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2007年1月10日 (水)

宮本常一「家郷の訓(おしえ)」岩波文庫(1983)

 明日 1月11日に山口大学医学部で講義をするのだが、その準備をしていて、つい 山口県大島町出身の大民俗学者 宮本常一さんに触れる話の運びにしてしまった。

宮本常一さんについて私が詳しいわけではない。

伯母が嫁いだ山間の小旅館に、伯母の姑に当たる女主人がいて、その旅館に泊まった宮本とその人の興味ぶかい会話が宮本さんの文章に出てくるのを知っているくらいである。

その程度の知識で講義に引用される大学者も迷惑というものだろう。

ただ、何年か前に岩波文庫「家郷の訓(おしえ)」(1943年の作で 岩波文庫になったのは1983年)で読んだ以下の短い文章は、宮本さんの民俗学に赴いた動機が、私が医師をしている上での心構えに極めて近いものがあると思わせ、それはどうしても若い人たちに伝えておきたかったからである。

 地域の特性や事情を知らないで奮闘する熱血教師 (*医師も同じ) ほど見苦しく虚しいものはない。それを自覚した宮本さんは、教育を変革するために地域を研究し始め、いつしか教育から遠ざかって地域研究の専門家になってしまったのである。

しかし、地域住民の個人的な「物語」(ナラティブ)の聞き取りを中心にする彼の研究手法は、現在の医療を改善しようと思う医師には応用することが必要な技法のひとつになっているはずである。

*一方、地域のことを知ると称して、自分の出自の自慢や、土地の名家の提灯持ちを真の目的とする「医学史」「郷土史」好きの先輩たちにも結構出会う。以前、私が私なりの宇部の歴史をある雑誌に書いたとき、宇部第一の名家である彼の実家の名前が出てこないと猛烈な抗議をした大先輩がいた。そのときの彼の諸発言は差別に満ちていた。

宮本さんの文章の引用は少し私流に読みやすく変えてあるので、正しい文章を知りたい場合は上記の岩波文庫を直接読んでいただきたい。

n「私が村里の生活について述べたかったのは、かって私が初等教育者として多くの悩みを持っていたことに動機がある。
n17歳にして百姓生活を打ち切って大阪に出、20歳過ぎて小学校の訓導となり、和泉の農村で十余年を過ごした。その間たえず教育の効果をあげ得ないことに苦悩した。そしてその原因の一半は私がその村の生活習慣や児童の家庭の事情に暗いことにあった。
n民俗学という学問を趣味としてでなく痛切な必要感から学び始めた動機はこの苦悩の解決にあった。」  (P12
n

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