2025年10月31日 (金)

プレゼンスは空(くう)を必要とする

今日の言葉
「(医師の)プレゼンスは空(くう)を必要とする」
ロナルド・エプステイン
https://www.medsi.co.jp/products/detail/3901

つまり、病状説明中にひたすら話しまくるのでなく、その場を俯瞰する沈黙時間をあえて作ることである。

演奏中の休符が2秒続いて、その間、会場全体が一つになる体験があるそうだ。
診察中にも、そういう沈黙が必要だ。

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齋藤幸平ー志位和夫対談2回め

話題の齋藤幸平ー志位和夫対談2回めを見たが、結局、後者における「脱成長論」への理解、つまり、すでに気温1.5度上昇して後戻りできない気候危機への真剣な対処が伺えなかった。

2035年を目指す計画において大企業を脱CO2に巻き込んでいくためには脱成長をいうのは都合が悪いとしか言えなかったのである。

これに対して、斎藤幸平が気候危機を乗り切るのには、資本主義企業を「巻き込む」程度のことでなく、そのあり方をラディカル(根本的)に変えなくてはいけない、
「グレタ・トゥーンベリも企業を巻き込もうとか言わないでしょ」(33分台)あたりが決定的な分かれ道だった。

私達も資本主義企業が直ちになくなることは目指さないが、「今そこにあるコミュニズム」つまりコモンズが、脱成長的な地域主権主義=ミュニシパリズムの形をとって、併存する資本主義企業を制御しながら拡大することによって、気候危機対処は可能となると思っているのである。

そうでないと地域で「まちづくり」を頑張っている各地の民医連も、中央勢力に貢献するためだけの存在に成り下がるのである。

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齋藤幸平ー志位和夫対談2回め

話題の齋藤幸平ー志位和夫対談2回めを見たが、結局、後者における「脱成長論」への理解、つまり、すでに気温1.5度上昇して後戻りできない気候危機への真剣な対処が伺えなかった。

2035年を目指す計画において大企業を脱CO2に巻き込んでいくためには脱成長をいうのは都合が悪いとしか言えなかったのである。

これに対して、斎藤幸平が気候危機を乗り切るのには、資本主義企業を「巻き込む」程度のことでなく、そのあり方をラディカル(根本的)に変えなくてはいけない、
「グレタ・トゥーンベリも企業を巻き込もうとか言わないでしょ」(33分台)あたりが決定的な分かれ道だった。

私達も資本主義企業が直ちになくなることは目指さないが、「今そこにあるコミュニズム」つまりコモンズが、脱成長的な地域主権主義=ミュニシパリズムの形をとって、併存する資本主義企業を制御しながら拡大することによって、気候危機対処は可能となると思っているのである。

そうでないと地域で「まちづくり」を頑張っている民医連も、中央勢力に貢献するためだけの存在に成り下がるのである。

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2025年10月28日 (火)

同窓会報を読む

最近届いた山口大学医学部の同窓会である「霜仁会」の会報を見ると、関連病院長協議会の総会が開かれたとある。会員は57病院、全部が山口県内にあるわけではないが、山口県全体の病院総数の137の1/3くらいに相当する。ほぼ上位1/3が集まっていると考えて良い。

僕が勤務する宇部協立病院は、圧倒的に山口大学卒の医師が多いが、だれも大学病院医局に属したこともなく、医師派遣も受けていないので1982年の創立以降、関連病院に位置づけられたことはない。この20年来、臨床研修制度での協力の度合いは深まっているが、その位置づけは変わりそうにない。

かっては、そういう独立派でいることに矜持を持っていたのだが、いまのような著しい医師不足と地域医療の荒廃に襲われると、連携の必要性を痛感させられる。
しかし、おそらく大学病院関連病院会議などのような既存の機構に入り込むのは無理である。
そこで浮上してくるのが、自由度の高い地域医療連携推進法人の活用ということになる。知恵はここに向けて絞らなくてはならない。

しかし、それにしても「この病院でなければ」という特徴を持っての参加でなければ連携への壁は高い。
その特徴は、たとえばスペインのモンドラゴンという労働者協同組合のように際立っていなければならないと僕は思う。
というわけで本題に入るのだが、我々の「独立派の矜持」はどこに由来しているのだろう。
結局、それは「目と構え」というか「2本柱」というか、住民との協力に根ざす人権志向と、職員間の平等に根ざすチーム医療の質の高さである。
それを鍛えていけば、自ら編みだす地域医療連携推進法人の中心になり得る。

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2025年10月22日 (水)

2025.10.22 県連理事会挨拶 

2025.10.22 県連理事会挨拶 

急に涼しくなって過ごしやすくなりましたが、この秋も短い模様です。
全国的にクマ被害が問題になって、山口市から周防灘に突き出した半島である秋穂(あいお)地域でさえクマが出没するという事態ですが、以前、宇部学でもお話を聞いた広島の環境問題研究者の金井塚務さんによると、これは「クマが爆発的に増えたから」でなく、奥山の中心部の生態系が壊れ、クマが生きる場所と食料を失い、放棄地が増えた人里に押し出されている状態です。クマも環境破壊の犠牲者だということですが、気候変動の一つの現われだとすると、人間にとっての生きにくさがまた一つ出現したということかもしれません

今日は、手前味噌の話になって申し訳ありませんが、先日の全日本民医連の学運交で私が発表したものについて簡単にご紹介させていただきます。 
その後10月15日の朝日新聞の記事をみんなで読みあって挨拶に代えたいと思います。

まず、私の発表ですが、あまり普通の発表ではなくて、民医連の理念の歴史と構造を捉えるという話でした。私も今年度で民医連歴満50年になるので少し振り返っておこうという気になったものです。

以下がその大要です。

「20世紀初めの西欧由来のマルクス主義と日本社会の遭遇で日本共産党と民医連が生まれ、それ以降は日本共産党とともに歩んだことは確かだが、そもそもマルクス主義を日本で受け止めた主体は何だったのか。つまり受容する素地は何だったのかということが問題になる。

公式的には、日本に資本主義が発達し労働者階級が誕生していたということが回答ではあるだろうが、それはおいておくとして、受け入れる素地を仮に日本の民衆の平等志向だと仮定すると、
マルクス主義が日本に入って来る明治より前の歴史を遡れば民医連の先行者というべき人が必ず見つかるかどうかを調べる必要が出てくる。先行者を見つけることができれば、民医連運動の全部が外から持ち込まれたものでないこと、また資本主義の産物としての労働者階級が作ったというだけではないことが証明できるのではないか。

その候補として、忍性、三浦梅園、大石誠之助を挙げてみた。

また民医連の理念の現代史として、1990年以降の日本国憲法との合流、その後の国際人権規約、SDH、ケアの倫理の摂取は日本共産党とは異なる独自の道程だった。

それにより生まれた構造
近代医療への批判から生まれた三つの倫理の不可分の組み合わせこそが現在の民医連の理念の構造だとも言える。

それを、一般企業と共通の企業倫理である医療倫理、政治を通じた社会正義を目指す「公正としての正義」の倫理、人間同士との関わりの中にある、フェミニズム運動の中で確立した「ケアの倫理」の三角形を考案した。これは総合臨床モデルとしても表せる。

今後の展望
多くの病院には三つのうち企業倫理一つしか存在しないが、新自由主義はその企業倫理さえ破壊した。

逆に、気候危機の中のまちづくりはこれまでの枠には収まらない、倫理の拡大が望まれる。共同統治、コモンズの倫理というものだろうか。明治大学の重田園江さんの造語を使わせてもらうと、シン・アナキズムの倫理の摂取こそが今後のテーマとなるだろう。
具体的には地方自治主権主義の形態となるだろう。」

10月15日朝日新聞記事は、長谷部恭男加藤陽子、杉田敦3氏の鼎談ですが、高市ワ-クライフバランス発言や石破戦後80年所感他について鋭い解説をしているので、高市政権について考える際の頭を整理する意味でもぜひお読みください。

それから、10月からの介護情勢の変化ですが、2015年以降改悪が進んでいた、介護認定で要支援とされた人たち向けの介護予防・日常生活支援総合事業がついに、介護認定で要支援とされた人たち向けの新規の訪問介護や、通所介護がなくなり、行き場を失う人が続出しようとしています。
「ホープ」と名付けた週1回2時間の訪問サービス3ヶ月が代わりに準備され、記念病院、尾中病院、第一病院系列が手あげしていますが、なくなるサービスを補えるものではありません。その辺含めて今日は部会形式ですが、熱心な議論をよろしくおねがいします。

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2025年10月13日 (月)

2025年 民医連の学術運動交流集会で発表したこと

民医連の「まちづくり」と「地球の限界(プラネタリー・バウンダリー)」

はじめに:民医連の理念の進化

民医連は、1953年の創立以来、これまでに3回綱領を改定し、現在は第4番目の綱領のもとで活動しています。私は、特に2010年の綱領改定の背景を、日本や世界の情勢から深く考察したいと考えました。

前回の金澤での発表では、1990年以降の民医連理念の変遷を私なりに分析しました。その結論は、民医連の理念は、綱領制定以前から一貫して存在する**「日本の民衆社会の平等志向」という強い基盤に、時代ごとの主要な思想潮流が絶えず組み合わさって(ベクトル合成して)形成されてきた、ということです。このダイナミックな理念の形成過程**をある程度は捉えられたと思います。


理念の具体的な変遷

• 2010年綱領改定の背景: 1990年のソ連崩壊、天安門事件に象徴される中国の強権化、そして世界を席巻した新自由主義といった激動の中で、民医連は活動の根拠をもっととも影響の強かったマルクス主義にくわえて、改めて日本国憲法や国連憲章に求めました。


• 「正義の倫理」の取り込み: 

その後、国際人権規約などのリベラル平等主義と合流を深めます。

特に、マイケル・マーモットらが提唱した**「健康の社会的決定要因(SDH)」の知見が大きな転機となりました。これにより、健康を害する格差を「不正義」とみなし、「公正としての正義」や「ケイパビリティ(能力)の平等」といった「正義の倫理」**を理念に組み込みました。


• 「ケアの倫理」との合流: 

2020年代には、社会経済的な格差是正を目指す「正義の倫理」に加え、フェミニズムから生まれた**「ケアの倫理」との合流が顕著になります。

これは、ケアの受け手と与え手の平等だけでなく、ケアを引き受けることの平等や、人間にとってのケアの本質的な意義**を理念に取り込むことを意味します。


今回の試み:民医連の理念と近代医療への批判


今回の考察では、これまでの検討を土台としつつ、視点をより医療活動に引き寄せて再考しました。

民医連の理念の変化は、20世紀後半の近代医療に投げかけられた以下のような3つの大きな批判への応答として捉えることができます。


1:近代医療の有害さ

薬害や医療事故が多くの人命を奪ったことや、医師や病院の「権力」が大きくなりすぎた害が目立ってきたことです。


2:近代医療の視野の狭さ

研究対象が微生物や遺伝など生物的なものに偏り、社会や自然環境を軽視していることへの批判です。生物学的な要因は、健康阻害要因全体の20-40%程度を占めるに過ぎず、残りの60-80%は社会+自然環境要因によると推測される)


3:近代医療の過度の分業

人間が臓器の集合体に置き換えられ、全人的な幸福や尊厳という目標を見失ったのではないかという批判です。


民医連はこれらの批判に対し、以下のように応答しました。

1. 第1の批判(有害さ)への応答:

「臨床倫理」「医療の質」「医療の安全」の重視。

これは、民医連の方針における「安全、倫理、共同の営みを軸にした総合的な医療介護の質の向上」に相当します。(臨床倫理は他産業でいう企業倫理にあたります。)


2. 第2の批判(視野の狭さ)への応答:

マイケル・マーモットらの社会疫学を取り込み、**健康の社会的決定要因(SDH)**に先進的に取り組みました。

民医連の普及活動がなければ、SDHが医学部カリキュラムの必修項目になったのは難しかったと言えるほど、先駆的な役割を果たしました。


3. 第3の批判(過度の分業)への応答:

総合診療・家庭医療学の推進です。

患者の感情や人生のプロセス、医療者との心の交流を重視するこの学問が、民医連の医師研修の主流となり、医療活動全体に影響を及ぼしています。この学問の背骨となってくるのが**「ケアの倫理」**です。


これらの応答を図としてまとめてみると、このようになります。

これは現時点での民医連医療理念の構造の断面像を示していると思います。ここではいくつかのキーワードに注目していただけるといいかと思います。

医療介護において常に存在する**「3つの倫理」のどれを重視するかで、その組織や社会の性格が表現できることも示しています。

また、これを実践に展開すると、「疾患」「人」「社会」の3領域を統合する総合的臨床モデル**となります。


今後の課題:地球の限界(プラネタリー・バウンダリー)と民医連


以上を踏まえつつ、最後に、日本の民衆の平等志向を基盤とする民医連が、今後どのような新たな理念を生み出していくのか、という今回の発表の核心をようやく述べます。


それは、資本主義の生産力拡大が自然環境にもたらす亀裂、すなわち**「プラネタリー・バウンダリー(地球の限界)」**への対応として現れるでしょう。


現代の国際情勢(ガザのジェノサイドやトランプ政治など)も、支配層や富裕層が自らの生存環境を守り抜こうとする戦略と関連しているはずです。


私の予想は、これまで多くの目標の一つであった**「安心して住み続けられるまちづくり」が、「脱成長」論と合流することで、民医連の新たな画期的な理念**へと飛躍する、というものです。


「脱成長論」は民医連でまだ正式に議論されていませんが、生産力至上主義の放棄と、住民主権・自治主権(ミュニシパリズム)を実践の一歩とすることは共通しています。

これは、具体的には生活圏ごとの医療・介護、保育、教育といった「ケア」の自給を目指すことに他なりません。

この「ケアの自給」の実現にこそ、民医連の「まちづくり論」が歴史的に決定的な役割を果たすと確信しています。

これはあくまで私の現時点での予想ですが、地道な努力の積み重ねこそが接近の道であり、今後の「まちづくり」の重要性を強調するために、この考えを発表しました。

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2025年10月 4日 (土)

高松凌雲の研究:山田みどり「高松凌雲と同愛社」

民医連に先行する人々のなかに、福岡県小郡市出身の医師、高松凌雲(1837-1916)を挙げなければいけないのかもしれない。
吉村 昭『夜明けの雷鳴』という小説でしか知らなかったが、山田みどり「高松凌雲と同愛社」という論文を見たりするとそう思う。
非営利・協同総合研究所「いのちとくらし」はこういう研究を応援しないといけないのではないだろうか。

https://www.n-fukushi.ac.jp/gs/divisions/dc/degree/docs/editorial/no75.pdf

https://www.n-fukushi.ac.jp/gs/divisions/dc/degree/docs/paper/no75.pdf

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2025年10月 3日 (金)

ローカル政治新聞への寄稿

僕の勤務する宇部協立病院5階の医局からは福岡県、大分県の山と海岸線がよく見える。湖のような周防灘を挟んだ対岸なので、そこがなんだか自分の住んでいる場所のパラレル・ワールドのように思える。

 実際に、そこに行ってみると行橋市から豊前市方向を見るときに前方に広がる英彦山付近から海岸になだらかに伸びる山のシルエットは、新山口から宇部に向かうときに見える裾を長く引いた丘のラインと左右対称である。

さらに別府・大分を超えた先のことで周防灘の向こうになってしまうが、佐伯(さいき)という小さな城下町があり、そこは萩の毛利氏とは関係ない毛利家という大名がいて、明治期には山口県にゆかりの深い作家・国木田独歩が1年足らず住んでいた。独歩はここ佐伯を舞台にした『源叔父(げんおじ)』という初めての小説の着想を得ている。これは今読んでも面白い。佐伯から少し戻ると臼杵というもう少し小さい城下町がある。ここには小手川酒造いう酒屋があるが、店の一角がここに生まれた作家・野上弥生子の「文学記念館」になっている。野上弥生子と山口は直接は関係がないものの、1936年から45年までの10年間を舞台にした長編小説『迷路』は長州藩閥が生み出した戦前社会のほとんどすべてを知ることができる、僕が知る限りの日本文学の最高傑作である。

そして国東半島の中に入ると、両子山の麓に江戸時代の哲学者・社会活動家・村の医師である三浦梅園(1723—89)が、そこからほとんど出ることなく生きた村がある。「枯れ木に花咲くに驚くより 、生木に花咲くに驚け」と考えた理性の人であり、「反観合一」という言葉で知られる独創的な弁証法を駆使する哲学者だった。より重要なのは慈悲無尽講という協同組合の先駆的な組織を作り運営したことであり、僕はひそかに彼こそ民医連の源流の一人だと思っている。医局の窓から周防灘を超えて国東半島の独特の稜線を見るたびに、三浦梅園のことを思い出す。

しかし、周防灘はそんな平和な海ではない。1185年の壇ノ浦合戦は古すぎるとしても、1945年には戦艦大和はここを通って豊後水道に抜けて沖縄に向かって撃沈された。そして今、山口宇部空港、北九州空港、大分空港と狭い周防灘の中にひしめく3空港がそろって「特定利用空港」となり、呉、岩国、築城という米軍・自衛隊基地と密接に連携するようになった。時折、戦闘機が宇部上空を南に向かう轟音も聞こえる。梅園が生きていたら黙って見過ごすことは絶対になかっただろう。

 

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2025年9月29日 (月)

「経営評議会」と民医連


民医連は医療生協などの形態での大衆所有というだけでなく、「経営評議会」的な労働者の自主管理を特徴としたはずである。それを全職員参加の経営と呼んでいるが、その実質的到達はどの程度なのだろうか。労働組合が存在するというだけの話ではない。
こうした疑問が、「非営利・協同」の探求を生むはずである。

しかし、そういうことを論じているだけでは、格差拡大による社会の破壊や自然破壊という現代の抜き差しならない問題からは立ち遅れていく。

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2025年9月24日 (水)

富裕者の気候危機生き残り戦略

トランプの気候変動否定攻撃を見ていると、イーロン・マスクらも含めて彼らの意図は、一握りの富裕者のみの気候危機生き残り戦略だ分かる。
気候危機など起こるはずがない という口実で大多数の人々を切り捨てれば、テクノロジー活用でそれが可能だと踏んでいるのだろう。地球人口1億くらいで、自分たちに仕える奴隷層が9500万人もいればいいと思っているのではないか。

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