2020年10月27日 (火)

2020.10.31 医療生協理事会 挨拶原稿

秋も深まって、夜はもう暖房が必要な時期になりました。理事の皆様にもぜひご自愛のほどをよろしくお願いいたします。
 
さて国内では学術会議の問題が国民の心を深いところで動かしています。国民みんなが菅政権の無法なやり方に自分自身が侮辱された気持ちになっています。これによって来年の総選挙で政権交代する可能性は、本当に確実に日々高まっています。あの2009年がきっと再来すると思います。
 
国際的には核兵器禁止条約批准国が10月24日50か国に達し、2021年1月22日発効することとなりました。批准までにはいかないが基本的に賛成するという署名国を合わせると約90カ国になります。批准国を人口の多い順に並べるとナイジェリア2億1000万人、バングラデシュ1億6千万人、メキシコ1億2700万人、ベトナム9600万人、タイ6900万人、南アフリカ5900万人、マレーシア3200万人となります。署名国となるとインドネシア2億7千万人、ブラジル2億1千万人があります。もちろん米中露をはじめとする核保有国やNATO加盟国、日本や韓国など米国の同盟国が加わっていないという現状はありますが、それでも核兵器禁止を明確にうたった条約が地球上の数億人を集めるというのは、核兵器の終わりの始まりとしてものすごい意義があります。
一つ核兵器という問題のみならず貧困・格差、気候危機というそのほかの2大問題にも希望が湧いてくる画期的な出来事だったと思います。
 
目を健文会の中に向けてみると、常務理事会レベルでこの間山口銀行の経営コンサルト部門と情報交換を数回行いました。気候危機解決、貧困・格差解決を目指すからには、どうしても東京一極集中を抜け出して地域循環経済の確立が不可欠であり、その時地方銀行との協力は避けて通れないという思いと、今後の健文会の事業長期計画のための資料収集という目的があってのことですが、今日は一つだけ、そこで明らかになっている現状をお話ししようと思います。
 
山銀の方で私たちの宇部協立病院と県内の類似規模病院との比較の表を作ってくれました。資料をご覧ください。
まず目につくのは宇部協立病院の救急車の受け入れ台数の多さです。受け入れ台数を常勤医師数で割ってみると一人あたり年間80台であり、これはだいたい他の病院の2倍から4倍です。
しかし、救急車受け入れの焦点になる夜間・休日の内実をお話しますと、常勤医10人のうち4人しかその担当を引き受けられません。そのうち2人は僕を含めて65歳を超えています。さらに二次圏域の救急車が集中する二次救急当番の夜間・休日単位となると引き受けられるのは外科系の2人だけとなります。
この態勢で、年間二次救急当番54日、二次救急サポート当番64日を引き受けることができるのかというとそれは到底無理で、営利業者紹介のスポット医師が多数入って宇部協立病院の救急医療がようやく成り立っているのです。スポットで来る医師の中には地域の医療状況を全く知らない一見の医師もいます。それさえもこのコロナ事態の中で確保は簡単ではありません。もちろん常勤医が電話で相談にあずかるし、夜勤の看護師や呼び出し待機の放射線技師、検査技師が必死に彼らを支えているのです。
この少し背筋が寒くなる話の背景は何より、この20年足らずの間に35歳未満の医師が30%以上も減ってしまっている山口県の実態です。これも資料につけました。
銀行のコンサルタントとも話し合ったのですが、この状態は当分変わりありません。後期高齢者が今後増えて救急医療の有様も複雑に変化していくだろうとおもいますが、私達としては不安定な運任せに近いスポット医師の供給に頼りながら行くところまで行くしかないと思っています。しかし、その時、行政の責任追及や、同じような困難を抱えた病院同士の連携を考えなくていいのだろうか、というのが、この問題での僕のいま一番の関心となりました。
そういう先の見えない話だけでなく、在宅医療はもっと体系的に将来展望を語りうる状態にあります。
こうしたことを含めて、今しばらくお待ちいただければ、理事会、組合員、職員全体で議論するに耐える長期計画のたたき台が出来上がると思います。
さて、長期計画にも関連しますが、10月23日発表の厚生労働白書によると高齢者人口がピークを迎える2040年医療福祉分野の就業者数は2018年の826万人から250万人も増えて1070万人に達し、何と就業者全体の20%、5人に1人は医療福祉従業者だという見込みが示されています。時代全体私達に追い風は吹いていて、医療生協、民医連の事業拡大も必至ですが、この分野全体が営利的にならず市民サイドに立って発展するためには、他でもない私たちの活躍が切実に求められていると言えます。
 
その意味で、今日の宇部協立病院における患者支援の到達点を示すような報告を直接聞いていただこうと思います。
10月25日の第91回山口県糖尿病研究会で、2題だけ発表された一般演題の一つです。
本当にこういう患者さんがいるのか、どうしてこういうきめ細やかな支援が可能になるのか、この患者さんの残した言葉を大事にしないといけないなど様々な感慨を胸のうちに湧かせてくれる方向ですので、貴重なお時間を割くことになりますが、聞いていただければ幸いです。(議長指名)

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2020年10月23日 (金)

地方の救急医療事情

今後の地域循環経済について地銀がどう考えているかに興味を持って、先日来から地銀の経営コンサルト部門と話しあって資料なども貰っているのだが、私たちの宇部協立病院と県内の類似規模病院との比較の表を作ってくれていた。
まず目につくのは救急車の受け入れ台数の多さである。常勤医師数当たりでみると一人あたり年間80台であり、これはだいたい他の病院の2倍から4倍になる。

しかし、救急車受け入れの焦点になる夜間・休日を見ると、常勤医10人のうち4人しか担当を引き受けられない。そのうち2人は僕を含めて65歳を超えている。さらに二次圏域の救急車が集中する二次救急当番日となると引き受けられるのは外科系の2人だけとなる。
この態勢で、年間二次救急当番54日、二次救急サポート当番64日を引き受けることができるのかというとそれは到底無理で、営利業者紹介のスポット医師が多数入っている。
中には地域の医療状況を全く知らない一見の医師もいる。それさえもこのコロナ事態の中で確保は簡単ではない。もちろん常勤医が電話で相談にあずかるし、夜勤の看護師や呼び出し待機の放射線技師、検査技師が必死に彼らを支える。

こんな話を書くと患者さんや地域住民の皆さんは怯えるだろうが、「救急が売り物」と思われている私たちの病院の実態はこうなのである。
その背景は何より、この20年足らずの間に35歳未満の医師が30%以上も減ってしまっている山口県の実態がある。

銀行のコンサルタントとも話し合ったのだが、この状態は変わらないだろう。後期高齢者増で様態も複雑に変化して量的には増加していくだろう救急医療への態勢を不安定な運任せに近いスポット医師の供給に頼りながら行くところまで行くしかない。

しかし、その時、行政の責任追及や、同じような困難を抱えた病院同士の連携を考えなくていいのだろうか、というのが、この問題での僕のいま一番の関心である。

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2020年10月22日 (木)

生き方の柄

僕は子どものころから親の転勤で転校したり、両親が大変な節約をしたうえでとんでもない僻地から広島の中高一貫の進学校に行き、最初にできた友達が日銀広島支店長の息子で彼の家に遊びに行くと思いきりカルチャーショックをくらうという経験があったりしたので、いじめられる側に回りやすく、ボスのいないコミュニティで、誰にも服従せず命令されることなく暮らしたいという願望が強い。
医学部を卒業する時に、大学医局に入る気がしなかったのも、振り返ればそのせいである。
しかしまだ形を成していなかった創成期の小規模民医連に就職したので、3年目から今日までほとんど地位的にはトップのままである。
少しづつ組織が大きくなっていくのを観察していると、やはり人間の団体のなかにはあれこれのボスが出現してきて、その支配に苦しむ人もいるのに気づく。僕はそういうのに気づくと、ほとんど脊髄反射的にボスに対し攻撃姿勢に入ってしまう。そのボスも僕から見ると形式上部下である。そういう僕の生き方の柄が横暴に見えてしまうこともあるらしい。

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2020年10月16日 (金)

I can't breathe

この同調圧力の強まり方はどうだろう。
強制ではないと言いながら、従ってしまう大学、裁判所、役所、学校が莫大な数になるのだろう。
 
職場にそんなグループが一握りいても憂鬱になるのに、国家がまるごと彼らに乗っ取られた感じで息が詰まりそうだ。

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2020年10月15日 (木)

掌編10 平野啓一郎君の保証


僕の自転車通勤路の途中、大型公園の入り口近くにお酒も出す喫茶店「ヨクナパトーフア」がある。店主一人と、時々アルバイトの大学生がいる。

少し早く病院から帰ることのできたある夜、ふらりと寄ると、客は誰もいなくて、50歳前後で痩せた禿頭の男性が一人ソファーの上で瞑想していた。

彼の「いらっしゃい」という声で店主だとわかった。いつもは奇妙な帽子をかぶっているが今日は脱いでいたのだ。

「呼吸に気持ちを集中していたのです。実に簡単なことで、ああ空気が体に入ってきている、体から出て行っていると思っているだけのことですが、実に効果があります。どなたにもお勧めですよ」

「やってみます」と答えて椅子にすわった。

「ご注文は?」

「イナゴマメとハヴァ・アルバースタインお願いします」

店主が厨房に帰りながら「俺がユヴァル・ノア・ハラリといつ分かったのかな。平野啓一郎は日本では君にそっくりな中年男がいくらでもいて、そいつはサッカーをしていたりして、絶対見破られないと保証してくれたのに」と呟いているのが聞こえた。注文通り音楽がかかり始めて

「でもどうしてヨクナパトーフアって店名にしたんです?」と確かめてみた。「ああ、それね」と急に在日外国人風の言葉付きになって「米国南部にいるユダヤ人が日本の田舎で喫茶店やるという特殊でマイナーな設定が面白いね」

「意図的にマイノリティであることがそれほど重要かな。それで君の新しい本は面白いの?キワモノだよね。」

と僕は言った。

「そんなこと読んでから言ったらどうだい」後ろから鋭い声が聞こえた。しまった、彼のパートナーだ。
https://www.youtube.com/watch?v=eQPfl4eB9UM&fbclid=IwAR1T_MTIFw_jvGWHC-PVA0Gdrp2k3RAmZL2n_porj7fKnhjZkMtJnC8TIQQ

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2020年10月14日 (水)

自力で 中高生相手の梨木香歩読書会をしたい



梨木香歩を読む読書会を、特に若い職員や学生、さらにできれば市内の中学生高校生のために開きたい。

「ほんとうのリーダーのみつけかた」

「僕は、僕たちはどう生きるか」

いずれも岩波書店

の2冊だけを対象にして。

その理由は以下のメモを参照していただきたい。

○『怖いのは、「みな同じであるべき」「優秀なほど偉い」という考え方が当たり前のように場を支配しているのに、指導者が「みんなちがって、みんないい」とその言葉のほんとうの意味も考えず、さして慈愛の気持ちも持たずに、型どおりにそれを繰り返していることです。』

→そうすると言葉は無限に空疎に無力になっていきます。

 

○『自分の気持ちにふさわしい言葉を丁寧にえらぶという作業は地味でパッとしない』→それ以外に言葉を豊かにする道はない。コミュニケーションも柱は言葉なのだ。

 

SNSでの発信への反応に、人を舞い上がらせるほど勇気づけるものがあったり、逆に自殺に追い込むこともあるのは、言葉の力の証拠である。

 

そのとき問題になる「形容詞」だ。「これまでに例がない」「かってない」「不退転の決意を持って」などという大げさな言葉が言葉の力を殺し悪用につながることに心しなくてはならない。

 

○犬が唯一求めているのは、心から信頼できるリーダーだというのが、アメリカのカリスマ・ドッグトレーナーであるシーザー・ミラン氏の持論である。そのリーダーの条件は

「毅然として穏やかであるということ」以外にはない。

 

○群れに属したいと言うのは人間の本性だ。問題はそれが自分の入りたい群れや仲間ではないのに、その群れや仲間の同調圧力に負けてしっぽを振るとき。その時の自己嫌悪感を大切にしないといけない。それはあなたを見ている、もう一人のあなたの目である。

人間が「いちばん見栄を張らないといけないのは、いいかっこしないといけないのは、他人の目ではなく、自分のなかのその目です。」

 

○あなたのリーダーはその目を持つあなただ。そのあなたと現実のあなたが「チーム・自分」を作ったとき、あなたが最強になる。

 

○だから、意識的に自分の中に自分のリーダー像を作り上げ「毅然として穏やか」を実現する必要がある。それが幸福だ。

 

○劣情にかられて失敗したとき(つまり切れてしまったとき)回復力(レジリエンス)を発揮してくれれのは、自分のなかのリーダ-である。

 

○インスタ映えを目標に自撮りをすることもある意味、自分の客観化である。しかし、それは他人に消費される自分を作ることにしかならないし、他人を自分のリーダーにすることである。自分を客観化することは、自分の中に自分の価値基準=自分のリーダーを作ることだ。

 

○昭和一桁生まれの人の戦場経験、そのアドレナリンの大量放出状態、その非常な記憶が、同じ思いを次の子供にさせないという戦後の動きを生んだ。

1950年 岩波の少年向け図書「科学の事典」はまさにそういう思いの結晶である。

しかし、当時の子ども向けの本を今読み返すと、そういう戦場経験に裏打ちされたものと、そうでないありきたりのものがすでに分化している。今はその後者の流れが圧倒的だ。

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失われる記憶が未来を危うくする

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僕の父親は16歳の少年兵として終戦を呉軍港で迎えている。

漫画・映画「この世界の片隅に」でも描かれるよう、呉の空襲も凄まじく、空襲が去って或る大型防空壕を開けてみると何百人が「蒸し焼き」になっていたのを処理したと父は語ったことがある。

 

日常生活の続きで聞く話だから、ありふれた戦争談のように聞き流していたが、僕らは絶対にしなかった体験である。それがそれが16歳の少年の心理にどんな傷を残したか考えたなかったことに改めて気づいた。そんな大量虐殺を眼前にしてどれだけ血中アドレナリンが上がり、脳組織が傷ついただろう。


僕らが決してそういう体験をせずに、もうすぐ70歳になろうとするところまで生き延びたのは、きっと彼らの意志がある。日本学術会議もきっとそのようにして生まれた。ただ、偶然に世界情勢が大戦争を必要としなかったというだけではないはずだ。

彼らが、90歳を超え、父のようにもはや会話も思うようにならず、社会から大量にその記憶が失われたあとの未来は本当に危うい。

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2020年10月13日 (火)

形態学を基礎にした臨床のスタイル

雑誌「胃と腸」の年1回の総説特集号は必ず通読するようにしているが、2020年度の「消化管腫瘍の内視鏡診断」を3ヶ月かけてようやく読み終えた。

そこに見えるものの形態を先人が決めてくれた用語を駆使して定型的に記述するというのが形態学の出発だが、ある意味、一種の言語習得であって僕には性に合っている気がする。


内視鏡写真だけでなく、腹部CTや頭部MRI の説明文を読んでいると、目の前の画像をどう表現するかということにかけられた先人の膨大な努力が感じられて嬉しくなる。コロナウイルス肺炎で有名になった肺の「すりガラス様陰影」という表現もずっと以前から確立していた定型的表現の一つである。

その形態を別の次元の知識と様々に付き合わせて、可能な解釈を作り出すというのが形態学の醍醐味で面白くてたまらない。

 

それは接合articulation ということの良い例だろう。

 

これまで見過ごされていたり意味が分からなくて放置されていた形態にある日突然名前がつくことも結構ある。

最近はヘリコバクタ・ピロリ菌による胃傷害の視点が導入されて、胃粘膜の形態記述が一変した。また頻用されるPPIという名前の胃薬による胃粘膜の形態変化も分かってきた。この薬が胃潰瘍や十二指腸潰瘍を治すのも単純に胃酸分泌を抑えるだけということでなないようだ。

いまや、胃粘膜の形態解釈はヘリコバクタ・ピロリによる攻撃、胃酸による攻撃、薬剤によるその修飾という、最低3方向から行なっている。

 

また、胃から食道、胃から十二指腸への粘膜の飛び地という視点も導入された。

十二指腸へは胃底腺や幽門腺の飛び地が出現する。胃底腺の飛び地にヘリコバクタ・ピロリがやってくることで十二指腸潰瘍が生じる。その一方、その菌がいなくて胃酸の攻撃だけで生じたように思える十二指腸潰瘍もある。また十二指腸特有の構造と思えていたブルンナー腺は胃の幽門腺の飛び地のような気がする。

 

その中で、命名の奇妙さに笑わせられることもある。ヘリコバクタ・ピロリの初感染による「鳥肌胃炎」、STDの一種でもあるクラミジア直腸炎の「イクラ状隆起」はよく似ているが、なぜこのように使い分けてしまったのかとか、鳥皮とイクラとどちらが美味しそうかなどと考えてしまう。

 

また、CTでは、後腹膜の脂肪組織が水と混ざり合って汚くマダラになっているのを見ると、dirty fat signとカルテに書く前に、そこから猛烈な勢いで噴出しているサイトカインを想像して、患者さんが高熱でぐったりでもしていたら、ともかく大急ぎでステロイドを注射しなくてはと思うようにもなった。

すべては形態学から出発したことである。

 

共通の用語を憶えて、そこに見えるものを忠実に記述していくことから始まる形態学を基礎にした臨床の面白さを研修医に伝えようと何度も試みてきたがそう簡単には行かない。最近その伝達が比較的うまく行った相手は研修医ではもうなくて家庭医の専門医だった。

 

そのうち、患者の雰囲気や語り方についても形態学的描写の学習が可能になり、他次元の知見と付き合わせて、あっという診断が生まれることも夢想する。

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2020年10月11日 (日)

広島県芸北地方の寒村の国保診療所



ふと思い出したのは、小学生時代を送った広島県芸北地方の寒村の国保診療所のこと。

 

渡辺先生という、山口県光市室積生まれだという若い医師が赴任していた。その地名は海水浴場として中国地方に鳴り響いていたので記憶しているのである。

彼が村の若者を集め、ポケットマネーで野球チームを作り、ユニフォームなどもそろえていったのをまぶしく見ていた。

伝え聞くと、教員だった父の20倍以上は給料があり、子どもには想像もできないカラーテレビというものが医師住宅にはあるという話だった。

後ろのほうはどうでもいいとして、前半の野球チームの組織が今の僕に若干影響を与えている気がする。

 

中学になって広島市内で下宿生活を送るうち、倦怠感が続く日があって、帰省すると診療所に連れていかれ、渡辺先生が胸のレントゲン写真を撮ってくれた。その場で父と渡辺先生が何か話し合っていたが、それから数か月、僕は父が診療所からもらって送ってくれる薬を服用した。診断名も薬品名も教えられることはなかったが、高校になるとよくなっていた。

 

あれは何だったろうかと思うが、自分で自分の胸部X線写真を診断できるようになってから、ずっと右の上葉に古い炎症の瘢痕らしい所見が割りと大きく認められる。

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雑誌「世界」11月号 斎藤幸平「ジェネレーション・レフト宣言」、岸本聡子「地域自治でグローバル資本主義を包囲する」



雑誌「世界」11月号で 斎藤幸平「ジェネレーション・レフト宣言」、岸本聡子「地域自治でグローバル資本主義を包囲する」を読んだ。

いま変えなければならないのは新自由主義にとどまらず、資本主義そのものだとする立場で共通する2論文である。

 

539124 民医連の仲間にはとくに岸本聡子さんの文章を読んでほしい。自分たちの考えと共通することの多い「ミュニシパリズムmunicipalism」という新たな政治勢力がフランスやスペインで台頭してきていることに励まされるだろう。 その具体的な現れとして、すでに気候危機対策で結ばれる「C40」と呼ばれる、90余りの都市が参加し、そこ住む人口は7億人、世界の経済活動の1/4を占める組織も生まれている。

 

「ミュニシパリズム」をどう訳すか考えると、地方自治の意義を団体自治と住民自治に区分する考え方をとって、「住民自治主義」とすればいいかと思う。

 

ミュニシパリズムがめざすのは、なかでも①エネルギーが最も重要だが、当面少なくとも②食糧・水道、③医療・介護・保育・清掃などのケア、④域内交通の3領域くらいは、公共財=コモンとして、市場原理から隔離して住民自治の手に移さなければばならないということである。

 

そのための素材供給経路を確立しなければならない。たとえばコロナ事態にあたってはマスク・個人防護具PPEの調達を市場任せにしてきたことの弱点があらわになったことを大きな教訓としなければならない。

 

この素材調達は、食糧に限ってみても発注元をたとえば市役所など公共機関の食堂、大学食堂、病院や学校の給食と思いつくところをあげるだけでも巨大な量に及び、その供給源に、農協・生協などの各種協同組合、さらに農協以外の自主的な社会連連帯経済組織を想定すれば、これが地域循環経済を大幅に実現に向かわせるのを想像するのは簡単だ。

 

資本主義を終わらせるというのは、いまや絵空事ではありえないのだ。

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