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2006年9月22日 (金)

ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァク,「ポストコロニアリズム」本橋哲也/岩波新書2005 :関係性への呼びかけは常に他者からやってくる

「ポストコロニアリズム」本橋哲也、岩波新書、2005 のなかで、私にとって真に衝撃的だった一文をここに引用しておこう。

インド出身の女性哲学者 ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァク(1942~)についての記述の中で、彼女の4つのスローガンとされたものの第2点目である。同書158ページ。

「(2) 倫理とは単に知識の問題ではなく、なによりも関係性への呼びかけであること。

-本橋氏の解説ー

 他者から学ぶとは、社会体制の中で搾取され抑圧され自己決定権を持たない他者(「サバルタン」)になり代わって語ろうとすることではない。むしろ彼女たちが自ら語ろうとしても、その声を聞かないでいられる特権的な状況に置かれた私たちのほうにこそ問題があると知るべきなのだ。「私はここにいる、私の声を聞いてほしい」という誘い、つまり関係性への呼びかけはつねに他者からやってくる。自分が他者を知るとは、単に他者の存在や声があることを知ることではなく、それを自分自身の存在や声にとって欠かせないものとして聞き、関わることだ。「倫理的である」とは道徳的に正しいということよりむしろ、そのような他者との関係を作ろうとする営みを怠らないことである。他者の声が、黙殺でも代弁でもなく、都合のよい一方的解釈でもない形で聞かれた時、はじめて新しい倫理的関係が生まれる。」

ここ当分、これを座右の言葉として臨床倫理や、貧困の問題と関わっていくことになると思えるので、あえてアップしておいた。

*(2)を引用した後、(1)がないと、これがなぜ衝撃的だったかわかりにくい気がしたので、(1)もまたここに引用しておこう。

「(1)あらゆることに関して自分が学び知ってきたことは自らの特権のおかげであり、またその知識自体が特権であると認めること。そのことと同時に、それが自らの損失でもあると認識し、特権によって自分が失ったものも多くあることを知ることで、その知の特権を自分で解体し、いわば「学び捨てる(unlearn)」こと。

-本橋氏の解説ー

 いわゆる「先進国」で生きている私たちは、国際的な労働市場において市民としての権利においても、教育の権利においても、恵まれていることが多いはずだ。それはたしかに「特権」なのだが、そのような特権的位置のおかげで私たちは、性や人種、社会的地位などに関するさまざまな偏見や差別をも無意識のうちに学んできてしまっているのではないだろうか。しかし、それが学んだものである限り、なぜ自分がそのような偏見を育んできたかの歴史や状況をふたたび学びなおすことで、捨て去ることもできるはずである。

 スピヴァクはそうした再学習のプロセスを通して、私たちが他者に関する知識を深め、他者と語りあう創造的な回路を作り出すよう励ましている。」

 

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