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2008年1月 1日 (火)

堀田善衛「記念碑」ー今年最初の読書

元旦に帰省しようと思っていたが、折からの大雪で諦めていたところに、午前7時病院からの呼び出し。

そのため、年末から読み始めていた堀田善衛「記念碑」1955は病院で読み終えることとなった。

1944年から45年の国策通信社の出来事を描いた小説。

ホテルの女中から宮中重臣までの層の厚い登場人物群は野上弥生子「迷路」1956に似ているし、主人公の思想的立場もほぼ同じだ。

ある意味、「迷路」の続編と言ってもいいくらいである。

(私が「迷路」を読み終えたのは1990年ごろだった。祖母の葬式の日、古い家の寒い座敷でオーヴァーを引っ掛けて、ほかにすることがないままページを繰っていると周囲がまるで戦前そのままであるように感じたことが、まるで昨日みたいに思い出される。

あの日の午後、火葬の煙の行方を見ていると、山には残雪とともに辛夷の花が淡い色であちこち満開だった。)

小説の終わりの以下の文章には胸を衝かれた。月並みだが、大陸や南方の島、あるいは本土の大都市で、見分けもつかない死体として朽ち果てた人たちには、それぞれの誕生や入学や就職や結婚があり、それらをまったく無意味にするものとして戦争があったのである。しかし、死者一人一人についてその物語を再構成することがなければ、その事実の持つ意味を本当に理解することはないのだろう。そして、そういうことができるはずもないため、私たちはいつまでも愚かでしかありえないということが、私たちにできる最善の自己認識である。

「死んだ人はどこへ死んで行ったのだ。/眼をつぶると、ぞろぞろ、ぞろぞろ、と草履をひきずるような音が聞こえてくる。また、どさ、どさ、どさ、と、重い軍靴をひきずて、暗い冥府を、暗い海の底を、不規則な足音をたてていく足音が聞こえてくる。亜細亜と南海の陸と海との隅々から、死んでいった若い人たちが、死んだときの、殺されたときの形相そのままで・・・・・・・・(略)・・・・・・・・・/天の奥処(おくが)を限りなく、いまも歩いている」

(、こうして書き写してみると「不規則な足音をたてていく足音が聞こえてくる」という文章は少し変だ。私の読んでいる版がおかしいのかもしれない)

この小説を読んで確信したのは、私などは戦時中に生きていれば、英米の帝国主義と闘って東アジアに共同体を建設しようという詐欺宣伝を社会主義の新たな戦略と受け止めて舞い上がったはずということだ。

いま、「マルチチュード」を担いであるき、労働者階級に替わる新たな革命の主役などといっている人たちもきっとそうだ。

そういう浅薄さから抜け出すには、日本の小説では野上弥生子や堀田善衛や大岡昇平の作品を念入りに読み直し、わずかでも想像力の芽を大きくすることが必要なのだろう。

それについて「記念碑」を読み終えて思うのは、最近「橋上幻像」1970等が面白かったことも含めて、ようやく堀田善衛が読める年齢に達したのかもしれないということである。

正直なことをいうと、10年前、20年前には堀田の作品の省略が多いために分かりにくい文章が読み続けられなかったのである。たとえば、主人公が「なんていうことだ!」と呟く時、それが肯定的なことか否定的なことか、いくら文脈を追っても理解できなかったのである。同時代に生きたものにはすんなりと分かる話なのだろうが、堀田の場合は特に伝わりにくい気がする。

「若き日の詩人たちの肖像」1968という自伝的作品や、インドやキューバ、スペインの紀行文をかろうじて理解し、ファンになっていたわけである。高校生の頃「海鳴りの底から」1961という天草島原の乱を扱った小説を読み通せたが、それは歴史小説のストーリイを追っていただけである。

この変化は「ゆっくり読むこと」が最近面白くなってきたという私の傾向にも関係しているかもしれないが、別の面から見ると、読み取るのにある程度の知識量が必要な作家がいて、私にもようやくそういう作家の扉が開かれてきたのかという期待がふくらんでくるということでもある。

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