日記・コラム・つぶやき

2015年6月22日 (月)

写真

ひょんなことから、僕が開設者になってしまった保育園のホームページを開くと

最近預かってもらうことにした僕の孫の写真がいくつか現れる

今日は、初めて離乳食を食べさせられて泣きそうな顔が写っている

家族を一人失って、まもなく得たもう一人の家族

それが、どうしても 形を変えて帰ってきた人としか思えない今日の夕暮れである

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2014年4月 2日 (水)

無縁の死者として

縁者が死に絶え
子も老いたなら
僕は異郷の駅かマーケットに赴き
そこで静かに死にたい

どこの誰ともわからぬうちに
小さな町の町外れに無縁の死者として葬られれば
それに越す望みはない

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2014年2月27日 (木)

眠れない

行き違ったまま友人の 突然の訃報から

死者に囲まれる夜が始まる

シベリアで覚えたカチューシャの歌

それを膝の上で聞く娘など など

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2013年5月13日 (月)

どこにも帰るところはない

妻が突然になくなって、僕には家とか自宅という言葉がなくなった。
僕の身体が家であり、自宅だった。
今日の飛行機の上で僕は痛切にそれを感じた。
もはや僕には移動だとか旅だというものはなかった。
僕の身体のなかにある僕の感覚だけがこの世にあるすべてだった。
ここで死んだところで、僕は僕の身体のなかで死ぬに過ぎない。

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2013年4月19日 (金)

欠航

寝過ごして、大慌てで空港に駆けつけると、なぜかロビーに誰もいない。手荷物検査所へ向かうドアもしまっている。

奇妙だと思って怪しみながらあたりを見回していると、「欠航」という表示があった。天気も良くておよそ考えられないことだが、東京から飛行機が飛んで来なかったのだ。

呆れながら航空会社のカウンターに行くと、3時間後の別会社の便が準備されていた。1000円の食事券を与えられて、何もすることのない時間が小さな食堂以外何もない地方空港で急に生まれてしまった。

こんな訳のわからない突然の欠航があるのだ、と思うとさっきまでの自分の慌てぶりとの対照もあって、奇妙な気分に僕は引き込まれていった。

そして、僕はそのときようやく、1年半前急に姿を消した妻の死を正面から考えて始めた。いっときも忘れたことはなかったが、なぜ妻が死を選んだかを考えることだけは避け続けて来たのだ。

だが、いつ、僕にも突然の「欠航」がくるかもしれない。考えるべきことはいっときも早く考えておかなければならない。

妻が死ぬ前に何を感じていたかを想像するのは毎日だった。台風が去ったあとの日本海の荒れた波の音を断崖の上で停めた車の中の暗闇で聞いていたのだ。そして、どんな風に気持ちを決めて車のドアを開けて出ていったのか。

その数時間前、僕と電話で話している。
「今日は出張で両国のホテルにいるよ」と、僕が言うと、「両国・・・。」と言って黙ったあと、「ありがとう」と言って電話は切れた。

そのあとのことは、もう考えられなくなるのだが、今日、急に思いだしたのは、妻が支援していたホームレスの人が就職したばかりの仕事場から消えて行方不明になって、妻を含めた関係者が必死に探していたのだが、やがて門司沖の海岸で水死体で見つかり、それを告げる電話が自宅にいた妻にかかって来た現場に、僕が偶然居合わせたときのことだ。

妻は声を失ってしばらく呆然としていたが急に号泣し始めた。僕の声かけには何も反応せず、妻は泣き続けた。

面識のないホームレスの男の死は、そのとき僕から遠かった。泣いている妻を持て余しながら、僕は間もなく仕事に出かけたのだが、このとき、すでに今ある結果が準備されたのだ、と今日、急に気付いた。

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2012年11月 2日 (金)

オリーブの実

  妻の死から1年を経て、ようやく僕はその不在に耐えられなくなる時もある自分を自覚するようになった。
1年間は新しい任務に適応することに全力をかけることで無理やり忘れていたのだが、転機はある秋の日、庭の掃除をしている時、不意に訪れた。
   
庭に植えた一本のオリーブの木の剪定をしていると、数個の黒い実が付いているのを発見した。オリーブの木の一本では実は成らないと聞いていたのに、確かに実があったのである。僕はその枝の一本を切って妻の写真の前に飾ることにした。その時、僕はこの実が妻からのメッセージだと自然に信じている自分を発見した。
そのような不合理な想念に捕らわれる僕の空虚の前で立ちすくむ思いがした。
 
その時から僕の長い晩年が始まったのである。

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2011年7月 4日 (月)

レニンの呵呵大笑

人間の社会性とは、他人から承認されたいということでもあるが、そこで選ばれる戦略は二つある。

一つは他人の上に立つことであり、もう一つは他人から感謝されることである。

おそらく前者の戦略が自然には優位となりやすいため、人間社会は階層性を帯びやすい。

そのため猿でも人間でもボスをもった社会を作ることが宿命のように思われるほどである。

だが、それは宿命でもなんでもなく、ただの傾向に過ぎない。

科学、すなわち理性によって、階層格差を大きくすることが健康を害する、寿命を短くすると一旦人間が認識したときには、人間の主体性はその社会のあり方を変えることができる。

そのときの戦略は人間の社会性の後者の戦略、すなわち他人から感謝されることで存在を承認されたい、お互い平等で助け合って生きていくことを大事にする戦略を他人の表現を採用すると「贈与・互酬の戦略」、が採用されるのは当然である。

そういうオルタナティブな戦略を生得的に人間は持っているのだ。

自然発生的に優位な「他人支配戦略」に対し、人間が主体性を発揮しなければ発現しない「平等戦略」を対峙させて人間は社会を作ってきたと言ってよい。

ついでに言えば、自然発生的な戦略とはもう古くなってしまった人間の認識構造に囚われているものであり、主体的な戦略は「物そのものの世界が人間の硬直した認識世界の底を破って露出した時に生じること」であるとレーニンは考えていた、というのが白井 聡君が力説するものである。

中沢新一氏は、そのときレーニンは、人間がうかがい知れない海中の中から突然魚が釣り糸にひっかかって跳び出してくる時の感じに等しいとして。「ドリン、ドリン」という形容を持つ大笑いにとり憑かれたと言う。

人間は主体的に古い認識世界(不平等な階層社会を成り立たせているもの)の底を破って、物自体の世界、すなわち、平等戦略が有効な世界に直面することもできる。

それがレーニンの場合は1917年の蜂起であり、革命だった。

僕らもいつかはその様に物そのものに直面すれば、腹の底から笑いつづけるのだ。

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2011年6月20日 (月)

ヘリコプターと銃口

夢を見た。

・・・・10万人の大集会の最中、大型ヘリコプターが参加者の頭上を旋回する。

軍による集会の妨害かと皆が空を眺めていると

ヘリコプターは演壇の真上に静止し、そこからロープ伝いに僕らの首相が

かりゆし姿で降りてきて演壇に立つ。

ヘリコプターが去って、騒音が鎮まると首相はマイクの前に。

「反対する閣僚を全員罷免してここに来ました。

A国には無条件返還の要求を通告し、

応じない場合、1年後に両国の同盟は失効します」

歓声が湧きあがったとき、

会場はA国軍のフルメタルジャケットの兵士に包囲されており、

1973年のチリが再現され始める。

会場のアリーナがそのまま、留置場に、処刑場になっていく。

目覚めても 僕の夢は醒めない。

思えば

A国の信用を失うな、と声高に言う人の背後にはいつも

僕たちの頭部に照眼を合わせた銃口が存在し続けたのだった。

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2010年11月16日 (火)

悪い天気というものはもはやない

色を落とした落葉樹が朝の光の中に立っている

そう、こんな時だ。

世界への私の愛着を自覚するのは。

晴れた朝の格別に透明な空気の中で

樹が燃えているように見えているときは特に。

今日のように厚い雲が空を覆って、

光はその隙間から洩れ出ているときであっても。

加藤さんの教えてくれたエピソード

「悪い天気が続くが加減はどうか」、

という若い友人の手紙に老人はこう返事した。

「この齢になると、悪い天気というものはない、

どんな天気でもいとおしい。」

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2010年6月29日 (火)

人がみな老いる六月に  

失われたのは

谷間を埋める蛙の声だけではない。

六月の列島を蔽う闇に響く群衆の喊声も失われた。

失ったものはそれだけだったろうか

模範演技中に転倒

脊損の身となった一人の体育教師は書いた

「もし、私がけがをしなければ、

私は母をうす汚れたひとり百姓の女としてしかみられないままに、

一生を高慢な気持ちで過ごしてしまっただろう」

やさしい言葉もかけられず

私の母親も急死した。

おそらく、母親にまっとうに人間として対峙するためには、

私もまた重い障害を背負わねばならなかった。

歩行を援助され

排泄の世話を受けて、

私は初めて他人の存在の意味を知ることになる。

人がみな老いる六月に

私は失った時間を思う。

何百分の一かは取り返せるかと案じながら

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