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2006年5月17日 (水)

「現代詩手帖」4月号で「茨木のりこ子 追悼特集」:中江俊夫の大胆な発言

しばらく詩を書くことから遠ざかっていたが、職場での役割も変わることを契機にして、もう一度、少しずつでも書きはじめてみようかと思っていた。

ちょうどそういう時、最近はまったく手に取ることのなかった「現代詩手帖」が、 4月号で「茨木のりこ子 追悼特集」を組んでいたので、これは一気に読んでしまった。

面白かったこと:多くの人が貴重な「茨木」体験を語っている中で、中江俊夫という人が「なんでこうなるのとびっくりするくらいどの作品も発想が紋切り型でどうもついていけない」「その作品を詩と感じることがほとんどなかった」と書いていた。この人は、茨木のり子の属した同人誌の同人だからびっくりする。

しかし、そのすぐあとに、辻井 喬が、茨木のり子の「存在のあり方と作品の基本的な性格を」論じると、「それが現在活躍している詩人たち」への批判になると書いている。もちろん、辻井のほうが正しいと思うが、追悼特集であるにもかわらず、堂々と思っていることを包み隠さず書いた中江という人が、もしかすると、もっとも茨木のり子の姿勢をまっとうに受け継いでいるのかもしれないという気がした。

それはそれとして、辻井の言うように、個別の「経験のなかに普遍性を見つけようとする詩」だという性格付けはあたっているし、そういう詩こそ僕が目指すものだ。

鈴木志郎康が「茨木さんが使う言葉は、知識としての言葉でなく、自分の戦争体験を元に、国という社会的な広がりを持たせた範囲の現実の体験から得た言葉なのだ。茨木さんは言葉を使って生活を語り、国と向かい合い、人々の側に立って生きることを模索する。つまり、詩を書くことを誇りとする」生き方だ、と言うのも同じ意味である。

ところで、茨木のり子の父は「田舎の外科医」であったが、名もない大衆の「他人に襲いかかる死神を力まかせにぐいぐい のけぞらせ つきとば」したと表現されている(「花の名」)。僕は外科医ではないが、医師ではあるので、そういう存在でもありたいと思う。

詩を書くことも誇りにして、仕事も誇りにして、というのは欲張りすぎだし、できもしないことだろうが、それが当面の僕の展望である。

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