空港での考え事
宮本常一の「忘れられた日本人」を羽田空港の待合室で読み終えた。日本中のいろんな地方からやって来た人が無数に行き交い、それぞれのお国言葉でにぎやかに話している中で、全国を歩いて庶民の物語を丁寧に聞き取った人の本を読むのはとても面白いことに思えた。
有名な「土佐源氏」や対馬の観音堂のお祭り、河内の太子堂の「一夜ぼぼ」という珍しい話などにも惹かれたのだが、心を打たれたのは、後半に集められた地方の知識人たちの伝記である。アカデミックな訓練とは無縁の彼らが、知識に対する無限といっていい欲求を持ち、村の近代化に励むと同時に、(というより、近代化を切望したがゆえに)村の古来のあり方を記録することにも熱意を持ち続け、周囲からそれほど理解されることもなく貧しいままに一生を終わる話は他人事には思えなかった。
この日は、石原都知事が自分の人気取りに仕掛けた「東京マラソン」の日で、その出場者にも出合ったのだが、そうしたことや宮本常一の本からの感想も含めて、空港の待合室にいたからこそ思いつくというようなことがあった。
それは、結局自分は「私」という材料を使ってしか人のためになることはできないので、その材料をうまく使うことに専念するほかないということである。運動能力や容貌や話し方がすぐれないことはどうしようもないことなので考える必要はない、何かできることをあげろといえば、本を読むのが好きだということくらいを使って、誰かのためになればいいのだというようなことを私は考えていた。
今から思うと、まったく平凡な考えでしかなく、当たり前すぎて、改めて書くようなことでもない。大きな空港の待合室での長い待ち時間という、割とよくあるがそうは言っても、日常生活から少し離れた場では妙な気持ちになることもあるという記録である。
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