直接民主主義と間接民主主義
統一地方選挙の後半戦で久しぶりに応援弁士をした。
このとき考えたのは直接民主主義と間接民主主義についてである。
私の生活実感では、私は強固な直接民主主義者である。議会の状況がどうであれ、市民の請願や署名や街頭行動、講演会の企画などで世論を作り上げていけば活路は開けると思っている。あえて言えば議会の状況が不利であれば不利であるほど闘志が湧くのである。
直接民主主義と間接民主主義についての解説で参考になるのは岩波ジュニア新書「憲法読本」杉原泰夫、1981だった。以下、簡単に関連部分を引用しておこう。
「近代の国民主権を自覚的に生み出したのはフランス革命ですが、フランス法では国籍を持っている国民の集まり(全国民)をNationナシオンと呼び、政治に参加できる年齢に達した国民の集まりをPeupleプープルと呼んで表現の上でも区別します。フランス革命の際には、君主主権にかえて、この二つのうちどちらの国民主権を取るかで大いに争われました。どちらをとるかによって、政治のあり方はまったく異なったものになるからです。」
すなわちNation主権では、0歳の乳児から臨死の老人までを含めた観念的な全国民に主権があるとするので、実際には代表とされる一部の人たちに国家権力の行使を白紙委任することが必然的になる。市民個々人には権利がないので、選挙権も必ずしもあるとは限らない。代表を称するものたちの胸三寸で選挙権の範囲も決められるという間接民主主義である。
これに対してPeuple主権のもとでは、一定年齢以上の個人の意思が集まって国家権力を行使する。直接民主主義が政治の原則であり、代表制をとる場合でも、代表はPeupleの意思によって規制される存在である。
フランス革命はブルジョワジーが勝利し、直接民主主義を主張する人民を弾圧する政府が出来上がったため、Nation主権が憲法の原理になってしまった。フランス革命は普通選挙も否定した革命だったのである。
しかし、その後の労働運動・民衆運動の結果、普通選挙が当然のこととなり、Nation主権も次第にPeuple主権に近づき、Peuple主権が一般国民の普通の感覚になった。
しかし、私はPeuple主権が打ち立てられているとはまだ思えない。国民の意思が正確に反映しない議会を作り上げる小選挙区制が強行されたことに端的にそれは現れている。そうした議会である限り、議会は一部の者の不当な支配を合理化する仕組みに過ぎない。
飽くまで直接民主主義を志向する市民がいない限りPeuple主権はやってこないだろう。直接民主主義の立場からは、議席数と議会外の市民運動の掛け算で、社会や歴史を動かす力が決まる。
議会外の運動と結びつかない議席は、議席の数としてはいくら大きくても力はゼロに近い。
逆に議会に働きかけることをしない市民運動は、何万人の会員がいようと趣味のサークルにすぎない。議会に働きかければ議席にも深くコミットしないわけにはいかない。
まぁ、そういうごく当たり前のことを訴えたくて応援弁士をしてみたのである。
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