レーニン「ドイツ共産主義者への手紙」・・・味方を増やす
数回前の「日本共産党史を語る」の項で、レーニンの「ドイツ共産主義者への手紙」1921.8について触れ、その手紙のなかでレーニンが、「冷静さと忍耐心」を失わず、「たゆむことなく多数者を獲得していく」ということの重要さを噛んで含めるように伝えていることに私が心を打たれたことについて書いた。
今日はその話の続き。
ごく身近な私の職場生活についてである。
多数者を獲得するということは誰にでもいい顔をすることではない。
ただの好々爺になったのでは、気持ちよく日常を過ごすことはできても、けっして多数者を獲得することはできない。
そのさい、敵に毅然として対決するだけでは足りない。
味方の誤りにも適切に立ち向かわなければ多数者は獲得できない。
敵と対決したり、味方の誤りを正すときは、多数の注目を正当に集めるため、冷静さを欠いているように振舞うことが必要な時もたまにはある。それは戦術としてとっさに選ばなければならない。
しかし、本当に冷静さと忍耐を欠いて、たとえ敵に対してであっても道理のない攻撃を加えて逆に攻撃される原因を作ったり、同様なことで味方を敵にしてしまってはおしまいである。心の底の底では冷静であり続けなければならない。
今日、私は職場で、不意に不当な扱いを受けてただちに反応したが、敵、味方の区別がはっきりしない中で、口調が厳しくなり過ぎた。冷静さを保ち続けえたのか、戦術として正しかったかどうか、いまひとつ自信がない。
ただ、それが多数の獲得につながって行くかどうかは、その場限りのことでなく、今後の私の姿勢の一貫性に関わることなので、長期的な経過の中で判断する以外にないと思うことにした。
振り返れば、その場では間違ったと悔やんだことが実は正しかったり、信念を貫いたぞと思ったことが大失敗だったりしたことも多い。ある行動を起こした場合、正否の判断のあいまいさのなかで経過を追跡することも、冷静と忍耐の表現となるのだろう。
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