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2007年4月18日 (水)

長崎市長銃殺事件と山口の恥

 長崎市長へのテロ・殺人事件は、公共事業と称する土木事業に税金を横流しする機構に過ぎないいまの地方政治が最終的には暴力支配(暴力団を手先に用いた支配)の世界であることを改めて思い知らされ恐怖感を抱かされるものだった。

以前、市長に立候補しようとしたら暴力的かつ陰湿な攻撃が襲いかかってきて立候補をやめたという人の話を聞いたことも思い出された。

ここはひるむことなく、なんとしても透明な政治を市民の力で作り上げなくてはいけない。

それはそれとして、この事件についての次のコメントを比較してもらいたい。

*「安倍晋三首相は17日午後8時3分、首相公邸で秘書官から長崎市の伊藤一長市長が銃撃されたと報告を受けた。その後、同50分『捜査当局において厳正に捜査が行われ、真相が究明されることを望む』とのコメントを発表した。」

*「日本共産党の志位和夫委員長は同夜「「こうした卑劣なテロ行為は、自由と民主主義に対するもっとも凶暴な攻撃であって絶対に許されない』とするコメントを発表。」

*「社民党の福島瑞穂党首は取材に対し『選挙中の首長が撃たれるというのは異常な事態だ。武力で問題解決をしようとする傾向には断固抗議する。日本の中で政治活動が危うくなっている』と語った。」

 安倍は何を言っているのだろう。事件が起きて、捜査が進み、真相が明らかになることを期待するというのは、あらゆる事件に共通のことだろう。

 小泉だったら「犯人が捕まってよかったね!」とでも言いそうなところだが、架空のその発言と同じレベルのジャーゴンjargon(わけのわからぬ話)を日本の首相は生産し続けているのである。

**安倍首相の非常識コメントに端を発して長崎市長の射殺について別の見方があることも付記しておこう。

見方のひとつは保守派だった長崎市長の「平和市長」への転身を快く思わない日本最大の右翼言論団体「日本会議」(-安倍首相が役員をしていおり、かつ今回の犯人と30年来の友人という弁護士はその長崎支部の副会長をしているという団体)周辺による見せしめとしての射殺というものである。

もうひとつは、長崎市長が表面では平和市長振りを発揮しながら、実態は利権にまみれる保守系市長として安倍首相と暴力団のつながりに何らかの関わりを持ち、ついには口封じをされなければならない立場に立ったというものである。

 これらの見方の底にあるのは、1999年の下関市長選挙の際、秘書が暴力団に金を渡し、そのいざこざで首相の実家が放火されたという事件があり、これによってもはっきり表面化した安倍首相と暴力団・右翼の深い関係である。

結論としてあの異様に他人事めいたコメントは、首相の資質に関わる話すなわち「軽率にものを言う頭の悪い人」という話ではけっしてなく、むしろもっと鮮やかな意味を持つものだったということである。長崎市長に対する彼の憎悪の率直な表出であり、さらには首尾よくことをなした者たちへの満足のメッセージだった可能性さえある。

加藤紘一代議士宅への放火に際して、小泉・安倍が何の怒りの反応も示さず1週間以上も沈黙を続けたこととどこかでそれはつながっている

暴力団とのかかわりの深い首相はこれまで何人もいたのだろうけど、これほど直接的で強い恐怖感を国民に与える首相は初めてではないのだろうか?

 

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