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2008年2月22日 (金)

FISH!「哲学」批判序論・・・一種のマインド・コントロール自己啓発セミナーの変形

中国からの有害食品輸入でなにかと話題になっている日本生協連の一部会、医療部会では上記のFISH!哲学がもてはやされつつある。

2000年に早川書房から出版された「FISH!フィッシュ!ぴちぴちオフィスのつくり方」(マクドナルドから米国陸軍まで世界中で4000もの組織が本書で成功!)という小さな本があちこちで読まれている。

成功しているのが軍隊やフランチャイズチェーンであることに注目しなければならないだろう。どういう人間関係が背景にある場合にこの「哲学」が喜ばれるかが分かるからである。

(こうしたものを「哲学」と呼ぶのは引用するほうも躊躇するのだが仕方ない)

流行の源になったところは日生協医療部会ではなく、某私立大学病院の看護部らしいのだが、影響はかなり大きい。

私の畏友である医療部会の運営委員長、香川県の藤原先生の「理事長ブログ」をみると、今年の単協代表者会議(医療部会の最重要会議)では、その私立大学病院の看護副部長を特別講演に招いているらしい。

少し年下の友人が院長をしている岡山玉島の生協病院でも、職場で実践を競い合う「FISH!大会」をやっているらしく、写真入でブログにも紹介している。

(仮装大会に近いという話ではあるが。)

私のいる病院でも、見た瞬間どきりとする「○○さん ご懐妊おめでとう!!」とか、以前の職員で、最近パートとして復帰した人に向けて「お帰りなさい、○○さん」と大書したポスターが職員詰所に掲げられていたり、何かの企画の表彰状が廊下の掲示板にべたべた張られていたりする。

そのように盛り上がっているわけだ。

FISH!の結論は簡単で次の4か条である。

①(仕事や職場は簡単に選びなおせないけれど、そこで働くあなたの)態度を選ぶ(ことはできる)

②遊ぶ(ことからエネルギーをひきだす)

③人(同僚や顧客)を喜ばせる

④(外部ー仕事、同僚、顧客に)注意を向ける

それを導き出すために書かれた寓話が上記の本である。

非正規労働者が増えて、同じ仕事をしていても待遇がばらばらという不条理が横行し、かつ長時間・過密労働が当然になっているいまの職場の矛盾が、どう解決されるかを求めてみんなはこの本を読むだろう。

③、④で示されているような、「顧客に喜ばれる」、 「同僚に眼を向ける」という方向が解決の手がかりになるのは間違いがない。

仕事の意味を考え、味方を増やすということから私たちは職場を再生していくだろう。この項目がちゃんと正確に挙げられているところで、この話は期待を集めるのである。

具体的にはどうしたら、その方向に足を踏み出せるのだろう。

しかし、それは①によって最初から阻まれている。これがこの本の本当の結論である。

「変えてよいのは心や態度だけ」と最初から制限されているのだから、顧客=地域の人々の悩み・苦しみに寄り添い、その解決と自分たちの待遇改善を結び付けようとする方向にはならない。

制度の変化の方向はありえないものと最初から宣言されてしまったうえでの話が展開されるだけである。

そうであれば③、④は結局、絵空事に終わる。

となると、残るは「②遊ぶ(ことからエネルギーをひきだす)」しかない。

結局はこれが、この「哲学」が人をひきつけている要素だと思える。

仕事の中に遊び心を導入することの公然とした肯定は、快い。私自身も、多分にそういうところがあるので、ここだけ取れば大いに歓迎してよい。

ただし、職場に平等な関係がなければ、職場のいじめの肯定に変わるだろう。学校でも、職場でもいじめる側にとっていじめは気持ちのよい「遊び」であるからである。

パワハラを肯定する道具としてのFISH! ということになる。

具体的に、先にあげた掲示物は、「懐妊」については個人情報を気にする人の眉をひそめさせたし、同じようにパートに復帰しながら「歓迎」ポスターを作ってもらえなかった人に複雑な感情を抱かせたり、表彰状は、表彰者が表彰理由を熟考しているとは思えず、いわば表彰状を作ること自体が自己目的化してしまっているのである。

やはり、こういうものを取り入れてはだめだ。

一種のマインド・コントロール自己啓発セミナーの変形と解釈するのが妥当だろう。カルトにも近いということである。

一般に、私たちのような運動体でも、外部から種々雑多な思想的流行物が流れ込むのは避けられない。場合によっては本格的に、この流行の可否は検討されなくてはならないだろう。

当面の私には時間がないので無理なのだが、誰か若い人が、この寓話をテキストとして精細に分析して、民医連としてはどういう結論が引き出されるのか、著者の唱える4か条とはどう違うのかを明らかにする作業が求められる思う。馬鹿らしい仕事だが、誰かがやらなくてはならない。

ただ、それよりも、私が心配するのは、こういう紛い(まがい)物に管理を頼らざるをえない医療職場の追い詰められ方である。

医師・看護師不足のなかで、心の持ちようを強調し、ファッショに近い職場運営に走る管理者には、怒りよりも、非難よりも、同情と共感が必要なのだろう。

すなわちFISH!哲学の流行は、「医療崩壊」と軌を一にする現象でもあるはずだ。

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コメント

今 私の職場には FISH! が必要です。院長は FISH! そのものです。知ってか知らずか。
ただ、社長が耳を傾けてくれません。
私の周りから、FISH! 哲学広めています。
きっと思いは届く、と祈っています。

投稿: こはく色 | 2010年11月19日 (金) 18時05分

コメントありがとうございました。

現場でFISH!の手法に救われるというのはよく分かります。

そういう実感を生むから流行するのでしょう。

問題はその先に何かあるかどうかです。

アメリカから導入されて日本で使われているうちに人間的なものに変わっていった手法は医療現場では実はあります。

クリティカル・パスなどがその例です。経営優先の最短工程を追求するはずだったものが、患者中心のチーム医療をめざすヒューマンなものに変わり、、名前もクリニカル・パスになりました。

医療現場は非人間的なものを人間的なものに作り変えてしまう魔力を持っているともいえます。(しかし、そうなってしまうと経営側の熱意は失せてしまうのですが)

FISH!も利益追求の本質から視点を逸らさせるという本来の目的を外れて、職場のみんながお互いに関心を持ちあいソーシャル・キャピタルを強化するものに変わる可能性がゼロとは言えません。

ただし、その時は経営側にとっては危険なものになってしまっているはずです。

投稿: 野田浩夫 | 2010年11月22日 (月) 22時26分

「民医連としてはどういう結論が引き出されるのか、著者の唱える4か条とはどう違うのかを明らかにする作業が求められる思う。馬鹿らしい仕事だが、誰かがやらなくてはならない。」と数年前に記されたあとの民医連としての結論をぜひお聞かせくださいm(_ _)m

投稿: 健和会のぞみ | 2017年3月11日 (土) 18時04分

コメントありがとうございます。

フィッシュへの熱は瞬く間に冷めて誰もその名前を思い出すことがなくなりました。

しかし、底の浅い流行に踊らされるという傾向は消えていないので、きちんと、その導入ー熱狂ー鎮静の過程を振り返れば得るものはあると思います。

ただ、いまのユマニチュードの流行はフィッシュよりは好ましいと思うので、全体としては成長しているのかもしれません。

医療安全のチームSTEPPSは、チームのあり方からみればなにも新しいことを提起してはいないと言う点で保守的で、現状固定的な対策ですが、熱狂的な流行は生じていません。

投稿: | 2017年3月27日 (月) 13時57分

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