小森陽一:「村上春樹論」平凡社新書
小森陽一さんが平凡社新書で「村上春樹論」を出したというので早速買ってみると、一般的な作家論でなく、「『海辺のカフカ』を精読する」という作品を指定した副題がついていた。
2002年9月11日発行のこの小説を僕は読んでいなかった。当時話題にはなっていたが、まったく興味を感じなかったのである。それは現実に進行しているブッシュ政権の戦争政策とその結果をフォローすることが忙しかったこともあるし、その情勢の中では、これまで村上春樹の作品は大半読んではいたが、読むたびにいつも感じるうそっぽさ(たとえば現実の日本の地名が冠せられていても、そこはけっして僕の住んでいる場所とは連続していない外国であるような感じ)が余計に目立ったからである。
しかし、「海辺のカフカ」を読まないで評論だけ読んでも始まらないので、「けっして書き込みをしない」という約束で長男に借りて小説を読み始めた。これに3,4日かかって、小森さんの本自体は、病院の当直の晩、一晩で読み終えた。(けっして暇な当直だったわけでなく、忙しくて眠れなかったので、本を読む時間も少しは生じたということである)
基本的に小森陽一さんの主張に賛成する。一瞬、歴史や現実と向き合うふりをして、次の瞬間には、歴史や現実を考えること自体を無意味に感じさせてしまう村上春樹の手法が、このときどんな役割を果たしたかよくわかった気がする。
小森さんの本のほうで、小説の舞台である高松を、一貫して松山と間違えているのは、松山市のほうが人口が多いのでそちらで本が売れることを期待してのことであろう。
小森さんが引用せず、僕がここは重要と持ったところを以下に書き抜いておく。下巻155ページ、主人公田村カフカが佐伯さんに話す話である。
「僕が求めている強さというのは、勝ったり負けたりする強さじゃないんです。外からの力をはねつけるための壁がほしいわけでもない。僕がほしいのは外からやってくる力を受けて、それに耐えるための強さです。不公平さや不運や悲しみや誤解や無理解ーそういうものごとに静かに耐えていくための強さです」
不公平や不運や悲しみや誤解や無理解に直面することは、弱いものの人生ではごく普通にある。これを正面から解決するのではなく、静かに耐えていくことを強さといい、もっとも高貴な強さだと村上は主張している。まさに、新自由主義による格差社会の中で痛めつけられたり、やがて来る戦争で徴兵されるかもしれない青年を都合よく捉える論理が端無くも展開されているのである。
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