「日本文学史序説」補講
11月12日に開かれた山口県赤旗まつりの会場で山本晴彦さんから「『日本文学史序説』補講 」加藤周一 かもがわ出版2006.11.10(!)を、「今日なら消費税はなし!」ということで勧められて買った。100円くらい得をした気分になった。
本を開いて驚いたのは、山本晴彦さんがこの本の「はじめに」を書いていたのだった。それも加藤周一そっくりの文章で。(やや臆面もなくそっくりで。)
山本さんが属する会の人たちが、加藤さんには学生時代からなじみが深い信州・追分で加藤さんと5日間も合宿して作った本だということである。
なんともうらやましい話であった。少し山本さんの悪口を言いたくなったのは私が嫉妬深い小人である証拠である。
本の中身はとても面白くて今日はもう読み終えた。
どの項目も良かったので、どれといって取り上げるのも難しいが、木下順二「子午線の祀り」について、主人公 平知盛が軍事戦略家として戦争の中心にいながら、その戦争を反戦的・批判的立場で客観的に観察もしているという、その性格や立場の分裂を描いたものであるという話は新鮮だった。
「子午線の祀り」自体は何度か読んでいたのだが、中枢と周辺という視点、そしてその両者を一身の中に抱えこんでしまった人の悲劇、という構造はほとんど思い至らなかったのである。いったい何を読んでいたのだろうと思う。
<加藤さんが読むのを読書というなら、私が読むのは涜書(とくしょ)とでもいうべきかも知れない。>
加藤さんは、この項目の少し前で、マージナルな存在、すなわち中枢にはいないで周辺にいるものの中で特別な才能を持つ者だけが独創的な業績を残す、と言っている。
別の本では、自らについて語って、生涯、組織に入らなかったから、無力だったが精神の自由を保つことができたとも言っている。
それからずっと後のほうで、J.S.ミルの言葉が引かれている。精神の自由に関連している言葉である。
それはー「『多数派の凡庸』『多数派の圧制』は民主主義の最大の敵だ。」というものである。
国会の状況を見ても、卑近な私の周囲の組織を見ても、「凡庸な多数派の暴力的振る舞い」は後を絶たない。現在も身近なところで進行中の事件を一つ私は観察している。
加藤さんは、日本人をそういう凡庸な多数派を作りやすい存在だと繰り返し言っている。集団主義にがんじがらめに絡めとられているのが彼の日本人のイメージなのだろう。同じようなダークスーツを着てレストランで「ボージョレ・ヌーヴォ」がどうのこうのと乱痴気騒ぎをする集団を彼はずっと横目で見てきたのである。
その解釈としてはまったく正確だと思い共感するが、ではどうすれば、(現在だってそれには少なくとも無縁でいられると思っている)自分だけでなく、集団主義に確実にからめとられているほかの多くの人もそういう存在から脱却するようにすることができるのか?
加藤さんはそれにどう答えるのだろう。
その答えのように、あとがきで加藤さんは言っている。
一つの例が挙げられる。
世論調査では憲法9条を変えるなと答える人たちが、選挙では9条を変えるという政党に雪崩を打って投票する。これはどう理解することができ、どう変えられるのか?
乖離の原因には日本人の価値観があり、それは上の集団主義に密接に関係する。これを正確に理解するには日本人の文化的伝統を考える必要がある。そのためのもっとも有力な手段が日本文学史の分析だ、というのが加藤さんの主張である。
そうして日本の文化的伝統を理解すれば、その特徴の一つである暴力的な集団主義から脱却する道もおのずと見つかるに違いない。そう書いてあるわけではないが、これがおそらく加藤さんの私たちへの激励の言葉である。
「間違った社会や事業体の中で、正しい私は少数派でいいのだ」という覚悟もマゾヒスティックでそれなりにいいが、永久に忍耐を続けてもつまらない。
「凡庸な多数派」を「賢い多数派」に変える戦略を文化的伝統の理解の中から見つけ出す努力が、実際の政治的行動とは別の場面で、きっと必要なのだ。
これに関わった想い出を付け加えておこう。
加藤さんは別の本で、文学の定義について聞かれ、「人生について考えることが文学だ、そして、文学を通じてしか人間は人生を考えることはできない」と答えている。これを小ざかしげにある人に伝えると、「では、小説を読まない私は人生について考えていないというのか」と反論されてうまく説明できなかったことがある。しまった、加藤さんも難しいことを言ってくれたなと、そのとき思ったが、この本を読み終えた今は、ようやくはっきり言える。
文学を読まなければ、日本の文化的伝統を知ることができず、そのままでは自分の人生にも、その前提である社会に対しても、人は主人公にはなれないのだ。したがって、文学を通じてしか、人は人生に本当は関われないのだ。
人生に関わることと、文学を知ることは等しい。
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