2019年5月22日 (水)

SDHとSDGs

たとえばこんな定式化は可能か?

私達が家庭医療学を採用しようとする動機は SDH に基づき

私達がまちづくりを目標に掲げる根拠と方向性は SDGsで裏付けられる。100 101

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2019年5月21日 (火)

幸福は大切だ、自分の幸福でなくても

ネットフリックスで何度か見直した「アフター・ライフ」という、イギリスのアンダークラスの生態を描いたドラマのなかで、「幸福は大切よ、自分のものでなくても。むしろ、自分の幸福でなく他人の幸福のために尽くすことが人生の目的じゃないかしら」というやや語りすぎたと思える場面が最後の方にある。
(キリストにそっくりのホームレスのジャンキーが、依存症を自己責任とする風潮に抗議しながら、主人公の与えた金で買ったヘロインを大量に静脈注射して死ぬ。それを契機に主人公は立ち直る。キリストの犠牲の暗喩なのだろう)
 
これは、いま日本で本屋大賞受賞して話題になっている小説「そしてバトンは渡された」の最後のサビの部分とほぼ同じ趣旨である。
 
イギリスと日本でほぼ同じ時期に同じようなことが語られるという現象は面白い。
 
*さすがに僕のようなおじいさんは、この本を読むことを通常の読書には数えられないのであるが・・・20190322000000002dramanavi100viewthumb60_1 60926424_2170141443068598_22937253774633

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2019年5月18日 (土)

テッサ・モーリス=ズズキの朝日新聞投稿

5月14日515 60221949_2160306294052113_47991457329866 の朝日新聞で、オーストラリアの歴史学者テッサ・モーリス・スズキがこんな鋭い発言をしていた。オーストラリアではアボリジニを白人社会に同化させるだけではなく国土の1/4の土地を彼らに返そうとしている。日本はアイヌを観光資源にするためだけに彼らを先住民族と認めた。
 
彼女の著書「過去は死なない」岩波現代文庫を半分読みかけて放置しているのを思い出した
・・・・・・
「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」が先月、国会で成立した。アイヌの人々が「先住民族」であることを法律に明記した初めてのものとなる。
 日本政府も賛成し、2007年に国連総会で採択された「先住民族の権利に関する宣言」にともない、世界中で先住民族の権利拡大の動きが進む。今回の法律はアイヌ民族を先住民族と認定した点では評価できるが、基本的な課題を残したままの法律となってしまった。先住権の保障に、まったく触れていないからである。
 先住権には、先住民族が住んだり所有したりしていた土地での民族自決権や自治権、土地権、山林や河川における採取・狩猟(生活)権などが含まれる。世界中の多くの国で、先住民族の認定は先住権とセットになっている。先住民族と先住権は切り離せない関係にあるからだ。
 私が住むオーストラリアでは、すでに国土の4分の1が先住民族に返還された。台湾でも、先住民族基本法に基づいた土地返還のプロセスが進行中だ。カナダもニュージーランドも米国もオーストラリアも、返還された土地ではもちろんのこと、国立公園や国有地などで、そこにある資源を利用した広範な経済活動を先住民族に認めている。
 今年1月の施政方針演説で安倍晋三首相は「アイヌの皆さんが先住民族として誇りを持って生活できるよう取り組みます」と述べた。しかしその政策は「人権」や「民族共生」の項ではなく、北海道白老町に「民族共生象徴空間」を創設するとして「観光立国」の項に入れられていた。先住民族の資源権を認めない政府が、逆に先住民族を観光資源として利用しようとしているのである。
 英国という遠い国の人々が植民地にしたオーストラリアとは異なり、アイヌ民族の場合は日本国家が少しずつ拡張しながらその土地や権利を奪っていった。奪った側に「土地は先住民族のもの」という意識が薄くなっていたことが、先住権が認められなかった一因だろう。
 先住権を認める政策に対し「少数派を優遇するな」と訴える人々は、どの国にもいる。だが、圧倒的に強い国家・国民と少数の民族という、非対称な権力構造のもとで行われた収奪で、奪った者と奪われた者の権利を同一視することはできない。
 北海道の国有地を返還するのには長い道のりが必要かもしれないが、国有地で先住民族の資源権・生活権を保障することは今すぐにでも実行可能だし、現に多くの国々が行っている。先住権獲得への闘いは、新たなステージに入った。

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社会主義かどうかの見分け方

一昨日60849477_2163734317042644_17626685669868 の朝日新聞。空港の待合室で撮影したので読みにくいが、スクラップがわりにはなる。
 
「貧困を社会的不正義と思うかどうか」で政治的立場を二分できるという話。そして特定の理論、イデオロギー、革命プログラムによらず、貧困を社会的不正義とすること自体が社会主義の主流となり、その中に空想的社会主義も、科学的社会主義も、フェビアン社会主義も包摂して存在しているというのである。
 
これはつまり普遍的正義が存在するという立場で、政治哲学的にはロールズやセンに代表されるリベラル平等主義の立場に等しい。
 
これを堂々と表明する豊永郁子さんに敬意を表する。と同時に僕たちは「回避可能な不健康の生じることを普遍的不正義とする」というマーモット派のリベラル平等主義者、社会主義者であることに不意に気づく。

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2019年5月10日 (金)

何がフロントなのか

今日の朝日新聞には政治学者 白井聡さんのインタビューがあって示唆に富むものだが、山口版では金子小児科主催の日本最大の子ども食堂「みんにゃ食堂」の記事。
 
高くて僕などは足を踏み入れたことのない割烹「明徳」も協力している。宇部市の支配層が総力あげて地域統合に乗り出しているのが痛いように分かる。彼らにとっても地方崩壊の危機感は切実なのだ。そこは分断によって利益をむさぼるだけの中央の支配層とは立場を異にする。
 
地域に左右問題はなくて上下問題しかないとオカシオ=コルテスが言っている意味が少し見えてくる。すこし違って上下問題でなく集中分散問題が地方のフロントなのである。59887950_2152611034821639_25835037027781 60035594_2152601441489265_41775805097459

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2019年5月 7日 (火)

優秀な若者

休みだったはずの5月6日も、この間3人目になるお見送りのため病院のにきて、ついに孤独に連続勤務した10連休が終わった56 。正直なことを言うと「令和」で死亡診断書を3通作成した。一つは眠くて「冷和」と書いてしまった。線をつないで分かりにくくしたが、あれはどうなったかな。
 
他の医師とはほとんど会話しなかったな。
その代わりに、いまは藤沼先生のPodcastを聞きながら
ぼんやり葬儀社の到着を待っているところ。
 
https://soundcloud.com/yasuki-fujinuma/no-36these-are-genuine-primary-care-research-papers?utm_source=soundcloud&utm_campaign=share&utm_medium=facebook&fbclid=IwAR08G3myg60A028P7liBbDaNKxePe-WLSwe4_AegBJ4Y9hzD9laBC_2aACA
 
紹介されている青木さんの記事を調べて優秀な人もいるものだと感心しながら、疲労の蓄積も感じる。明日から仕事する気になるかなぁ。診療はいいとしても会議などは機嫌よくできない気がする。
 
さて、青木さんについては京大大学院社会健康医学系のサイトが自ら絶賛している。http://www.healthcare-epikyoto-u.jp/news/index.php#info89

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「普通の映画」

58916968_2144019669014109_41078971478594 58749287_2144019512347458_26859489205797 「普通の映画」の2大テーマ
①子どもが大人になるための通過儀礼
②一度社会的に死んだ大人の再生
このテーマを延々と繰り返しているのは、人生の危機がこの2つで代表されることの反映だろう。

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2019年5月 6日 (月)

健康の社会学が必要だ

個人の健康に社会が決定的な影響を及ぼし、それは胎児期を含む乳幼児期、学童期、労働に従事する青壮年期、老年期のそれぞれで特徴的な様相を呈するというのが、健康の社会的決定要因SDH論の到達点であり、「患者中心の医療」現場に欠かせない厚みをもたらしている。患者のヴァイタルサインの一つとして貧困と孤立をすべての患者で測定するなど。
 
しかし、そこではまだ社会は与えられた条件、枠組みとしてしか存在していない。そことは次元を異にしながら、必然的に生まれて疑問もあるはずである。
健康を目的とした、あるいは健康をそれ自体の評価基準にした社会はどういうものであり、どう形成されるのかという問題である
 
それは医学というより社会学そのものではないか。社会がこれまで健康をどう位置付けて来たかという歴史はその基礎になる。「健康権」ははやばやと確立した結論だが、その先は見えていない。私たちはそれに対して仮に「まちづくり」「コミュニティデザイン」という名前をつけている。

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2019年5月 4日 (土)

After Life その後の人生

深夜、Netflix で 「After life 」というドラマを見てみる。
 妻を癌で亡くしたローカル新聞記者の男の日課は妻が残したメッセージビデオを見ることと、老人ホームの父親に 父親は男のことを忘れているが、ある日突然「お前は俺の息子だ」と思い出して、子ども時代の男を助けたエピソードを語り出す。父親にはそれが今のことになっている。「明日なんとかするからな」
「それならもう助けて貰ったよ。あの時はありがたかった。愛しているよ」と男が涙ぐんで言った瞬間には父親はもうそのことは忘れていて、「あんたはゲイなのか?」という。
 不幸感のあまり職場で周囲に当たり散らす男に、上司となった義弟は「君がいま非難したあの人に昨日何かの不幸があったかもしれないと想像できないのか」と諭す。そのあと義弟が離婚の危機を抱えていることに男はやっと気づく。
 墓地でよく会って友達になった、夫を亡くした女性は「幸福は大切。自分のでなく他人のであっても。自分はもう幸福にはならないから、これからは他人の幸福に役立つことにこそ意味があると思うようにした」と語る。
 
まるで山田太一がシナリオを書いているみたいで、こんな私小説風のドラマがアメリカにあるのだと思わず感心。
と思ったら、これはイギリスの作品だった。20190322000000002dramanavi100viewthumb60

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2019年5月 2日 (木)

「幸せな男 ペア」

5月1日は午前病棟勤務だったが、午後に予定していた仕事が捗らなくて、結局netflix で「幸せな男 ペア」というデンマーク映画を見た。
 
1917年にノーベル文学賞を受賞した同国の作家
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ヘンリク・ポントピダン
 
の小説が原作らしかったが、美しい画面と音楽を裏切る違和感に満ちたストーリーに遭遇して、しばらく考えこんでしまった。
 
優れた才能と自己中心性で、出会った4人の女性を次々と、さらには周囲のみんなを不幸にしていく主人公がいる。
その行動の核になるのは、祖父から父へと伝えられて来たパターナリズムへの反抗で、虐待と懐柔を一体にした父のあり方の象徴が「代々プレゼントされる懐中時計」なのだが、それを息子に渡す道を絶つには、家出して荒野で絶対的な孤独の余生を選ぶしかなかった。
 
死を前にして「完全な孤独の中に本当の解放があった」と、過去にあまりにも身勝手に捨てた、しかし今は唯一の理解者となった女性に直接語ることができたので、主人公は題名のごとく「幸せな男」になる。
 
と、書いてみても分からなさとやりきれなさが残る。
 
島田裕巳という宗教学者の本に『映画は父を殺すためにある』(ちくま文庫2012年) というのがあるが、その題名だけ借りて考えるとこの映画が理解できるかもしれない。
人を傷つけるだけの「父」的なものを殺し、平和で共生的な母的なものに帰依したいという願望の現れなのだろうか。
 
原作の時代を考えると、支配的な父的なものといえば世界戦争に向かう趨勢のことだったろうから、父殺しは切実なものだったろう。66abe5bfa5cd4a219481359ac1bdd957 5d81615a9ac74bc6b4c8922dff65d469

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