2009年1月 9日 (金)

マイケル・マーモット「ステータス症候群」日本評論社2007を繰り返し読む

ここのところ、マイケル・マーモット「ステータス症候群」日本評論社2007を繰り返し読んでいる。

一言で、内容が話せない。要約を許さない本という印象である。イギリス人が書いた本であるせいか、章と章のつながりが微妙である。なんと言うか、構造的でない。加藤周一さんが説明する日本の建築物みたいで、建て増し、建て増しでつながっていくという印象がある。文章も随筆的で、著者の怒りもさらりと書き流され、ふんだんな冗談のなかに上品に隠されてしまっている。

したがって、本当は堅固な構造や、社会正義への真剣なまなざしも苦労して探し出さなければならない。よく読むと、章の終わりに、次の章の意味づけや予告が必ずなされているなど、ある種の約束事があるのが見えてくる。逆に言うと、前の章を読まないと次の章の意味がわからない仕組みということであるが、それがわかると、全体の見取り図が次第にわかってくる。

私がずっとこの本を持って歩いているので、題名を見た人たちからは「ステータスを欲しがるという心理的な病気のことですか」と聞かれる。人によっては「先生はそういう病気なのですね、そんなに地位が大事なのですか」とまで言う。

実は、そうではない。副題に「社会格差という病」とあるように、「ステータス症候群」に冒されているのは、社会なのである。階層構造を拡大し、健康格差を激化させている社会に、マーモットさんはそういう診断を下した。

もう一つ、「生活習慣を原因とすると称して生活習慣病と名づけられた諸疾患」があるのに対抗して、「社会格差によって生じる疾患の総称」という意味づけもできそうである。

高血圧、糖尿病、メタボリック症候群など大半の疾患において、社会的格差の勾配に連続的にしたがって、低い方の人により多く発生することが確認されているのである。(反対に悪性黒色腫、白血病、乳癌飲みは社会階層の高いほうの人に多く発生する)

ステータス症候群は、そういう意味で社会自体の(隠喩としての)「疾患」 と、社会が原因になっている疾患の総称の二義性があるといってよいだろう。

この症候群は、日本では1970年代には潜伏し、2000年代に顕在化した病気である。今年の世界恐慌で、もっと劇症化することは間違いないので、私は真剣にこの本を読んでいる。これが1980年代に書かれている本だったとすれば、鈍い私は、イギリスの風土病について書かれたものとして、あまり興味を感じなかっただろう。

さて、生物学的に不可避的ともいえる階層構造を持つがゆえに社会は人間の健康に悪く、一方、協同と信頼という生得的ともいえる本質を持つがゆえに社会は健康に良い。あい矛盾するこの両者のバランスの上で私たちは生きているのである。どうすればそのバランスを、協同と信頼のほうに傾けることができるか。

思考のバックボーンはアマルティア・センである。所得の格差を小さくし、自律と社会参加という人間の潜在能力を開発し、社会的な支援を強化すればそれは可能になる。

社会全体の所得が増えるというだけではそれは実現できない。ステータス症候群を見据えた意識的な努力がどうしても必要なのである。

思い切り、短く要約すればそういうことである。

個人を相手にした臨床現場でも、具体的な疾患の背景にあるステータス症候群を見据えた対処が重要になってくるだろう。

生活習慣は個人が具体的にどういう病気にかかりやすいかを決定し、社会階層構造上の地位はそもそも病気になりやすいかどうかを決定するからである。

個人レベルで言えば、生活習慣の改善に最大限努めても、病気は1/3しか減らない。残り2/3は社会的な地位が決める潜在能力の欠乏によって生じているのである。潜在能力の欠乏が大きくなれば、もちろん病気は増える。

*この潜在能力は、湯浅 誠がいう「溜め」と同じものである。

生活習慣と潜在能力の関係の説明は、エンゲルスの偶然と必然の説明に似ている。イギリス社会の影響といっても良いのだろうか。

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2009年1月 7日 (水)

医療の安全について

少し考えるところがあって、私がいる病院の院内LAN上の掲示板に短い文章を三つ載せてみた。院内LANには書きにくい解説を含めてここに採録しておきたい。

①医療安全を患者との「共同の営み」にすることについて

その方向の正しさは自明であっても、具体的な方法については、新しいブレークスルー(画期的な方法)が見つけ出されていないというのが現状である。

元来、この課題を全日本民医連に最初に提起したのは山口民医連の私達だという根拠と自負を持っているのだが、その責任もあって、新しい方法を提案したい。

それは、インシデント報告=アットハット記録を患者さんと共有することである。

アットハット記録を書くことを医療従事者が独占することなく、患者さんが「これは身の危険を感じた」ということをいえる場を作り、医療安全を私達が患者さんを守るという一方方向でなく、双方向のものにしたい。具体的には、「虹の箱」の安全版を作るか、定期的な安全に関する患者の体験収集(アンケート)である。

*私自身は、かなり以前だが、ある歯科医院に行ったとき、そこの歯科医師が前の患者さんの口の臭いのする手で、私を治療しようとしたことがあるのが強烈な記憶になっている。

これを一般的な苦情ということでなく、安全という観点で意見したいとその頃から思っていたわけである。

・・・・・・・・・・しかし、この提案は簡単に受け入れられそうにない。実行は簡単なことだと思えるのに、枝葉末節の意見が次々出てくる。新しいことは何一つしたくないという感じのそれらの意見を聞いていると、まるで、有職故実に捕われた平安貴族と話している気になる。滅亡だけが待っている人たちとして。

②デジカメ

少し前のことになるが、ある職場の整理整頓が悪いということが、デジカメの写真つきで院内LANにアップされたことがある。そういう方法が、私には若干懲罰的に過ぎると感じられて、心が暗くなった。
つい最近もある調査にデジカメを持っていくという話が出ていて、前回が効果的だったよねと話されているのを聞いた。有無を言わさず欠点の証拠をつきつけることが出来るという意味なのだろう。 

対権力関係でなく、対職員関係では、公平さと愛情、この言葉が変なら、教育的姿勢が一貫して求められるのである。
その点で憂慮しているものがここにいるという事を知らせたくて、この一文を書いた。

・・・・・ステレオタイプな偏見に凝り固まった人たちは、意外にデジカメなど新しい機械が好きである。そういう機械と縁がなく地道に病院を支えている人たちの困難をあげつらうのに、その機械を使う。その困難は、本当は自分たちがその人たちに押し付けているのに、である。

③ 医療事故と個人責任

医療事故の調査にあたって、個人責任と組織責任が半々だという認識を持っているならば、その人はその任務に当たらないほうが良い。

というのは、「全面的に組織責任だという枠組み」で調査して初めて組織に有益な結論を得るのだからである。

もちろん、そういう枠組みで対処しても、どうしても個人責任としかいいようがない場合もあるだろうが、その結論は最後の最後の話である。
個人責任部分があるということを最初から口にしてはならないのである。

・・・・・・これは、私が知り合った何人かのリスクマネージャーが、「でも、結局は医療事故は個人責任じゃないかと思います」と言ったことから書いた。科学的原則は教育されても、社会の主流が自己責任論になっている時、人はいつでも教育以前の俗流ラインまで押し戻されるのである。個人責任あるいは自己責任ということばが自分の頭に浮かんできたら、いやそれは間違いだと反射的にでも思うようにして欲しいものだ。

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2009年1月 3日 (土)

柄谷行人「定本 日本近代文学の起源」岩波現代文庫、第5章「児童の発見」

15日までに格差症候群についての総論をまとめようと思っているので、読みかけの本の進行が極端に遅くなっているのだが柄谷行人「定本 日本近代文学の起源」はいつも持ち歩いて少しづつ読んでいる。今日は第5章「児童の発見」を読んだ。

明治政府の「学制」=義務教育の施行が、それまでの日本社会に存在しなかった「子ども」や「児童」という概念を作り出し、それを前提に「児童文学」が成立したと柄谷は論じている。言ってみれば「子ども」や「児童」も近代になって初めて現れた「制度」なのだと。

では、近代以前と以後の日本では子どもと大人はどう違うのだろう。

近代以前では、子どもは小さな大人だった。「元服」などの通過儀礼を経て、大きな大人になる。そこには子どもと大人の間に統一され、共通した「人格」という考え方はなかった。近代以降では、一個の「人格」が、未熟な子どもとしてスタートし、連続的な成熟過程を経て大人になっていくとされる。そのような考え方・見方自体が、近代の資本主義社会の人為的に作り出した、考え方の枠組み・まなざし・作業仮説なのである。

*どこで読んだのか・・・宮本常一だったか、柳田國男だったか・・・近代以前の親は、子どもには子どもとしての一生があると考えていたという。そこには、「子どもの晩年」というものもあり、子どもが人間としての生を全うすることが、ある種対等な人間同士として尊重されたというのである。多くの子どもが子どものままで早世していくことがごく普通だったとき、自然に生まれた考え方だったといえるだろう。子どもが大人になるまで生きるのが当然になるのは近代以降の話である。「成熟過程にある子ども」という考え方も近代以降の産物である。

この章で強調される大事なことは、何事も「自明のもの」として捉えず、自明性を疑い、あくまで歴史の中で見るということ、歴史の中で相対化して考えるということである。

これは、柄谷だけの姿勢ではなく、加藤周一にも不破哲三にも共通したものである。何かを考えていくときの大原則と言ってよいだろう。

*ところで、柄谷は明治政府をごく自然に「明治の革命政権」と呼んでいる。これはおそらく柄谷が明治維新をブルジョワ革命と考える労農派の流れの中にいるからと思える。これに対し、私の立場はブルジョワ革命は、明治維新から今日までが断続的に顕現化しながら続いている、なお100年は続くだろうというものだから、さほど違わないといえば違わない。フランスだって、1789年から今日まで、同じ市民革命という範疇で括られる革命が続いているのである。

しかし、革命の顕現化が「革命政権」の成立ということになるのかどうかは疑問である。フランスでは「革命政権」が何度か出現し、消失して行ったといえるだろう。しかし、日本では革命政権と呼べるほどのものはなかったのではないか。明治政府は、もちろん「革命の中にあった政府」であるが、「革命政権」とは定義できないのではないか。

言葉遊びに類するような疑問であるが・・・。

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2009年1月 1日 (木)

山口二郎「若者のための政治マニュアル」講談社新書、2008・・・どんな欠点があろうと竹中平蔵に比べればよっぽど上等だ・・・しかし、岡山県出身なのに兵庫県八鹿事件を知らないのだろうか?

まったく根拠のない話だが、岡山駅新幹線待合室にある小さな本屋で買う本は結構面白いことが多い。アマルティア・センの講演集2冊もここで買ったのだった。「週刊東洋経済のバックナンバーはないか」と何の気なしに聞いたら「市内の○○書店にはそろっている」と正確な返事が返ってきたの好感が持てる。

今回は山口二郎「若者のための政治マニュアル」講談社新書を12月21日の出張の際に買って31日に読み終えた。(著者は岡山出身なのでご当地本ということにもなるだろう)

小さな本に長くかかったのは、その間の宿題が多かったせいである。本自体は、読みやすく、まずまず面白い本だと言えそうだ。

山口二郎氏については、私の評価はあいまいである。

1993年ごろ、「政権交代」万能論をマスコミと一緒になって叫んでいたとき感じた「軽薄な若手研究者だ」という印象が消えない。その後、反省したとのことではあるが。

社会保障政策をテーマに山口県保険医協会で講演をお願いしたこともある。講演開始までの30分間くらい二人で話をしたが、話がかみ合わず、講演が終わったら実家のある岡山に寄るということくらいしか覚えていない。これは私の記憶力が年齢に相当して低下しているからであるが、関心領域が一致しなかったのは確かである。

さて、上記の本は湯浅誠や雨宮処凛も登場して、いまの私には親しみやすい。

以前、池田香代子さんの講演で聞いた「良いTV番組を見たら、良かったと葉書を出すことがTVを良くする条件」ということも強調されていて、これは若者への適切なアドバイスになっている。

なにより新自由主義に対する批判や反貧困の態度がはっきりしているのがよい。

これは若者が読んで有益と思うので、私も読み終えると同時に長男に本を貸した。

というわけで、現在この本が手元にないままに記憶だけで書いているのだが、小泉の郵政民営化が米国の要請に応じた著しく反国益的なものであったことや、竹中平蔵のインサイダー取引のうわさが絶えないことについては言及が欲しかった。

(痴漢事件が報道された元早稲田大教授の植草氏は竹中や小泉の不正蓄財、場合によっては自殺教唆・殺人を曝露しようとしたところで事件を捏造されたいう話がネット上で飛び交っている。)

それが無いので、議論に鋭さがなくなっている。

また連合赤軍事件や中国の文革への評価はまずい。これらを理想を目指した運動だというわけにはいかない。著者がいくら事件当時幼い子供だったといってもそれはだめだろう。(文革については、そういうイメージが伝わってきた、とあいまいにしているが、きわめて早い時期に、これが毛沢東とその周辺の起こした醜悪な権力奪取行為だという指摘は日本国内でなされていたのである。)

また「革命」という言葉の使い方があまりに通俗的で、社会科学な正確さを欠く。このあたりは若者に勧められない。

*208ページの「第二レベルの権力」の項は読みにくいので、文章を変えたほうがいい。

**しかし、2009年1月1日夜のNHK討論番組での竹中平蔵との対決を見ると、著者の立場の上等さは際立つ。竹中のうそつき、ごまかし、居直りは、安部普三とならぶ日本の恥としか言いようがない。曲学阿金と呼びたい。国民への呼びかけとして「リアリストたれ」だって?竹中の目には、自分にも重い責任がある国民の貧困・格差はリアルなものとは見えず、大企業の利益減少だけが気にかかるリアルな現実なのだろう。大企業の国際競争力が大切だというのは、私たちにとっては竹中平蔵たちの妄想=反リアルに過ぎない。

***誉めたところで、注文をもう一つ。部落解放同盟の評価もどうかしている。隣の県で起こった陰惨な暴力事件・八鹿高校事件を知らない世代ではあるまい。事実の一つ一つを突き詰めて考えなくては、研究者とは言えないんでないかい?

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2008年12月29日 (月)

吉田沙由里 「小さな国の大きな奇跡 キューバ人が心豊かに暮らす理由 」WAVE出版、2008・・・ラテンアメリカ医学校の話など

著者がどういう経歴の人なのか、本末尾の紹介ではよく分からないが、時間に比較的余裕があって、お金はあまりないだろう(私と比べてではなく、世間の有名人に比べての話)という人のキューバ旅行体験記。

キューバの医療、有機農業、教育、民宿や市場の様子、ペソと兌換ペソの2重経済、日系人のことなど要所要所がおさえられていて、興味深い。

ラテンアメリカやアフリカ、USAの貧困層のために設立されたラテンアメリカ医学校でのカリキュラムが初期2年までで、あとはキューバ全土にある21の医学校に分散していくなどは初めて聞いた話である。

人口1000万人の島に21の医科大学というのは、医科大学の集中している東京都よりも多い数だろう。1.3億人の日本に当てはめると180以上の医科大学数ということになり、日本の3倍近い。人口500万人の福岡と比べても3倍近い。

確か、人口1000人あたりの医師数は日本では2人、キューバでは6人を超えるから比例計算で大体一致する。それくらい多数の医師養成がキューバで行なわれて、かなりの質を担保しているのである。これだけ医師が多いと、それだけで国民の安心感が高くて、健康指標は軒並み優れた値となるはずだ。

*感冒で気軽に受診できるのであれば、そこで渡されるのが、西洋医学からみて効果もない代替薬であってもいいわけである。医師の世話になったという安心感が治癒に最も影響するはずだ。

**私も、可能なら、感冒の患者にPLなどの薬を投与した場合と「ゆず湯」を処方した時の治癒の質に違いがないことや、苦しいとき医者にかかれたか、かかれなかったかでその後がまったくちがうことを調べて証明したいと思う。

ともかく、そういう意味でキューバは「医療立国」の典型といってよいだろう。医師の給料は低いが、社会的に尊敬されているので、不満はないようだ。これは、有名な野球選手が、受け取るのは名誉だけで、生活は一般市民と変わらないというのに照応する。それでいいのだろう。

今年、生誕80年を迎えるゲバラの娘さん(この人も医師)の手記が付録についている。

とくに、ゲバラがこの人が4歳の時に出国したあと、一度だけキューバに変装・変名で帰り、名乗ることもできないままに娘さんに会うくだりの思い出は涙が出るものである。

全体、著者の人格によるのか、押し付けがましさのない、気持ちのよい読み物になっている。

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2008年12月27日 (土)

今年最後の医療生協理事会・・・山口二郎「若者のための政治マニュアル」講談社現代新書、2008.11.20刊を参考に

今日は今年最後の医療生協の理事会だった。毎回、冒頭に理事長挨拶として、私なりの情勢分析をしているのだが、今回は相当に難しい。経済情勢はサブプライムローン問題発覚当時をはるかに超えて、大恐慌の様相となっているし、これから年末9日間を解雇された非正規労働者たちがどうすごすかという切羽詰った問題もある。

記録として、私の発言メモをここに残すことにした。来年、どんな気持ちで読むのだろうか?

・・・・

きわめて重大な事態が世界と日本に進行中です。

誰もが100年に一度の危機だと口々に言っています。

1929年の世界大恐慌以来の資本主義の危機、すなわち、21世紀最初の大恐慌、世界同時不況が来たのだという認識です。

実はこのような認識は、1980年に唱えられたことがあります。1971年のニクソンショック、1973年の石油ショックを経て、第二次大戦後の繁栄は終わりを告げたという話です。日本共産党も第15回の大会で『世界資本主義は第一次世界大戦、第二次世界大戦前後の危機に匹敵するような政治、経済の全般にわたる深刻な歴史的危機に直面している』と書いています。この頃出版されたのが、今年なくなった上田耕一郎さんの「第三の危機」という本でした。しかし、その後、上田さんもこの認識は間違いだったと自己批判されました。第三の危機はすぐには現実化しませんでした。

それは何より、1989年のベルリンの壁の崩壊、1991年ソ連解体、1992年鄧小平による中国の市場経済路線の採用という過程で、ソ連・東欧、中国に巨大な新しい資本主義市場が生まれたことによります。世界中が残すところなく資本主義経済に組み込まれて、「大競争時代」、「グローバリゼーション」の時代が到来して、世界の経済は危機を脱してしまったかに見えました。

しかし、第三の危機は潜伏していただけで、いまようやく本当の姿を現したかに見えます。この間の日本バブル崩壊などの小さな恐慌をはるかに超える、それが阪神大震災程度なら、今度は彗星の衝突だというような大恐慌が来るとみんが感じています。

それが何を意味するかよく考えてみないといけないと思います。20世紀資本主義の最大の危機である1929年の大恐慌は、15年以上かかって1945年の第2次大戦の終了でようやく解決がついたのです。全世界で6000万人、日本周辺のアジアだけで2000万人が犠牲になりました。

もし、現在が1929年に相当する恐慌であるなら、最低限、第2次大戦くらいの消費をやりつくさないと、6000万人くらいの死者を生み出さないと終わらないということなのです。

戦争については庶民感覚のなかですでにきわめて歪曲した待望論が出ています。赤木智弘というひとの「丸山真男をひっぱたきたい」という20071月号論座への投稿は大きな反響を呼びました。戦争でしか、この固定した格差社会が崩れないのであるなら、戦争こそが希望だと彼は論じたのです。現在、反貧困ネットワークで活躍している雨宮処凛(あまみやかりん)も、社会最初の参加は右翼団体の加入でした。そこにしか、自分を認めてくれる場所がなかったと彼女は語っています。これらは国民側から見た話ですが、来るべき戦争の気配は私たちが思うよりはるかに濃くなっているのではないかと思います。最近の田母神事件もその象徴的出来事でしたが、イラクの自衛隊派遣に反対するビラを自衛隊官舎に配る、共産党の地方議会活動報告ビラをマンションに配るということが有罪になる、前者では最高裁で有罪になるというところまで社会統制が進んでいることに私たちは敏感でなければならないと思います。

さて、この世界大不況の特徴は、新自由主義がそれを呼び寄せ、なお、それによって危機を乗り超えようとしていることだと思います。新自由主義が国民に押し付けたイデオロギーは「自己責任」でした。それが頂点に達したのは2004年のイラク人質事件だったかと思います。4月の高遠さんたちの受けたバッシングはすさまじいものでしたし、10月の香田証生さんにいたっては残酷に殺されましたが、国民の間に大きな同情論がおきませんでした。

しかし、その、「自己責任論」イデオロギーも現在の「解雇の津波」(12月27日朝日新聞2面)の中では、急速にその化けの皮がはがれています。

「えり好みをしなければ外国人がしているような低賃金で重労働の仕事はあるのだから、仕事がないというのははたらかないという選択の結果だ。だから仕事のない人間を助ける必要はない。どこに住もうと自由なのだから、好き好んで辺鄙な場所に住んでいる人に、高いコストを支払って医療や、教育、郵便などの公共サービスを提供する必要はない」という規制改革・民間開放推進会議議長の宮内義彦オリックス会長などの主張をとうてい国民は受け入れることができなくなっています。

「予防で医療費を減らす」という一見まともな議論の底にあった健診の破壊行為も見破られています。健診で医療費を減らすというのはありえないのだから、そういうのはただ医療費を減らす口実に過ぎなかったのです。その被害は甚大で、日本の健診制度は半分方崩壊したといって過言ではありません。それに触れた投稿が12月26日の朝日新聞には載っています(台 豊「疾病予防 医療費抑制に結びつけるな」)そういうことを国民が十分に学んだとすれば、自己責任イデオロギーの捕虜ではもうありえないのです。

イデオロギーとしての新自由主義にとどめをさすことができるチャンスが来ている、それを通して、「さまじいリストラや、戦争という形でこの恐慌を資本家側が乗越えることを許さない、人間らしさを再生する」という形で、資本を合理的に規制し、新しい経済、社会の仕組みに到達するチャンスが私たちのもとに訪れているのだと思います。

私たちにとっては、その第一歩が、医療生協300万人対話運動であり、当面の社会保障運動です。あとで詳しい事情はご説明しますが、山口県独自で行なっている単県福祉制度を後退させる計画が進行中ですし、介護保険をめぐる情勢も重大になっています。私たちの世代が介護が必要な年齢に達したときに職業的介護者はどこにもいないという未来がいよいよ切実になって来ました。

また年末年始のホームレス対策も他所の地域のことではないと思えます。27日の「天声人語」も湯浅誠氏の言葉を引用しています。年末年始9日間はある人々にとっては生きるか死ぬかがかかる大きな山です。人事と考えることは絶対にできないはずです。

どうも、ゆっくりお正月を休んでよいという事態ではないようなので、ぜひ、今日のの理事会でも中身の濃い議論を行っていただき、そうして、ほんの少しお正月休みを過ごしたら、年明けには思いきった運動の前進を図っていきましょう。

・・・・・

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医師を増やせ署名に取り組みながらの呟き

11月に講演を依頼した本田 宏先生からも頼まれていたので、山口県での医師増やせ署名運動の広がりのため、県医師会長と大学病院長という二人の先輩に会いに出かけた。

残念ながらお二人とも「草の根からの運動」という点に強い抵抗感を示された。

とくに県医師会長は、今年になって20年以上にわたる政府の医師数抑制政策が変わり、医学部定員が来年から増えたということの理由について、本田先生はじめとする多くの医師が世論に働きかけたことは認められず、もっぱら日本医師会の自民党議員へのロビー活動の成果だと主張された。

そう思っていらっしゃっても一向に差し支えないのだ。

必要なのは、医師を増やして国民の健康を守るという大きい目標のためなら、方法論の違いは超えて互いに応援しあうという、県の医師集団のトップにふさわしい度量なのである。
自分たちの方法だけで進む、他の試みは無意味だから無視するというのは、やはり狭量のそしりを免れないのではないかと思う。

大学病院長は、趣旨には全面的に賛成だが、先頭を切って呼びかける立場に立つためには医師会と足並みをそろえたいとおっしゃった。豪快・大胆な日ごろの印象が少し薄れる気がした。

というわけで、医師界の実力者を呼びかけ人にお願いして署名を広げるという方法は現実には困難であるし、むしろ、せっかくの草の根運動を『官製運動』にこちらから変えてしまう危険がある。もちろん、賛成していただければ、影響力が増すのでお願いはしてみるということを否定する気はない。しかし、それが成るかどうかを決定的な因子だと見ないほうが良い。

宇部の中小病院の一勤務医であるK先生が、本田講演のあと、壇上に上がって訴えた勇気をこそ私たちは大切にすべきである。県内の中小病院の中堅医師のなかから勇気ある呼びかけ人を探し出して、この層の結集をこそ図るべきである。

それ以外に道はない。

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2008年12月24日 (水)

町医者の勉強:「誰も教えてくれなかった診断学」野口善令先生講演会(山口県保険医協会)

これまでは、医療倫理、医師患者間コミュニケーション、公費負担医療制度利用の診断書の書きかた、零細企業労働者の職業病など、いずれもきわめて重要だが、一般の医師の意識の中では周辺部分に位置づけられる課題を扱うことの多かった山口県保険医協会の学習会として診療のコア部分にあたる診断学に踏み込んだ学習会を初めて企画した。

「何でも診て、どんな問題でも患者を援助できる町医者の仕事の構造と機能」という問題をずっと考えてきて、そろそろ「診断と治療のあり方」に踏み込まずにはいられなくなったからである。

実は、「町医者の治療論」については、以前、TIPの編集長別府宏圀先生にお願いして、ごく早期にEBMの学習会を開いたことがある。山口県ではEBMという言葉がまだほとんど知られていなかった時期に、イギリスの国家プロジェクト「コクラン」の利用法を教えてもらった。

そのときはパソコンを使って世界標準の治療法を同時並行で検索して日常診療を進めるという話を魔法のように思ったものだった。しかし、実際に蓄えられているエビデンスは、普通の医師が求めるものよりずっと少なく、コクランもそれほど役に立つものでないことが、かなりお金を使ったあとに分かった。その上、厚生労働省側が、医療内容を制限するという方向でEBMという用語を使い始めた。EBMの形骸化である。結局、uptodateというアメリカの電子教科書を使いこなすよう努力すれば、「町医者の治療」も標準化できるというあたりに、治療の課題は落ち着いて、当面、新しい方法論のブレークスルーはないようなのである。強いてあげれば夏井先生の「新しい創傷治療」あたりが面白い話題だが、方法論を探求する私にとってはマイナーなことである。(もし、そうでなければ、すなわち、「新しい創傷治療」が創傷治療を題材にした、普遍的な方法論を指向したものであるのだったら、夏井先生ごめんなさい)

そこで、診断学だが、合理的な診断判断はどういう過程でなされるべきかということが研究されているらしい。それは人間の認識や学習という心理学的問題を医師の診断行為に応用しているのでもあるらしい。

それは私から言えば「診断の弁証法」である。

まず、診断は①分析的かつ系統的診断と②パターン認識による診断に分類される。

①は症状にあわせてⅰ)生命や永続的機能に関わる重大な疾患 ⅱ)もっとも頻度の高い疾患 と分けて、それぞれ系統的に想起して、各々にyes,noを可能な限りはっきりと決めていく。

系統的想起が、どの医師にも標準化されるよう、統計に基づいて、教科書も作られている(たとえば「ERの哲人」

山中克郎 岩田充永 澤田覚志
:シービーアール :2006
など)。

このタイプの診断を繰り返して、かつ必ずその正否を事後確認(これを教師あり診断と呼ぶ)していると、やがて②のパターン認識診断が形成されていく。パターン認識による診断とは、スナップ診断という名前もついているように、患者を一目見て、二三言、話を交わせば、いくつかのキー所見の組み合わせがあることが認識されて、直ちに診断がつくというものである。パターン形成は、もっぱら成功経験の積み重ねによるもので、それには成功を確認してくれる教師が必要であるという特徴がある。

*ウイルス性の感冒に抗生物質を処方しても、いつのまにか自然治癒して問題がなかったという経験は偽成功経験で、これが積み重なって出来上がるのは偽パターン認識診断である。パターン認識診断の一つの陥穽=落とし穴である

これは、臨床検査の事前確率を高めるということでもある。(すなわち、同じ名前の診断を下しても各医師の経歴により事前確率は違うということになる)

事前確率に、各臨床検査ごとのもっともらしさを掛けて事後確率が求められる。それが診断正否の確率である。パターン認識診断による事前確率が十分高いときには、検査の意味はほとんどなくなる。医療費も安くなる。

しかし②パターン認識が働かない、間違えるというときがある。そのときは医者の胸中にはなにかしら「いつもとは違う」という違和感があるはずで、その違和感があれば①の分析的・系統的診断に立ち返らなければならない。

*ここでパターン認識を押し通す医者が危険な医者である。

この繰り返しがラセン的発展という意味で弁証法なのである。

いつものように前置きが長くなった。

そういうことを、私は野口先生の本で学んで、「町医者としての診断学」のブレークスルーがここにあると思って、彼の講演会を企画した訳である。

野口善令先生は、私より6学年下の1982年卒の人だが、大学医局には属さず、自力でハーバードの公衆衛生院、NYのベス・イスラエル病院のレジデント、京都大学総合診療部勤務というキャリア形成を遂行して、現在は名古屋第二赤十字病院でERを主宰している。全国からたくさんの研修医が彼の教育を求めてこの病院にやってくるという、まさに「旬の医師」といってよい人である。

*わたしはこういう人に会うと、自分がなぜそうなれなかったのだろうと思うことがある。マイケル・マーモット「格差症候群」を読み終えた今では、結論は簡単である。それは①私が貧しい医学生であり、キャリヤアップより生活することが優先した(・・・こんなことを言えば、貧しい教員だった田舎の父親や、学校の給食婦をして私の学費を負担してくれた墓の下の母親は泣くかもしれないが)が主な理由であり、ついでに言えば②政治信条のため、将来の患者の治療や後輩の教育より、目の前の医療問題の解決に直接あたりたいという気持ちが強かったということもある.

講演会はシニア向けとジュニア向けと2日2回に分けて開いた。

22日のシニア向けは新山口駅前の例の古いホテルで開いたが午後7時30分開会だった上、とくべつ寒い日で、申し込みの半分の人しか参加がなかった。講演後の質疑でも、発言がまったくなく司会の私がぶつぶつ呟くのに野口先生が答えるという悪いパターンになってしまった。しかし、あとで聞いてみると、40歳代の医師が数人、ものすごい勢いでノートを取っていたらしく、アンケートでも彼らの満足度は高かったのである。後日、このことに私が愚痴をこぼすと「その年代の人はそんなものだ、受け取ることには貪欲でも、自己主張はしない世代だ」と友人の誰かが言った。本当だろうか?

23日ジュニア向けは、22日よりすこし格式の高いホテルで、午前中に開いた。これには、ベテラン医師、大学の研修指導医、研修医、医学部高学年の学生がバランスよく参加して、テーブルを6個用意してのワークショップ形式で行なったので盛り上がりも十分だった。


講演会の成功を受けて、いよいよ、勉強熱心な開業医+勤務医+医学生で構成する、「カンファレンス+メーリングリスト形式の『町医者の診療』研究会」に向けて構想を進めたいと思っている。これは広島の故田坂佳千先生の活動をモデルとしている。 といっても、田坂先生のような経験が深い人、中心になる人がいないのが悩みである。

それはそれとして、これで、私の保険医協会や民医連を足場にしたプロモーターとしての今年の仕事は終わりである。忙しいが充実した年だった。いろいろ助けてくれた事務局の皆さんにお礼が言いたい。

あとは、11月にきてくれた本田 宏先生から頼まれた「医師を増やせ」署名を、山口でも広がるように大学病院院長や、県医師会会長に会う仕事が残っている。すでに約束が取れている。しかし、その成否は、相手の見識と度量で決まることで、私が格別努力して熱弁をふるう必要もないので、さっさと済ませてしまうつもりである。長老たちは自分の話をするのが忙しい。私の話など聞く気はないのだから、私としては、良い聞き手になる姿勢さえあればいいのである。

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2008年12月22日 (月)

最近の見聞 ①湯浅誠のほうが神野直彦より確りしている ②愛知県の派遣切りが北海道の病院の待合室にまで影響を及ぼしている

①12月15日月曜、上記の二人が出演するNHK-TVの討論番組を短時間見た。したがって、この感想はそのわずかな見聞による。情報としての信頼性は低いことをあらかじめお断りしておく。(このブログ全体がそうだ、といわれると返す言葉がなくなりますが・・・)

私が感心したのは湯浅誠氏の次の発言である。

「いまVTRで紹介されたケースでは、本人が生活保護を受けていることに注目する必要がある。

というのは、生活保護というしっかりした支援があれば、本人は希望に沿った仕事を丁寧に探せるからだ。このケースでも、本人が常勤雇用で働きたいと明確な希望を述べて、不安定な派遣で働くことを拒否することが可能だった。

このように、失業した人が生活保護で守られれば、日雇い派遣のような劣悪な雇用形態そのものが労働力市場から淘汰されて消える運命になる。」

すなわち、違法な派遣を禁止しようとしても抜け道ができやすい表面的な個別の法的措置だけでなく、一般的なセーフティネットを強固にすることにより普遍的な措置を講じることが雇用状態の改善に欠かせない、ということである。

そのとき、アナウンサーはその論旨の明確さに驚いて、口がぽかんと開いていた。社会政策にも通じている賢そうなアナウンサーでもそうなるほど、指摘は鮮やかに的を得ていた。

これに対し、神野直彦先生の意見は、善意だが意味不明瞭という印象が拭えなかった。日本で最も良心的な制度学派の経済学者で、若いとき1年余りニッサンの工場での労働者経験を持っている人といっても、政府の委員会に入ったり、現場につながりがなかったり、財源は消費税からという考えに固執していれば、こうなるしかないのかと思えた。これが無礼で的を外した感想であればいいのだが。

②出張した会議で聞いた話。

愛知県のトヨタの工場で派遣切りにあった兄弟が、地元の市に生活保護申請をしたところ、親族照会で北海道に姉がいるということを指摘され、姉を頼るように指導された。

北海道までのフェリー代をその市からもらって札幌に行ったが、姉も苦しい生活で二人には何の援助もできなかった。ここで兄弟はホームレス状態になるが、寒い北海道での野宿に耐え切れなくて、病院待合室に寝ようとしたところ、守衛さんに見咎められた。

事情を聞いた守衛さんは兄弟を追い出すことはしないで、数日間何も食べていなかったことを聞いてカップ麺を食べさせた。翌日ホームレス支援のNPOに連絡し、当面の宿泊場所は確保された。

そういう話であるが、この年末年始は派遣切り難民とも呼ぶべき青年が全国にあふれるのではないだろうか。そのとき「そこで寝てもらっては困るんだよ」などと追い出さない不完全義務が市民には最低限求められる。もちろん行政の完全義務はもっと別の形で存在する、と私には思われたことだった。

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2008年12月18日 (木)

埋蔵金は消えているようだ

社会保障費2200億円削減を撤回するため、健康保険組合を財政支援する基金という埋蔵金1兆5000億円を年金特別会計に返還・解消して1400億円を捻出するという今朝の新聞報道。

解消して?

「実は、その埋蔵金は取引停止になっているリーマンブラザーズ関係の証券に化けてなくなっていた、1400億円はその痕跡、この話全体が、埋蔵金の実体がなくなっていることを国民に隠す手品」

と、考えるとわかりやすい。「それだけの損失を出した責任が見事に消えた」という話ではないか? 

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