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2006年10月17日 (火)

スピヴァクと産業能率大学の通信教育「HOWのマネジメント」と「WHATのマネジメント」

 職場で管理者に産業能率大学の通信教育を義務付けた。

 理事長をしている私にも「マネジメントの基本知識」というテキストが送付されてきた。しばらく放置していたが、当直だった今夜、ようやく手にとって見た。

 マネジメントには「HOWのマネジメント」と「WHATのマネジメント」があると書いてある。簡単に言えば、前者は守りで、後者は攻めである。どう人やモノを使って与えられた課題を達成するかがHOWで、どんな新しい課題があるのかを探求するのがWHATである。

「僕は WHAT のほうだなぁ、HOW は苦手だなぁ」などと考えていたが、よく考えてみると、それは勝手に自分でそういっているだけで、自分で思いついたテーマであまり成功しているものはない。

かろうじて現段階で、一応「成果」と名づけうるものとしてあげられる以下のもの、

 保険医協会との政策的連携→社会保障推進協議会、

 在宅医療・介護事業の展開→訪問看護ステーション・在宅介護支援センター・ディケア→介護総合センター 

 じん肺掘り起こし、

 過労死の取り組み→「働くもののいのちと健康を守る地域センター」の結成 

 などは、すべて誰かから持ち込まれ、当初は押し付けられたと感じ、重荷で仕方がないものばかりだった。

 保険医協会が開いた「専門医法制化」に関する学習会の講師役を譲ってくれた同僚の松永医師、消化器科医の私に多数のじん肺患者を持ち込んできた秋川全日自労愛媛県本部書記長、一見元気だが認知症が進み通院が難しくなったお母さんへの定期往診と訪問看護を依頼してきた朝日健二東京保険医協会事務局長、宇部中央高校の先生の急死を過労死として証明してくれないかと言ってきた高教組の人たちなど、いま振り返れば私にとって「時の氏神」だったと言うべきだろう。

 とくに秋川さんと朝日さんは私の狭い視野をぱっと開かせてくれた恩人と言ってよい。二人とも、依頼の引き受けを渋る私を責めることはまったくなく、「断られるのは、それはそれで先生の高い見識によると思うが、この依頼にはこういう時代的意義があるのだ」と静かに語ったのである。その語り口は後で思い出してみると不思議なくらい似ていた。

 これは一体どういうことなのだろう、と考えたが、先日来読んでいる インドの女性哲学者スピヴァクさんの解説書の中に答えがあるというふうに思えた。

 それはこういうことである。

 「WHATのマネジメント」のように、組織や運動がいま何をするべきか考えるという課題でも、医師や理事長である私が見つけるものは、現場が苦闘している本当に必要な課題であるという保証はない。むしろ、見たくないものは見ないふりも出来る特権的な立場に私はいるのかもしれないので、本当に必要な課題を自力で見つけることは最初から出来ないようになっていると結論づけていいくらいだ。

 こういうとき、関係性は向こうから来る。

本当の課題は、「引き受けたくない」、「厄介でたまらない」注文として私の前に現れてくるのが正常の姿なのだろう。それに耳をふさがない、目をつぶらないでいれば、WHATが見えてくる、そのWHATのためのHOWだって手がかりを見つけられるのだろう。

具体的には、ナースとのカンファレンスを面倒くさがらないこと、患者家族への説明になるべく時間をとること(「ご本人とは良く話し合っていますから」は説明を断る理由にはなりにくい)、講師を頼まれた学習会は原則として断らないくらいが、当面思いつくことだが。

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