バレンボイム「ラマラーコンサート」、ウッド「資本の帝国」、大江健三郎の「燃え上がる緑の木」大切なことは何だろう
*バレンボイムの行なったラマラーコンサートに関するドキュメント再放送を、今度はNHK教育の地上波で見た。 最初に見たときよりも、理解がさらに深まった。死を控えたサイードの様子にも、前に見たとき以上に心を打たれた。
やはり、人間にとって大事なことは政治的な立場と、その表明態度だろう、と改めて思った。
可能な限りradicalであらねばならないし、訴える姿勢はごく自然にdecent でなければならない。
*ウッドの「資本の帝国」を読む一方で、大江健三郎の「燃え上がる緑の木」をようやく読みすすめられるようになった。物語に入っていくことができなくて、ここ数年何度も最初の1ページで投げ出していたのだが、1週間前のある日、急に読み取ることができるようになった。理由は分からないが、どこかで閉ざされていた心の部分が開き、容量が増えたのだろう。寛容であるとか、先入観や偏見にとらわれないこと、これも求められるdecencyの一部である。
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