2025年5月 9日 (金)
2025年4月30日 (水)
「福祉都市圏連邦オブ日本」UWJ
2025年4月25日 (金)
当面する変革の主体の発見
2025年4月23日 (水)
2025.4.23県連理事会あいさつ
桜も散って新緑の季節になりました。
常盤通りのハナミズキもきれいに咲いているのだろうと病院の中から想像しているところです。しかし、一青窈の「ハナミズキ」という歌の歌詞は謎です。2001年の同時多発テロのなかで死んでいく人が恋人か子どもの幸せを願ったものとされているようですが。
そういう季節なので、今日は3点だけ、もっと大きな志を持って前進しようというお話をさせてもらおうと思います。
第一は、このあとすぐ、祝島の清水町会議員に、原発・核燃料中間貯蔵施設計画をめぐる現地上関町の模様を話していただくことに関連します。
中間貯蔵施設を巡っては、今年2月の田布施町議会選挙で反対派議員が半数を占め3月には誘致反対決議を挙げたことが大ニュースでした。
これについては今日特別参加していただいた、宇部市の環境活動家 安藤公門さんから教えられたことなのですが、私たちとしては、それを喜ぶだけで、結局は田布施町を孤立させていいのかということが大事と思います。
原発・中間貯蔵施設の予定地である長島、そしてその正面にある祝島も宇部から見えるところにあるのです。田布施町の出来事を喜んで、足元の宇部市議会が全く動かない、動かないどころか、夫婦別姓にはいち早く反対決議を挙げるられてしまうという状態にみんな平気なのかということです。僕ら自身が大きな志を持つことが大事です。
2点目は、いま全国で県単位に検討が進められている「地域医療構想」についての私達の態度です。ネットを検索すると各県の審議の模様がよくわかりますが、どの県でも共通しているのは「2040年には就業者数が大きく減少する中で、医療・福祉職種の人材は現在より多く必要となる」ということです。
これがすごく難問になっているように見えますが、就業者数の多くを医療福祉に向かわせれば簡単に解決することではないですか。むしろ、そのチャンスだと捉えられませんか。
全日本民医連が今年2月に80/80パンフというのを作りました。各県の地域医療構想の根っこには、医師はすでに過剰になっており、問題は偏在をどうか解決するかだけだという政府の情勢認識があります。
しかし、それは病院勤務医の月の残業時間は80時間、開業医の引退は80歳という2つの80があるということを鋭く指摘しているパンフです。そんな状態の医師に診てもらおうという患者や国民がどこにいるかと問いただしたいと思います。
医師を増やすということは、ただ医師の労働条件改善の問題ではなく、医療・介護・保育・教育、交通、住宅、食糧生産など人間のケアを中心にする社会構造にしていくかどうかの別れ目を問う大問題なのです。そういう意味では診療報酬改定もケア中心の社会への歩みの一歩です。
山口県医師会勤務医部会の「勤務医ニュース」2025年3月号には「救急医療の医師の負担軽減について」という生々しい座談会が載っています。
これも全部を資料として添付しています。
基幹の大病院からの出席で、中小病院は無視されているとは言え、それなりにリアルな悩みが述べられていま。この悩みも思い切った医師増員でしか解決できないと思います。
3点目は、僕ら自身の仲間作りです。
それには医学生、医療系学生対策と将来の職場作りを一体化して考えることが今こそ必要だと申し上げておきます。
一人一人が職場作りの目標を持ったとき、初めて学生にも職場を見せ共に働くことを語る事ができるのではないでしょうか。
それを推進する仕組みを作りたいと思います。入り口は小さく「医系学生実習実行委員会」として提案します。病院の何を見せるかを考えることが、実は病院を変えることになるのを狙います。
数年前、入り口を大きく構えて「未来構想会議」として作ってうまく行かなかった経験もあるのですが、今年は形を変えて改めて再挑戦したいとき思います。
資料につけたのは、美祢市立病院の下川先生の投稿です。地域に密着したコミュニティ・ホスピタルについては私たちも相当以前から意識していましたが、病院の方針としては美祢市立病院の後塵を拝することになりました。こういう言語化が職場作りの方向も決めるし医系学生実習のあり方も一変するのではないでしょうか。
以上で挨拶を終わります。
今月も熱心なご議論をお願いします。
2025年4月21日 (月)
ローカル政治新聞への寄稿
ローカル政治新聞への寄稿
今日は人口に膾炙する3つの数字について触れたい。8020,8050、8080である。それぞれハチ・マル・二イ・マル、ハチ・マル・ゴォ・マル、ハチ・マル・ハチ・マルと読む。なんとなく旧日本軍や自衛隊の時刻の呼び方に似ているのが気になるが。
「8020運動」は1989年に厚生省と日本歯科医師会が始めたもので、80歳になっても永久歯32本のうち20本が残る人を50%にしようというものだった。運動開始時は達成率わずかに7%だったのが、2022年には51.6%になり、次の目標が80%となると同時に、口腔機能の老化オーラル・フレイル防止が次の課題に浮上してきたという成功談である。しかし、最新の雑誌「月刊保団連」2025年4月号の特集は「追い詰められる歯科医師たち」となっている。相次ぐ診療報酬改悪で保険診療の枠内では必要な最低限の歯科医療が不可能となっているのだ。輝く8020の将来は実は暗いのである。
「8050問題」も深刻である。80代の親が50代の子どもの生活を支える状況を言う言葉だが、1980年代以降の青年の孤立、精神状態の危機、雇用の悪化、低賃金の蔓延、介護保険と年金制度の後退など、日本の社会保障の困難が全てここに流れ込んでいる。医療生協健文会の地域福祉室「メロス」が日々苦闘している事案の多くがこれに関連する。その意味ではこの言葉は表面的で軽すぎる気がする。
最後の「8080前提」は大半の人が知らないだろう。「前提」をくっつけたのが僕のとっさの命名だからである。厚生労働省は2029年以降に医師が過剰になるとして、今後の医師数削減を計画し、問題は「医師の偏在」のみとしている。そして、この政策における前提こそ、病院勤務医の「月80時間の時間外労働」と、開業医80歳引退なのである。つまり、これが「8080前提」なのである。どこにそんな医師によるケアを望む患者・国民がいるのかを訊きたい。
思うに、医師数の飛躍的充足は医師の労働条件だけの問題ではない。実は人類の切迫した未来にかかることだ。医療・介護・保育などのケアをはじめとして、教育、交通、住宅、食糧生産などが、単位となる地域経済の主力に位置づけられる時代こそ「資本主義の次に来る世界」(ジェイソン・ヒッケル)そのものなのではないか。そしてその実現はゆっくり待ってはいられない。到来が必至の大災害時代に間に合わせなければならない火急のことなのである。
2025年4月17日 (木)
不幸の人として
自分を客観的に見ると、いろいろ不利・不運なことが重なっている。
大学を卒業してゆっくり取ろうと思っていた運転免許が、仕事をうまく休めなくて、ついに取得しないままになり、公共交通の不備な地方生活にあっては致命的に近い弱点になっているのもその一つである。これでは緊急時に駆けつけたり、とっさに誰かを病院にも運べない。
また、色々機能の落ちる高齢になってまでレギュラーメンバーとしてフルに働かなければならない状況に置かれていることも自他共に良いこととは言えない。
しかし、それらは一番軽いレベルで、その他に深く打ちひしがれることも多いのである。
それらを当然あるべきととして受け入れ、もとより迷いが多くて不完全な人生だと思いなしてみると、急に落ち着いてくる。
高い完成度、高い到達点などははなから縁のない環境だったのである。
目の前の患者や同僚職員からの評価を気にして、焦ることもしないことにした。弱点の多い医師に関わった彼らの不運と思ってもらうほかはないというべきである。それでも致命的な結果には大半なっていないのだからそれで良しと言うものだろう。
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