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2007年6月27日 (水)

傾聴ということ

傾聴は全てのコミュニケーションの基本で、共感を持って他人の言うことを聴き、価値判断を加えないことだから、すごく易しいことのように思える。

しかし、これがどんなに難しいことだろう!

歯切れのよい口調でテンポ良く興味深い話題が語られるのなら、それを聴くのに何の努力も要らない。

また、こちらの関心の赴くままに質問して、その答えを聞くなら、少々相手が言いよどんでテンポが悪くなっても苦痛ではない。どうしてここで言葉がとまったのだろう、どうしてこういう表現を使ったのだろうと考えながら、次の質問につなげていくのは推理小説を読むような楽しみがある。

しかし、傾聴の必要な場面はたいていそうならない。

長い長い前置き、古臭い気取り、間違った概念、手垢にまみれた決まり文句の繰り返し、当人にしか興味のもてそうもない昔話や、自慢たらしい親戚の話(大学院に入った孫・・・おそらく数年は顔を合わせていないのだろうに)が延々と続き、こちらの質問も無視されるという中で行なわれるのが傾聴である。

つまりは、みんなが喜んで話を聞いてくれる人には傾聴など不要なのである。

物質的生活も貧しく、誰も話し相手がなく刺激もない中で精神的にも衰弱した人にこそ傾聴は必要だし、そういう人にだけ傾聴が治療的意味を持つのである。

簡単に言えば、聴きたくなくなる話を、意識して興味をふるいたたせて聴くのが傾聴である。

したがって、それは訓練であり、継続されれば上手になり、やがては聴く楽しみの新しい次元にたどり着くというものなのだろう。

聞きたくない!という気持ちがおさえきれず体中あげて起こってくる拒否反応。それを抑えて聞かなければならない。慣れで自然に拒否反応が消えることもあるかもしれないが、慣れの方向でなく、話の中に興味の持てる物語を発見できるかどうかに自分の力量がかかっているのだと覚悟して克服することも必要だろう。

というわけで、明日の朝もがんばって、病院外来という傾聴の海に漕ぎ出していこう。

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