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2006年11月21日 (火)

「嫌老社会」長沼行太郎

 高齢者大会での講演を構想する中で、たとえば「老人福祉は枯れ木に水をやるようなものだ」などという支配者層の発言に現れた彼らの「高齢者へのまなざし」あるいは「高齢者のイメージ」が、これまでどのように変化して来たかを調べる必要を感じた。 

それはこういうことである。

 サイードの「オリエンタリズム」によって、アジアの人々は「遅れた、劣ったアジア」像が、支配者ヨーロッパが自らの支配を肯定し、また肯定的な自己イメージを形成するために、アジアを材料に何世代にもわたって構築したイカサマの体系だったことに確信を持った。     

 そこで、「オリエンタリズム」を範にして、支配者側から作られた「高齢者に対するまなざし」、「高齢者のイメージ」のなかに隠されている、支配者側の自己肯定のからくりが明確にできれば、高齢者は、早く死亡してしまうこと、あるいはマーケットの対象となることだけを期待されている自己イメージから解放され、本当の「老いに向かい合う思想やイメージ」を獲得できるのではないだろうか、と僕は考えたのである。

 しかし、研究者でもなく、老人福祉の活動家でもない僕には、到底それを調べる時間はない。民医連や保団連がそんな刊行物を持っていないだろうか、と思い、何人かの人に相談すると、菖蒲山口民医連事務局長が「嫌老社会 老いを拒絶する時代」 長沼行太郎ソフトバンク新書2006.9を買ってきてくれた。

 出版社の名前からくる、いかにもキワモノ的な感じとはまったく違って、とてもよく書かれている本だった。

 一口に「高齢社会」と呼んでも、それは二つに分かれている。政府のお世話にならず、派手に消費してくれる明るいイメージの人生のセカンドステージと、イメージを作ることさえ嫌悪されている、福祉予算を食いつぶす、介護にまみれた人生のサードステージである。

 そこでサードステージの悲惨な現実の克服には、政府の政策や商業主義からあてがわれた元気なセカンドステージ賛美中心の老人像ではない、真の「老い」のイメージ作り=「老いの思想」についてのへの国民的合意づくりが大切だと著者は繰り返し言う。

 介護を通じての老人と若年者の相互認識の深まり、これを「共生」の思想と著者は呼んで、ここに老いへの国民的合意作りの鍵があるという。

しかし、それ以上はこの本では展開されない。その合意の具体的姿はこの薄い本では無理なのだろうし、そもそも、介護に依存する老人の「自立」に関する思想は、日本の社会の中でまだ十分深まっていないのだろう。

しかし、途中までは、僕も深く共感した。それは僕が上に書いていた方向が正しいと言ってくれたに近い論旨の展開だったのである。

 これ以上のことは「平等論」研究の竹内章朗(岐阜大)の本にあたらねばならないだろう。「『弱者』の哲学」大月書店1993あたりをまず読み直してみよう。

 最後に、「嫌老社会」のなかで印象に残った一文を最後に引用しておこう。「論語」の言葉である。

「老いて死せざる これを賊となす」(年取っても死なない奴を穀つぶしというんだよ)

・・・・安倍内閣の下では 「老いて死せざるこれを国賊となす」と国という美しい一文字が追加されるのであるが。

( ここからは二つだけ余計な話な追加する。

ポストコロニアリズムとは何か、言語と人間というテーマが、オリエンタリズムに関係するので、私なりのまとめを描いておきたいからである。

*すでに植民地全盛時代は終わったが、植民地支配が人間の思想や社会にどういう影響を与えるかという研究が急速に進行した。それは植民地時代が終わって初めてなしえるものであることや、制度において植民地時代が終わったといってもそれは表面的なことに過ぎなくて植民地化の影響はさらに深刻に続いているという問題意識から「ポストコロニアル=植民地時代後」研究と呼ばれている。

 **植民地に生まれる支配者言語と被支配者言語の混合物である言語「クレオール」の研究も同時に進行した。「クレオール」が完全な文法を備えた言語であることが明確になるにつれ、言語間に優秀な言語、劣った言語などという区別はなく、「すべての人間は文法を生得的に持って生まれてくる」というチョムスキーの理論の正しさも強く支持されるようになった。さらには人間の認識パターンにも言語と密接に関連した「物語」という生得的なスタイルがあることも主張されるようになり、これは、その後「物語に基礎をおく医学narrative based medicine 」として医学にも影響を与えるに至った。)

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