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2006年12月29日 (金)

愛敬浩二「改憲問題」(ちくま新書、2006):不寛容な相手に追い詰められると、こちらも不寛容になって

 私は医療機関で働き、経営に責任を持つ一方で、社会保障改善の運動も続けている。簡単に言えばこれが私の社会的全生活である。そして、それらのことはすべて組織とは切り離しがたい形で進行している。

  加藤周一さんは生涯にわたって組織に加わらなかったことで、現実に対し無力ではあったが、精神の自由を保つことができた旨を何度か語っている。私はそういう意見は持ったことがない。もともと困窮した無力な階層の出身だから、無力のままでは実際的に生きていけないし、まして精神の自由も保てないと考えていた。

 しかし、その私が、今になって、なんとなく組織を疎ましく感じ始めてきた。というより、無力な人に力を与えるべき組織が、逆に無力な構成員を圧迫するものに変わってきていると感じられるようになってきたからである。

 名古屋大学の愛敬浩二の「改憲問題」(ちくま新書、2006)のなかで、サンスティンという研究者が提唱している「集団偏向group polarization」という概念が紹介されている。それによると、「同じ価値観・利害を持つ組織の内部で討議を重ねれば重ねるほど、結論が尖鋭化する」のがその特徴で、例は「連合赤軍」の大量リンチであるとされている。

 いま、「医療構造改革」のかってない医療費抑制の中で、多くの医療機関の経営はきわめて困難な局面に立たされている。こういうときに目を内側に向けて打開策を議論すると、議論すればするほど少数意見を排除する傾向が強まる。

 同じことをするのでも、「暫定的にこうしてみよう、その結果を見てまた考え直そう」という姿勢は攻撃され、「確信を持って方針を遂行するのでないとだめだ」ということになり、そうした発言が強制されるようになる。これも「集団偏向」のように私は思えてならない。

 「集団偏向」のなかで失われるのは、渡辺一夫の言葉で言えば「寛容」ということになるだろうか。

 不寛容な相手に追い詰められると、こちらも不寛容になって対抗せざるをえない、ということかもしれない。しかし、それは誤りへの道である。

 仮にも私は組織のトップにいる人間だから、私がこういう気持ちを持つというのは明言しにくい。せめてこのブログを表現の場とするという窮屈さも感じる。

 中枢にいながら周辺からのまなざしを捨てえなかったものの悲劇といえば、木下順二「子午線の祀り」の平知盛の話になるが、私が平知盛に親近感を感じるといえば笑われてしまうのだろうか。

 ともあれ、そうしたことから、私は自分の属している組織について考えざるをえなくなっている。これが私の望んでいたものだったのかどうか。

 そういうときに、たまたま目に付いた文章がある。ネット上で「紙屋研究所」というページを開いている、おそらくはかなり若い人の文章である。少し引用してみよう。 

『 しかし、政治という営為は、人と人が結びつくこと、他人といろんなことを話したり語ったり、協同しあったりすることに、一番の醍醐味がある。これが政治活動をするさいの楽しみであり、「モチベーション」であったりもする。議席の獲得や、生活改善の実利だけを目的とするなら、多くのサヨがこんなにも長く「結果の出ない」活動はしていないだろう。』

この文章の中には、共産党の志位委員長の報告からの引用もある。これも、同じ出所から私なりに引用しておこう。

『最初に強調したいのは、労働者と日常的に結びつき、人間的信頼関係をつくるという問題です。

  大会決議では、このことについて、「支部と党員がまわりの人々と日常的に広く深く結びつくことは、党活動の手段ではなく、党の基本的なありかたにかかわる問題として、重視されなければならない」と強調しました。

  東京の出版関係の職場支部からこういう報告がよせられました。「党大会での『お茶を飲んでいきな』『野菜を持っていくけ』という言葉をおろそかにしてはなりませんという発言の報告を『印象的だった』と聞いた同志が、人間的結びつきで自分自身が変わらなければと思い、これまで会釈しなかった人には会釈を、会釈してきた人には『おはよう』と声をかけ、『おはよう』といってきた人とは会話する努力をし、これからは選挙での支持を広げ、読者も増やせるようにしたいと決意をのべている。」

 北海道の民間の職場支部からはこういう報告がよせられました。「支部では『実践する三項目』を支部の『政策と計画』として確認した。(1)職場に入ったら元気よくあいさつすること、(2)会議を欠席するときは必ず連絡すること、(3)月一回の宣伝紙を活用すること。これを実践してみたら、『合理化』で党員もくたくたになっていたが、半年たったら党と労働者の関係がよくなった。この積み重ねが支部の団結につながっている。こつこつ増やしてきたら、結果的には日刊紙で130%を達成し、日曜版もあと少しで130%目標に達するところまできた」。

 会議についても、「会議に100%出席」といわないで、「欠席するときは必ず連絡する」というところが、柔軟でリアルな知恵が働いていると感じました。』

 困難にぶつかったとき、知的な努力をせず、視野をどんどん狭めていけば、連合赤軍やポルポト政権の悲劇はおそらく必然的に発生してくるのだろう。正しい方針を持つ上部組織に属していれば現場の悲劇を防げるというものではないという気がする。

 それに対して、「紙屋研究所」氏や志位氏の発言はもともと組織が何のためにあり、そこを逸脱しないためにはどうすればいいのかを、もう一度おもいださせてくれたような気がする。
 

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