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2006年11月14日 (火)

旧「プロフィール」の写真(39歳、ボリビアの山中にいた頃)

「プロフィール」の写真(39歳、ボリビアの山中にいた頃)を見ていただいてもいいのだが、親しい友人から私は「楚々とした風情の人」と呼ばれている。

50歳を過ぎた(かっての)有髯(ゆうぜん)の男子をつかまえて「楚々とした」はないだろうと思うが、(その批評の影響か)私自身のイメージの中でも、自分はいつまでも、はかなげな少年の風であり続けているようだ。

あるいは、国東半島の夕暮れの中に立って裾が風に揺れている梅園・三浦・・・それが、隠れた私の自画像である。

(もちろん、江戸時代のユニークな哲学者 三浦梅園について私がわずかでも知っているわけはなく、あくまでイメージであり、梅園・三浦の呼名も小野十三郎に倣ったわけである。・・・ついでに言うと、有名な「北越雪譜」の詩を書いたとき、小野十三郎は江戸時代の鈴木牧之による同名の原著を読んではいなかったらしい。それでも詩は詩として自立するから不思議である。)

そこで、今日気づいたことだが、自分が嫌いな人間の特徴は「押しが強い」「押し付けがましい」ことだった。

「自分の意見を相手構わず押し付けてくる人間だけは許せない」、

考えてみると、これが私の一番底にある信条だった。

振り返れば、友人も、みんな押し付けがましくない謙虚な人を選び、押し付けがましい人間に対しては闘いつづける、これが自分だった。

押し付けがましい人間がのさばる、これが世の常であるにしろ、あるいはそうであればあるほど、私は闘志を燃やさねばならないのである。

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