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2007年3月 2日 (金)

閉塞された状況

 網野善彦の『日本の歴史をよみなおす』(正、続統合版)ちくま学芸文庫 を少し時間をかけて読み終えた。

ベストセラーになったらしい岩波新書の『日本社会の歴史』はなかなかすんなり読み通せなかったのだが、この本は比較的順調に読めた。

「百姓」を農民と理解することが大きな誤解であり非農業民を含む「普通の人」と理解すべきこと、中世・近世は決して農業一辺倒の社会ではなく、非農業民が活躍する交易や都市形成も活発な社会だったこと、また、東日本と西日本の社会構造は相当に異質であり、別々の国といっても良いくらいだということなど、まさに「目からうろこ」の話が続いた。

もちろん、そういう「網野史学」がかなり前から多くの人に注目されており、上に述べたことは本をよく読む人のなかでは常識になっていること、逆に網野氏の弟子というだけで就職が難しくなるほどアカデミックな歴史学からは異端視されていることは、十分承知の上で私にとっては面白い本だった。もっと早くこれを読んでいれば、地域を見る私の眼ももっと深いものになっただろうと思うとむしろ残念な気にさせられた。

 今週読んだもののなかでは、朝日新聞2月28日号に掲載された小熊英二のインタビューも良かった。戦争被害者であることと加害者であることの関係について述べている。日本兵士のアジア各地での蛮行は、悲惨な待遇下にあった日本兵士の被害者としての状況から必然的に生まれてくるものだという辺りは説得力があった。また全共闘かぶれの青年が広島の被爆者の語りに対して「あんたの被害体験などは聞き飽きた。あんたが朝鮮人に対して加害者であった経験のほうを聞きたい」などと放言して被爆者を黙らせてしまう話などは全共闘運動が当時の青年にどれだけ被害を与えた否定的現象であるかを鋭く指摘している。その後、自民党が従来の河野内閣官房長官談話を否定して、「従軍慰安婦はいなかった」という立場に立つことを発表しているのでこのインタビューはきわめて時宜を得たものとなった。

 そのように今週は、読書体験としては比較的恵まれた週だったと思えるのだが、私の気持ち全体としては全体に暗いもやが立ち込めているような日が続いている。

その原因を考えると、絶対的な医師不足による、労働条件の悪化・医師としての社会的活動への制限を打ち破る展望が失われているところに行き着く。こういう状況の中では、自分の頭で考えて自分の発想で動く余地がほとんどなく、大半の行動は情勢変化への受動的な反応としてあるという気がする。

それは日本全体の話と、私のいる病院・法人の話と二重になっているので、きわめて重症である。久々に経験する深刻な閉塞的な状況といえる。

こういうときは、わずかにでも自発的に行動できることに集中して、事態の改善を待つという姿勢が必要なのだろう。理性と忍耐が求められているのである。

そこで、集英社新書「貧困の克服ーアジア発展の鍵は何か」2005を本棚から取り出した。アマルティア・センはどんな人だろうと思って買いながら放置していた本である。「新しいものは古いものから生み出されるべきである」からアジアの一部で成功を可能にした一般的戦略からまず検討してみようという呼びかけにぶつかって、少し気持ちが明るくなった。しばらく、この本を読むことで自分を支えられるという気がしている。

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