありそうな学問と運動を一緒にやってこられた人たちが集まって大議論が始まる。僕はぼんやり聞いていて、ああ、これは大人の世界だなあと。」
・・・それだけのことを調べようと思って、古い雑誌「世界」を本棚から取り出したのだが、この13年前の対談を読み返すと、大切なこと、面白いことがたくさん現れる。当時はざっと読んだだけだったので気付かなかったのである。文系の雑誌は10年以上寝せておいて読むべきだとするべきかもしれない。
以下に、読み直してここは大切だと思ったところを書き抜いておく。
*(被爆者援護法について新聞記者から意見を聞かれて)私より、いまの段階では被爆者の意見を聞くほかないといいました。そして、被爆者の人は、単に当事者だからいいといっているのではなくて、五〇年間にわたる原爆後の生活が、この人たちをほんとうに思想家にしている。その思想を政治家が尊重しなければいけないと思うのです。
*人間は生きてきた軌跡というものを、最後に思想化するのでなければ、生きてきた意味がないのではないか、非常に単純なことですが、そう思うんですよ。
*イエーツに、自分の人生は終わった、若い人たちに期待するほかないという内容の詩があります。そこにアプスタンディングマンという言葉が出てくる。
日本ではアプスタンディングな人間、すなわちまっすぐ一人で立っていて廉直であるような人間に対する評価がいまなくなってきたのではないか。
*少年たちをみているとそういう人物はいくらでもいますよ。ところが大学を卒業するころになると、なんとなくアプスタンディングなものまで卒業するという感じがありませんか。
*いま日本の思想家で尊敬を持って迎えられている人、たとえば加藤周一さんや吉田秀和さんはみなアプスタンディングな人ですよ。武満徹さんとか、原広司さん、小沢征爾さんなども実にアプスタンディングです。かれらに学びたいし、若い人もかれらに学んでもらいたい。
*(全共闘運動の主な主張の一つが「言葉なんかだめだ」であったことに関して)もちろん僕は、全共闘運動がもたらしたものもあると思う。全共闘運動を経験してきた人で、いろいろな場所で、たとえば地方自治体のなかでいま就職している人たちに会うととてもしっかりしている場合があります。あらゆる運動は無意味ではない。結実はある。しかし、全共闘運動が言葉のつながりを切ってしまったのではないか。丸山真男が愛している言葉、加藤周一が愛している言葉、野間宏が愛した言葉、堀田善衛が愛している言葉というふうに僕は自分をつないでいきたいわけです。そうした生き方の流儀が(全共闘運動によって)切れたのではないか。その言葉のつながりを蘇らせたいと僕は思います。
*自分としては言葉でやるしかない。
*ミラン・クンデラが、記憶するということは、権力に対する弱い人間の武器だと言いました 。記憶によって僕たちは生きている。
広島で何万人かの人間が一瞬のうちに蒸発してしまって、誰も彼らを記憶していないということと、僕たちが一人ひとり記憶されつつ死ぬということはまったく違う。
生き残ったものは記憶し続けることが必要で、僕たちは『あのひと』を記憶するという形で文化を継承しなければならない。
*日本であまり自分が何を海外でやってきたかということを公言しないけれども、柄谷行人という人は偉い人ですよ。日本人の英語でエドワード・サイードというような秀れた人を説得する仕事で活動しています。
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