2025年1月14日 (火)

利他主義

ル・グィンの小説で唾棄すべきものとして描かれる「利他主義」は宗教のことであるように思える。

利他主義のどこが悪いのかと考えると。

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共苦主義

共に生産し所有する前に、共に苦しむしかない時代が来るのはほぼ間違いがない。
しかし、「共苦主義」に集まってくる人はいないだろうなぁ。

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新しい診断機器 MRI「DWIBS(ドウィブス)」

売り込みのときは「PETまがいの機能」と言われていたのだが、実際に使ってみると全身MRI=DWIBSは、撮影の簡便性からみてプライマリ・ケアに親和性が高い。
保険適応の範囲も大きく拡大されている。
何の前触れもない飛び込みの患者さんでも、初診後30分-1時間で、全身転移した盲腸癌の画像を困惑しながら眺めていたりする。
ヤブ医の大いなる味方である。
救命にはつながらなくても、全身画像から直感的に問題の箇所が見えるので、多職種でイメージを共有すれば末期ケアの適切さが向上する可能性がある。
治療可能な癌への対応はゆっくりでもいいが、進行した癌患者の残された日は少ないからその診断は速い方が良い。
人口100万人あたりのMRI台数が日本は57.4台で世界1位(2位は米国38台)という特殊な状況だから言える話ではある。
放射線科の画像診断専門医の数は逆にアメリカの1/4と先進国で最下位に近いから、非専門医のごく粗い診断に終わり、貴重な情報は捨てている可能性もある。
上記の数字から言うと宇部山陽小野田圏域25万人でも15台あると言うことになるから、まもなく中小病院の大半でDWIBSが使われることになるだろう。そうなると診断の景色が少し変わる。
電子リニア走査の超音波診断装置が普及したときくらいの意味はあるだろう。(メカニカルなセクター走査の心臓用の機械で、僧帽弁狭窄と胆石!を見つけることから僕の超音波検査歴は始まっているー誰もわからないだろうなぁ)
ということで、多職種画像診断学習会の資料を少し作ってみた。

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ル・グィンの世界

惑星テラを出発し、惑星ハインで大いに栄えた人類はさらに、ゲセンや、ウラス、アナレスという惑星に居住していく。
ゲセンでは人類は両性保有に進化していく。
ウラス、アナレスは同じセティという太陽を回る兄弟惑星だった。そのウラスの反乱で演説されるオドー主義者の主張。
荒廃する環境と資源を共有し、苦悩で結束する、相互扶助を唯一の原理として生きる人類。
気候危機のテラにあって、僕もオドー主義者になろう。

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ル・グィンとレーニン

ル・グィンは、道路の向こう側の暗がりから「私は誰?」と呼びかけて来る人を描くために小説を書くと言っている。

深夜の病院からの帰り道の自転車の上で、いま僕に向かって誰がそう言ってくるのだろうかと考えると、やはりレーニンしか思い浮かばない。
だとすると何も書けないのが当然である。

しかし、こんなことを思うのは、実はル・グィン自身が、レーニンを描きたい時があったことに暗示されたのだと気づいた。
長編『所有せざる人』に先行する短編『革命前夜』(自選短編集『風の十二方位』の最後)を読むと、そこには脳卒中後のレーニンをモデルにしたと思える主人公がいたからである。
長編の方はオッペンハイマーから着想を得たものらしいが。

カート・ヴォネガットは『猫のゆりかご』で、ジョン・フォン・ノイマンをモデルにしたが、これらがアメリカにおける原爆開発の小説に与えた影響だろうか。あまり知らないことを書くものではないが。

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2024年12月27日 (金)

地域経済のそれなりのアクターだという自覚と発想

地域保守層には、地域に対する支配・所有感覚があるからだろうか、良くも悪しくも地域全体を捉える視点、言い換えれば、地域からの承認を求める気風と地域への危機感がある気がする。
造り酒屋の若主人が新酒フェスで工場を開放して人を集めたり、老舗旅館主が商店街全体の活気を取り戻すことに奔走する、
小児科開業医がアイデア豊富な有力代議士の妻とタッグを組んで、大規模な子ども食堂を展開したりするのもそのうちに含まれるだろう。

それで何が変わるのかという気持ちが僕にはあるが、一方、民医連側の経営幹部はオーナー気分、旦那気分がない代わりに、自己承認や賞賛を求める対象が内部に留まることが多く、衰退する地域をどうするかという危機感を持てないことが多い気がする。地域企業の中での知り合いは第2地銀の支店長だけということはないか。

土地の顔役とつるんで触法すれすれのプロジェクトに走るのはもってのほかだが、地域経済のそれなりのアクターだという自覚と発想はほしい。

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2024年12月25日 (水)

2024.12.25 県連理事会挨拶  

年も押し迫った夜に会議参加ご苦労さまです。
昨夜まで宇部協立病院の病棟にはどこもクリスマスツリーが飾ってあり電飾が光っていましたが、その一方サンタさんが病棟に現れる余裕は今年もなかったようです。

もちろん、インフルエンザとコロナの旋風が病棟を襲っているさなかなので当然のことではありますが、私達を追い詰めているものはそれだけではないのが、この年末の特徴です。
全国の医療機関を襲っている、未曾有の経営困難がその正体です。

1982年に病床わずかに50床、医師は30歳代前半の実質2人という小病院から出発して、二次救急輪番病院グループになんとか参入でき、分野によっては独自性も打ち出せていた地方の中小病院の位置づけがいよいよ危なくなっています。このままでは、最低限の病院機能を失う可能性もあるといって過言ではありません。
圧倒的な稼働医師不足に加えて医師の高齢化が止まらないことが主体的な理由ですが、背景として地域の経済的衰退、加速する人口減少、地方まるごとの急性期病院削減がより根源的な原因として存在します。

現状と比べてみるのに最も良いのは、現在の病床数に達した1989年頃です。その頃は若手医師が「国内留学」して新しい医療技術を身に着けて帰ってくれば、それがそのまま医療活動の拡大や医療の質向上につながり、経営規模も大きくなっていきました。急性期病棟、つまり一般病棟の病床数でいうと、今の3倍だったことが信じられるでしょうか。
医師の若さという「ボーナス」を手にして、地域の病院拡大競争に勝ち抜いてきたとも言えます。

しかし、いまはまさにその対極にあります。例えば、夜間の当直業務の大半が紹介会社からの派遣医師で担われていますが、この部分で病院の「特色」というものがありようはずもないではありせんか。外来も短時間勤務の医師に多くを託しており、病棟は少数の高齢医師による365日24時間対応という過酷な勤務態様で支えられてます。
私としては、こういう病院現場をどれだけ、法人や県連の役員と名がついた人に理解されているのだろうかといささか心もとない気がしています。

つまり、この中小病院は推進力を失った飛行機のような状態で、良くても高齢救急患者増という上昇気流を捉えて浮かんでいるグライダーになっていると言って良いのではありませんか。それに加えて、話題に浮かぶあれやこれやが目くらましの上昇気流に見えてしまうというのも困難の一因になっているように見えます。
こういう状態で、地方中小病院の「経営戦略」をこれまで通り医師中心の技術力をもとに構想するのは全く無理だし無謀です。
早晩来る高齢医師の病気などによるリタイアで自動的に「ダウン・サイジング」を余儀なくされ、そこで考え始めればなんとか乗り切れるのではないかというのは幻想です。その際の犠牲はあまりに大きいと言わざるをえません。

しかし、この地域に住み続け、生きていかなければならない人々の医療への期待が消えることはないし、その期待こそ、気候危機・格差拡大・人口減少に直面した社会を、これから反撃ののろしを上げて変革する力の源になっていくはずのものです

だとすれば、その期待に応え、そのことによって将来に亘る自らの存在意義を獲得しようとする地方の中小病院は、いまこそ自己像を変える必要がある。それを大げさに「経営戦略」といえば、そういうことになるのだろうと思います。

医師の技術向上をエンジンにした飛行機のように自分たちを思わないことが大事です。

中小病院として当然要求されるだろう、ありふれた疾患に対する標準的な医療技術と安全と倫理は、特別に有能な医師の能力を必要とするものではありません。たとえ、紹介会社から派遣されてくる医師が多くても、彼らにマニュアルを提供し、しっかり守ってもらえるよう働きかけることで水準は守ることができます。
最低限、かかりつけの患者の救急車受診を断らないようにしないといけません。
新たな地域医療構想の中で、コアになる急性期病院が限定され、その他の中小病院がより地域密着型となって亜急性期・慢性期の医療を引き受けざるをえなくなる今、何が必要なことかこのように探っていかなければなりません。
考えてみると、山大救急部の鶴田教授がむりやり下関をモデルにした二次救急輪番制度を宇部小野田に持ち込むまでは、どの中小病院も立地するそれぞれの地域の救急に責任を持つのが当然だったのです。ある意味、そこに戻っているわけですが、病院の力量が全く違うことに留意しないと行けません。

ベテランの常勤医が行なっている業務も医師任せにしないで、ともすれば年齢的に後退しがちのところを標準的水準を維持できるよう支援することなど、全て組織的集団的に努力すれば可能です。

これらのことは例えてみれば、基本的な走行機能とメインテナンス機能を備えた堅実なローカル鉄道のイメージでしょうか。実は、こうして何かに例えて違う視点で考え直さなければ柔軟な発想を得られないのではないと思います。
たとえば、JRが見捨てた美祢線の復活を引き受ける、あるいは宇部線が廃止されることになってそこを民間で任されたら皆さんは何をしますか?

安全性、正確性、快適さ、バリアフリーさ、駅の清潔感、運行頻度、駅前広場でのビール祭りなどの地域社会への貢献、貧困者や高齢者の無料化など、アイデアは次から次へと湧いて来ると思えます。そのアイデアを自分たちの病院に落とし込んでいけば良いのではないでしょうか。

新たに備えるべき技術もそのイメージの中で生まれてきます。

アウトリーチに徹したソーシャル・ワークで住民の生活困難を掘り起こし、迷わず『困った』といってもらえる病院になること、その中にはいま朝日新聞にも連載されている身寄りのない人のための支援、死後事務なども含まれます。さらに安くて安心して住める共同住宅の確保と運営などもあります。
最近、宇部と山口で、特に市営住宅の集会書を会場にしてあちこちで開いている「健康カフェ+相談会」の手応えは素晴らしいものがあります。健康相談に応じていると、このひたすら傾聴に徹する態度は、これまでの自分のどこから生まれてきたものだと不思議に思うくらいです。この水準なら医系学生や公衆衛生研究者や行政を招いて地域を変える健康活動というテーマで共同研究できるなと思い始めました。

それと二本柱となるのは、個人の尊重と個人の尊厳を守り切る家庭医療学や「ケアの倫理」をベースにして、マンネリになった日常診療を再編成、再生することです。

「再生」と呼ぶイメージはまだ断片的で多くは手探りで進む状況だと思いますが、総合診療とは合理的な診断や治療上の意思決定をする技術だというレベルを超えて、「病いの中にある人間の経験」に向かい合うものとして深めていく延長線上にある気がします。まさに総力戦で掴み取っていくものではないかと思います。

こうして二本柱に徹して、部厚く、地域住民の支持を集めたものこそ生き残れるし、生き残ったことを反撃の拠点に、新しい地域を創造する展望を獲得できるのはないでしょうか。

2024年の終わりにあたって、自分が大事だと思うことを述べさせていただいて挨拶にしたいと思います。今日は、全日本民医連の第2回評議員会方針案も紹介されます。また、北九州小倉の「抱樸」からプロジェクト「希望のまち」についてお話しいただくようにしています。

熱心な議論をお願いするものです

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2024年12月23日 (月)

物理学の勉強を始める

高校生の頃、物理は好きだったが、文芸部活動にのめり込んで学習時間が短く、なにか本質的なことが理解できない感じのまま卒業した。
大学の教養部2年間でも物理は必修だったが「医学・生物学のための物理」と題されて応用的で中途半端なまま終わった。ここではドイツ語にのめり込んでいたのでやはり学習時間が足りなかった。

浪人して予備校に、できれば2年間くらい行けば良かったなぁと思うのはこのことである。まぁ家計から見れば無理だったと思うが。ともかく入れる学校に入って、一刻も早く初任給をもらいたいと思っていたから。実はそれで民医連に入ったとも言える。1976年。

というわけで、今ごろになって古典物理学のいろはから学習。

運動方程式 F=mα はそれを信じ込むしかない原理である。

つまり、「人間には人権がある」、「人間は平等だ」というのと同じくらい、それ以上考えることはできない類のものなのである。

そう教えてほしかったなあ。力とは何かなんてわからない、それは物体に加速度を与える何かなのだと断言してくれれば迷わなかったのに。

力には重力(非接触の場の力)と接触力(接触したことで働く力)しかない。弾性力とか垂直抗力とか摩擦力と張力とか浮力とかてんでバラバラに名付けられているが、これらはみんな接触力なのである。そして接触力とは電磁気力にほかならない。

また、力は作用・反作用と必ず双子で存在する。つまり力は相互作用なのだ。

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2024年12月18日 (水)

中小病院の経営戦略 卓越した医師は要らない

二次救急輪番病院グループになんとか参入できて、分野によっては独自性も打ち出せていた地方の中小病院の位置づけがいよいよ危なくなっている。このままでは、最低限の病院機能を失う可能性もある。

医師数不足・残っている医師の高齢化が主体的な理由だが、地域の経済的衰退・加速する人口減少、地方まるごとの急性期病院削減、がより根源的な原因になっている。


比べてみるのに最も良いのは、多くの病院が現在の病床数に達した1990年頃である。その頃は若手医師が「国内留学」して新しい医療技術を身に着けて帰ってくれば、それがそのまま医療活動の拡大や質向上につながり、経営規模も大きくなった。その競争が地域を支配していた。

しかし、いまはまさにその対極にある。例えば、夜間の当直業務の大半が紹介会社からの派遣医師で担われている。ここにはその病院の「特色」というものがありようはずもない。外来も短時間勤務の医師に多くを託している。病棟は少数の高齢医師による24時間対応という過酷な勤務態様で支えられている。

つまり、地方の中小病院は推進力を失った飛行機の状態で、良くても高齢救急患者増という上昇気流を捉えているに過ぎないグライダーになっていると言って良い。それに加えて、話題になるあれやこれやが目くらましの上昇気流に見えてしまうというのも困難の一因になっている。曰く、早期認知症の薬物治療、MRIの新機能の宣伝などなど。

こういう状態で、地方中小病院の「経営戦略」をこれまで通り医師中心の技術力をもとに構想するのは全く無理である。

それと逆に、高齢医師の病気などの自然発生性に拝跪する「ダウン・サイジング」でなんとか乗り切れるのではないかという幻想を抱いているのであれば、早晩墜落するのが必然的だろう。

しかし、この地域で生きていかなければならない人々の期待が消えることはないし、その期待こそ、気候危機・格差拡大・人口減少に直面した社会を変革する力の源なのである。

だとすれば、その期待に応え、そのことによって将来に亘る存在意義を獲得しようとする地方の中小病院は、自己像を変える必要がある。それを大げさに「経営戦略」といえば、そういうことになる。

医師の技術をエンジンにした飛行機だと自らを思いなさないことが肝要である。

中小病院として当然要求されるだろうありふれた疾患に対する標準的な医療技術、安全、倫理は、特別に有能な医師の能力を必要とするものではない。たとえ、紹介会社から派遣されてくる医師が多くても、彼らにマニュアルを提供し、しっかり守ってもらえるよう働きかけることはできるだろう。最低限、かかりつけの患者の救急車受診を断らないような。

自前の医師が行なっている業務も医師任せにしないで、標準的水準を維持できるよう支援することなど、全て組織的集団的に努力すれば可能である。

それは基本的な走行機能とメインテナンス機能を備えた堅実なローカル鉄道のイメージだろうか。

そして、新たに備える技術もそのイメージの中で生まれてくる。

アウトリーチに徹したソーシャル・ワークで住民に生活に肉薄し「素直に『困った』といってもらえる」関係を作ること、その中にはいま朝日新聞にも連載されている身寄りのない人のための支援、死後事務なども含まれる。

しかし、最も重要で決定的なのは、個人の尊重と尊厳を守り切る家庭医療学・ケアの倫理をBASSにして、日常診療を再編成することである。

こうして部厚く、地域の支持を集めたものこそ生き残れるし、生き残ったことを反撃の拠点に、新しい地域を創造する展望を獲得するのである。そこにパースペクティブの広いリーダーが、たとえば今の医学生の中からだって現れてくることは確信を持って期待して良い。

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2024年12月12日 (木)

職員の多様性の尊重ということについて

日本プライマリ・ケア連合学会『プライマリ・ケア』2024年秋号に川崎協同病院の吉田絵理子さんが同性パートナーシップを医療生協の就業規則に組み込んだ経験を報告している。慶弔規定も区別なく適用されるので、晴れて結婚休暇を取得できてオーストラリアに新婚旅行にいったという本人の経験も語られている
「宇部市が同性パートナーシップを採用した、いいことだね」と言っている先に、自分たちがするべきことがあったのである。
見習いたい。
労働組合は、こうした就業規則の変更に努力しているだろうか。

別に、職員の多様性に立脚した就業規則という点では考えさせられる案件があった。

映画「海街ダイアリー」では、鎌倉に住む綾瀬はるから3人姉妹に、突然、長く生き別れで消息のしれなかった父親が山形の山奥の温泉で死んだという知らせが来る。広瀬すずが登場するのはその次の場面である。
そのようなことは、私達の組織の職員にも当然起こる。今回は、死亡から少し時間が空いていた。
それはどうであれ、生き別れの親の死は、子どもが失った親を取りもどす、かけがえもないがストレスも大きなライフイベントである。また法律的にも社会的にも遺族に課せられることが多い。
そのため忌引きの特別休暇を申請したら、忌引は死亡日から何日間と決められているからこのケースには与えられない、という総務部の返事だったという。
それを聞いて、総務部はいったい忌引きがなぜ就業規則に組み込まれていると考えているのだろうかと思った。
そこには、「ふつうの親子」の「ふつうの死」だけが慶弔規定適用に値するという隠れた差別意識があるのではないか。しかし、職員の人生もまた多様であることを認識するべきである。

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