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2006年8月12日 (土)

三笠宮90歳 加害者責任を謝罪

1998年、三笠宮90歳は訪日した中国共産党主席江沢民に、本人自身が将校として南京で目撃した日中戦争での日本兵の残虐な行動について謝罪した、という記事が新聞にあった。

もちろん詫びないより詫びたほうがよいが、皇族として元来持っていた「上品」な感性が、下層民衆出身の日本兵の行動を残虐・野蛮と見て嫌悪感を覚えただけではないかという気もする。というのは急速に西洋化した上層と、江戸時代とさほど変わらない精神世界にいた下層との格差が天地ほども開いていた戦前の話だからである。

戦争直後、軍の圧力から解放されてようやく自由に発言できるようになった上層のリベラリストたちは、下層民衆の持っていた野蛮さが軍を通じて政治中枢に持ち込まれたのが軍国主義であったのだから、軍さえ切って捨てれば、元の古き良き日本社会が復活すると考えたらしい。

それと同じ感性が三笠宮にあっただけではないのだろうか。

下層民衆の野蛮さが軍を通じて政治中枢に持ち込まれたのが軍国主義であったという意見がどれだけ正当化かどうかは別として、当時の庶民大衆の大半が、軍の蛮行に対して批判の目を向けうるほどの知的水準を持ちえていなかったことは確かだろう。

だとすれば、加害者としての反省は戦後の下層庶民大衆にとっても深刻な課題として存在したといえる。彼らが、来るべき危機において、今度は「市民」として、どういう批判力を身に着けなくてはならないか、それによってどう行動しなければならないかが問われたはずである。

そして中国人民に誰かが詫びて未来への意味を持つとすれば、加害兵士を生んだ下層の庶民大衆が詫びることしかないだろう。

一方、三笠宮を含む戦争遂行責任のある上層の詫び方は、それとはまったく異なるものが要求されるだろう。それはまさに人類の平和に対する罪そのものである。極東軍事裁判で取り上げられたが、他人から問われるのでなく、自ら問うべきなのである。そうすれば憲法との関係はじめ政治権力のあり方を将来にわたって決定するものになるはずである。

だから、皇族が日本兵士の残虐さを謝罪して悪くはないが、詫び方が違うと言いたいし、日本の将来を保障するのは、彼らの謝罪などではなくて、実は、加害兵士となった下層庶民の反省のほうなのでないか。

戦争体験の教訓として求められたのは、復活したリベラリストたちが要求した大正デモクラシー期への回帰などではなく、戦争体験と正面から向かい合った下層庶民が平和を守る国民に変化した新しい時代だったはずである。

それは今もおそらく変わっていない。

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