映画「夕凪の街 桜の国」と「父と暮らせば」
漫画「夕凪の街 桜の国」について書いた後、この漫画を原作にした佐々部清監督の同名の映画を観た。監督が下関出身ということによるのか、山口県では最も早く下関の小さな映画館で限定上映されていた。
私が中学・高校を広島ですごした頃はまだ残っていた基町の原爆スラムが、主人公の住む街(「夕凪の街」)として忠実に再現されていた。広島弁も正確でありながら趣の深い言葉として使われており(そのあたりが「はだしのゲン」と違う)、原作との細かい違いはありながら、工夫の後もわかって、観て良かったと思える映画になっていた。
ただ、メッセージ性が直截的である分だけ、黒木和雄監督「父と暮らせば」に比べると、映画としての衝撃はむしろ薄いように思えた。印象的な映画を観ていつも感じる、〈このシーンが画像として核になっている、監督は結局このシーンを撮りたくてこの映画を作ったのだろう〉と思えるところがなかった。したがって女優二人の俳優としての魅力も十分に引き出されてはいない。ストーリィ展開の駒になっているだけという感じだった。
もちろん、だからだめというわけではない。「父と暮らせば」が被爆者の女(宮沢りえ)と原爆後広島に来た男(浅野忠信)が結婚するというハッピーエンドの形を選び、将来の被爆者(宮沢りえ)の原爆症死をあえて暗示もしなかったのに対し(訂正:見直してみると、将来原爆症が「再発」することへの恐れは劇中明確に語られている。しかし、男が命をかけて看病するという決意を述べて、恐怖感は打ち消されている)、「夕凪の街」は被爆者の女2人が、いずれも原爆後広島と来た男と結ばれながら、結婚前や結婚後に原爆症で死ぬことが中心的エピソードになっているのだから、私の小さな不満も、テーマが違えば描き方が違って当然というほどのことなのかもしれない。
原爆は落ちたのではない、落とされたのだ。その背景には、何十万の人の死を望む巨大な悪意がある。
そして何十万人の中には、生き延びた人たちの子孫も含まれていく。これが後半、「桜の国」の主題になる。
その巨大な悪意に遭遇して、被爆者のほうが自らを生きていないほうがいい存在だと考え始めるという不条理への抗議が、原作から監督が取り出したメッセージである。
原爆は神が与えた人間への試練であり、被爆者は神に選ばれた尊い犠牲なのだと、長崎の永井博士は説いたが、こうした考えは迷妄として克服していかなければならないことを、そのメッセージは強く主張しているのだと私には思えた。
そして「生きとってくれてありがとうな」という台詞は、被爆者が生き延びることによって、人類史上稀に見る経験を他者に伝えてくれたことへの感謝として限りなく重い。
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