杉山龍丸「ふたつの悲しみ」、小熊英二「日本という国」(2006、理論社)、
中央社会保障推進協議会の機関紙「社会保障」夏号に載っていた高柳 新先生のエッセー「少女の涙」を読んで感動したので、そのあと調べ物をしたり、本を注文したりした。
「少女の涙」という題名は編集部がつけたもので正確ではない。少女は泣かず、少女に応対し、その父の死を告げなくてはならなかった戦争直後の復員係の繊細な青年が泣いたのである。
この青年は作家夢野久作の子供で杉山龍丸という人、後にインドでの植林で有名になった人だが、高柳先生のエッセーに引用されている文章「ふたつの悲しみ」はベ平連の機関紙「声なき声」1967年に収録されたものである。(これはネットで検索すれば容易に探し出せる。)筆者はべ平連に関係すると同時に福岡のあの「玄洋社」の社員を名乗る人なのでその思想はかなり複雑なものであるようだ。
しかし、高柳先生の引用は直接のものではない。慶応大学の小熊英二の「日本という国」(2006、理論社)、あるいは「民主と愛国」(2002、新曜社)からの重引である。小熊はよほどこの文章に心打たれたのか、そのどちらの本にも使っている。
僕はまず薄い1200円の「日本という国」をすぐ読み、ついで6000円以上もする「民主と愛国」を購入した。これは900ページもあってすぐには読めそうにない。
なにより、小熊のような僕よりずっと若い人が日本の近代史、戦後史にまっすぐ挑戦しているのを見るのは本当に心強い。
実はこの間、小森陽一の本を2冊、「ポストコロニアル」(2000、岩波書店)、「ゆらぎの日本文学」(1998、NHK出版)というのを読んだのだが、テーマが小熊の問題意識とほとんど重なるのに驚いたのである。
これらの本を読むのは僕たち「団塊のちょっと後」の世代ではなくて、10代、20代の青年たちだと思える。だとすれば、ものすごいスピードで右傾化しているように見える日本で、それを凌ぐ健全な潮流が生まれているともいえるのではないだろうか。
それが僕たちに直接見えないのは、現状から考えれば当然でもある。
若い世代の存在は、実は彼らが読む本の動きでしか僕たちの前には現れてこないと思っている。
僕が本を探し、読むのも、日本の将来への期待を託すべき見えない相手を探すためなのである。
そしていつかは彼らが見え、一緒に隊伍を組む日が訪れるのが唯一といえばそうもいえる僕の希望である。
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