2012年1月28日 (土)

私の生協理事長挨拶

ひとつ前のブログ記事を完成する暇がなく、仕事に追われている。今日も当直をし、救急車を引受け、インフルエンザの患者さんを相手にさっきまで走り回りながら、明日の医療生協理事会の挨拶を書いていた。

結局、書きたいことはこちらに書いたので、その挨拶をここに記録しておくことにした。先週の出張の回顧はおいおいと記録して行こう。:

今年最初の理事会です。年が明けるともう6月の総代会に向けて準備を進めないといけません。特に今年は役員改選の年ですので大変です。熱心なご討議をよろしくお願いします。

医療生協の会務にはあまり関係がないのですが、この間、私にとっては畑違いの二人の話を聞く機会があって、いずれも感銘深いものでした。

一人は下関市の細江カソリック協会の林尚志神父という70歳代後半の元気な方の講演です。一時は宇部の教会にも勤められており、有名な米原ろしゅうさんなども援助されたようです。

カソリックの一派イエズス会は「弱い立場の人びと」の側に立って「誰もが大切にされる、正義にかなう新しい社会」を建設することを重要な使命と考えて、日本に三つの活動センターを作っています。その一つが「下関労働教育センター」です。その中心だった林神父さんが岩波書店から本を出したので

お祝い会が最近ありました。

林神父は広島でイエズス会立の中学の教師をしていた時があって、その時の教え子に今は東大教育学部で哲学を教えている川本隆史教授がいて、僕が尊敬している友人です。その川本さんがその場でお祝いの講演をすることになりましたので川本さんに誘われて、ほとんど無関係な立場で会にまぎれこんだわけです。

このセンターは下関で長い活動歴があるようなのですが、100人近くいた参加者のなかで私が知っている人は本当に少なく、85歳の開業医であるA先生、保険医協会のT前事務局長をかろうじて知っていただけです。A先生は下関の良心ともいうべき人で、センターの中心的支援者のようです。

護憲・反戦平和の立場でほとんど同じ方向で運動していながら、全く日常的な交流がない、これでいいのだろうかというのが私の持った感想です。なにか語り難い経緯が歴史的にあったのかもしれませんが、現在こんなに近い所で活動している人がバラバラでなく互いに結びつくようなネットワークを作らないといけないと強く思いました。

たしかにものすごい弾圧があった戦前や戦後の一時期では、官憲に捕まった時に拷問されて ―拷問の話はまたあとでするのですが― 仲間の名前を口にしてしまわないよう、活動家同士の横の交流は禁じられていましたが、今は全く条件が違う、人から人を介して知り合いが無限に広がるような運動スタイルの方が求められているのではないでしょうか。この話も後の話と関係してきます。

もう一つは、雪印乳業の酪農副部長をされていた65歳の獣医さんにお願いした山口民医連「宇部学」講話です。

宇部高校を卒業して、鳥取大学農学部にいき、雪印乳業に就職し定年で宇部に帰ってきて、最近私の患者さんになったのですが、被害者が15千人に達して雪印没落の原因となった2000年の集団食中毒事件に遭遇されていたのでその経験を話してもらいました。

社長が記者に付きまとわれて「私は昨日の晩眠っていないんだよ!!」とキレて呆れられたあの事件です。

この事件は当初大阪で患者が発生したので、大阪の工場の汚染が疑われたのですが、実は遠く北海道で、しかも3ヶ月前に、原料の脱脂粉乳を作っている工場に停電が起こったことが原因でした。停電中に黄色ブドウ球菌が牛乳の中で増殖し毒素を作りだしました。この毒素は加熱しても消えないものです。したがって原料はすぐに廃棄しなければならなかったのですが、ここの工場長は停電回復後何事もなかったかのようにラインを再開してしまいました。

元酪農副部長の方はこの事件から二つ教訓を引き出されているようでした。一つは1955年にも工場停電で同じような事故(八雲工場事件)を起していたのにその反省が何処にも生かされていなかった、実は組織として何も学んでいなかったということです。もう一つは、工場長には獣医がなるという慣習があったのが次第に壊れてきて、機械に強いので工学部卒の人がなる、あるいは経営を考えて経済学部卒の人がなる、そうなるときちんと食品の安全を考えなくなりやすいということです。

この話も、参加した職員には相当興味深く受け取られたようです。私たちがなにより大事にしないといけないのは医療の安全ですが、医療以外の産業における企業の教訓を積極的に学ぶことがやはり必要だ、常に視野を広く持たないといけないと思わされました。

 そこで、情勢ですが、お手元に「月刊保団連」20121月号の渡辺 治さんの論文をお配りしました。

極めて要領よく現在の情勢を説明していますのでぜひ活用して頂きたいと思います。

若干読みづらい構成になっているので、私が要らぬ解説をしておきますと、渡辺さんは、2011年には2つの「国民的体験」というものがあり、そしてそれぞれに二つづつ教訓があったと言っています。2×2という構成です。これがわかるとこの論文は読みやすくなります。

国民的体験の第一は「民主党政権の転落」です。2008年に政権交代が起こった時、ここまでダメになるとはだれも予想しませんでした。それでも、教訓その1として「運動の力で構造改革に歯止めをかける政権を作ることはできる」ということが挙げられます。高校授業料の無償化、障害者自立支援法の廃止、生活保護の母子加算復活はその成果でした。

そして教訓その2は「しかし、体系的に福祉の充実を進めないと構造改革は止められない」ということでした。ここで体系的な「新しい福祉国家構想」の必要性が浮上するわけです。

2の国民的体験は「東日本大震災と原発事故」です。その教訓1は震災・事故がこれほど深刻化したのは震災以前の構造改革のためだったということです。構造改革により日本全体が災害や事故に非常に弱い社会になっていました。そして、重要なことは、この災害を利用して一層の構造改革を進めようという勢力がいることです。ここでも、その対抗軸としての「新しい福祉国家」の必要性がクローズアップされます。

東日本大震災からの教訓その2は、少し変わった見方ですが、災害後の社会は人々が心を通わす連帯の社会が一瞬ながら姿を現したということです。誤解を恐れずに言えば、震災後数カ月、日本の人々は高揚し、ある意味幸福だったと言えないでしょうか。同じことをレベッカ・ソルニットという人が「災害ユートピア」亜紀書房に書いていました。これは「新しい福祉国家」が実現の可能性を持っている証拠でもありました。

 こうして二つの国民的経験はいずれも新しい福祉国家構想の必要性と実現可能性を証明するものでした。

 ここで、わたしはいま評判になっている一冊の本を紹介したいと思います。ナオミ・クラインの「ショック・ドクトリン」です。 

 さきほど戦前の拷問の話を少ししましたが、イラクに置かれたアメリカの捕虜収容所での電気ショックを中心とした拷問は、捕虜が人格を崩壊させ、進んで協力者になるべく体系的なものに仕上げられています。恐ろしいことに、これをそのまま経済に応用しているのが新自由主義者による構造改革の実行計画です。新自由主義者はたえず大災害や暴動や内戦を待っています。それらによって国民が電気ショックにあったように茫然自失となった所を狙って、一気に新自由主義改革を進めようとするわけです。それ自体が抵抗しようという心を奪ってしまう原因にもなります。2007年に出版された本ですが、世界の実例を非常に詳しく書いています。相当長いものですが、一読を是非お勧めするものです。

なぜ、この話をするかという、渡辺さんも書いているように、野田内閣の4大課題は①TPP参加、②税と社会保障の一体改革、③原発再稼働、④普天間基地の辺野古移転ですが、これを実行するため極めて強権的・高圧的になっているのが今の野田首相の特徴だからです。

これはまさに大震災で打ちのめされ、原発事故でバラバラになった国民のショック状態を利用しようという、「ショック・ドクトリン」をそのまま地で行こうという姿勢にほかなりません。

国民の側は、この4大課題を阻む大国民運動を起こさなくてはなりませんが、渡辺さんは、運動に新しい大きな「固まり」が二つが存在していると言っています。一つはTPP反対運動で実現した、既成大組織が大合同してオールジャパンとなった運動です。もう一つは、原発反対運動で見られた、既成組織にとらわれない新しい運動です。「9.19さよなら原発集会」に見られたような、九条の会型の運動や、子育てしている母親や若者のネットワーク的な運動がそれです。これは、「ウォール街を占拠せよ」「私たちは99%だ」と叫ぶニューヨークの集会にも共通します。その時のナオミ・クラインの演説が「雑誌」世界2011年12月号に載っておりました。下関の林神父の活動を知る必要がある、また雪印乳業などで働いたことのある人の意見を聞くのが重要だと最初に私が申し上げたのもこれに関係しています。

こうした二つの新しい運動体を大事に育て、できれば「新しい福祉国家」を合言葉にして進もう、ということです。ナオミ・クラインはさっきの文章を次のように結んでいます。 「私たちは、この地球上でもっとも強力な権力を持つ相手にケンカを吹っ掛けたのです。それは怖いことです。運動が大きくなれば報復の怖さも増していきます。運動の標的をもっと小さなものにしたくなる誘惑、たとえばこの会場の隣の人に論争を吹っ掛けることで済ますというような誘惑、それは勝ち目があるし、怖くないのですが、そんな誘惑に負けないように注意してください。隣の人はみんな同志と思ってください。」

これが2012年の大局的な展望だと私は考えております。」

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2012年1月24日 (火)

1月19日から22日のこと・・・「災害ユートピア」 、「ショック・シンドローム」、クリシェとしての「矛盾」、WHOの健康戦略の変化、清瀬市訪問、林神父の話、センの「脱集計化」

今年、初めての出張の話である。標題に書いたようにいろんなことがあったので、統一した感想をまとめきれないうえ、宇部に帰るとすぐに別の仕事が忙しくもなった。大事なこともそうでないこともあまり吟味もしないで記録しておくしかない。

記憶に残った言葉:(  )は僕の感想

○林神父―「寝る前に自分の書いたものを何度も読み返して発見がある。」

(僕も自分のブログを読み直すと、すでに記録したアイデアを忘れているのを発見して焦ることがある。ブログに向かう時間が多いのも、備忘のためなのだと改めて気付く)

―「私に関わらなかった方が良かったと思う人はいる。その人たちに泥水を飲ませることとなった。」

(誰もが活動に向いているわけではない。その資質がないのに日本を飛び出して精神が破たんした人もいるのだろう。そのことを最初から予想できるわけではないし、当初の勇気は多くの人がほめたたえるものなのだ)

○清瀬の複数の医師たち―「自分は『来た球』を打ち返しているだけの医師生活を送っている。」

(この言葉は映画「ディア・ドクター」や原作の小説に出てきた言葉で、マンネリに陥った医師にとってなかなかリアルな言葉なのだが、みんなあの映画を見たのだろうか)

そういえば、清瀬あたりは「来た球(北多摩)」というのだった。

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雑誌「月刊保団連」2012年1月号: 渡辺 治「2012年の展望を語る」・

極めて要領よく現在の情勢を説明する文章が、雑誌「月刊保団連」2012年1月号の巻頭を飾っている。

医療運動に従事するすべての人に格好の学習材料である。

もうすぐ2年に1回の総会を迎える全日本民医連の方針作りの上でも、この文章を読んでおくことは大変有益である。

2011年には2つ国民的体験というものがあった。そしてそれぞれに二つづつ教訓がある。

国民的体験A 「民主党政権の右転落」

教訓1 運動の力で構造改革に歯止めをかける政権をいったんは作ることができるということ。

高校授業料無償化、障害者自立支援法廃止、生活保護の母子加算復活はその成果である。

教訓2 しかし、体系的に福祉の充実を進めないと構造改革政治は止められない

新しい福祉国家構想は急務である。

国民的体験B 「東日本大震災と原発事故」

教訓1 震災・事故がこれほど深刻化したのは震災以前の構造改革政治のためである。

(病院や老人施設はなくなり、公務員は減らされていた。)

そして災害に乗じて政府の「東日本大震災復興構想会議」は一層の構造改革を進めようとしており、真の復興が妨げられようとしている。

新しい福祉国家構想は急務である。

教訓2 災害後の社会は、新しい福祉国家が実現する社会保障の萌芽を垣間見させた。

被災者の病院窓口負担無料、健康保険料の支払い猶予、生活保護給付要件の緩和、雇用保険の延長などはすぐに実現した。

もとより、そういう措置が必要なのは被災者だけではない。災害は震災以前から社会に蔓延していたのである。

こうして二つの国民的経験はいずれも新しい福祉国家構想の必要性を証明するものだった。

しかし民主党政権は野田内閣に至って完全に構造改革に回帰していた。その4大課題はTPP参加、税と社会保障の一体改革、原発再稼働、普天間基地の辺野古移転である。これを実行するため強権的になり、自民・公明と協調するという方向が明瞭になってきた。

国民の側は、この4大課題を阻む大国民運動を起こさなくてはならない。

TPP反対運動では、既成組織が大合同してオールジャパンの運動になった。

原発反対運動は、既成組織にとらわれない新しいモデルを作りだした。「9.19さよなら原発集会」に見られるように、九条の会型の広範な運動に加え、子育てしている母親や若者の運動がそれである。

このように運動の大きな「塊」二つが存在している

ここから新しい福祉国家に向かってもっと大きな運動を起こさなければならない。

新しい福祉国家をつくるために5つの留意点を述べる

①雇用保障と社会保障を車の両輪にする。

②社会保障憲章と社会保障基本法という相補的な二つの提案を用意する。

③その二つは憲法25条を具体化して、人間らしい生活の水準、範囲、原則を新たに明らかにする。社会保障の原則を否定する個別の実体法の条項もただす。

とくに居住保障を明確に位置付けることは重要である。

④社会保障の原則は二つあることを確定しておく。

ⅰ) 必要充足の原則・・・医療や介護、保育などのサービスにおける現物給付原則はこの中に含まれる

ⅱ) 応能負担原則・・・窓口負担0原則や保険料の減免の必要性、資格証明書発行の禁止などはここに入る

⑤社会保障憲章や社会保障基本法は「社会保障と税の一体改革」と真っ向から対決した内容になっている。

現物給付否定 対 現物給付原則の闘いである。

消費税引き上げ 対 応能負担+大企業の負担責任の闘いでもある。

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2012年1月19日 (木)

ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン」岩波書店2011・・・血と汚物にまみれた本源的蓄積は現代も続いている・・・マンデラにより解放された南アフリカでなぜコレラが流行するのか

夕方、東京に着くと寒いのに驚く。夜は雪になるらしい。
飛行機の中では上を読んでいた。

シカゴ学派とフリードマンについて初めて具体的な人間像として知って、とても興味深い。
資本「原理主義」ともいうべき彼らの最大の敵はマルクス主義ではなく、ケインズや北欧社会民主主義、さらにスカWルノらポピュリズム的な開発独裁などという修正資本主義だった。

レーニンのソ連が初の「マルクス経済学派」国家であったとすれば、アジェンデを殺して成立したピノチェト軍事政権は初の「シカゴ学派」国家だったのである。1973年9月11日、軍事クーデター成功、アジェンデ死亡の報に彼らが歓声を挙げたのも当然だったわけである。

*数年前の日本医師会の講演で宇沢弘文は自身がその場に居合わせて憤激を感じ、シカゴ学派と決別したと述べている。

シカゴ学派国家は、反対勢力へのテロを自由主義への転換のための主要な手段として利用した。暴力的なショックと政策的なショックは常にコインの裏表として存在した。

それはマルクスが資本主義の出現すなわち本源的蓄積を、全身血と汚物ににまみれて登場した、と表現したことをまざまざと思い起こさせるものである。となると本源的蓄積は資本主義の生成期に限らず、資本主義の時代を通じてずっと継続されているのではないかと思わせられる。

○ところで、この本の中で、世間に信じられている常識と大いに違うのは、1989年5月の中国天安門事件だろう。守旧派の共産党と欧米型の自由を求める学生・市民との衝突と見えたものが、実はフリードマンに教えられたとおりの改革を進める共産党指導部と、その改革の痛みに耐えかねた市民・労働者との衝突だったのである。フリードマンの教えるショック療法に忠実に断固として市民・労働者は弾圧・虐殺された。弾圧の標的は工場労働者だった。要するにチリと同じことが中国に起こったのである。ピノチェト=鄧小平だった。趙紫陽は民主主義と市場主義を両立させようとして失脚した。

天安門事件によって気力を失った国民からの収奪により、2006年、中国の億万長者の9割は共産党幹部の子弟=太子党で占められるにいたった。中国と北朝鮮が仲が良いのもこのような事情によるだろう。s

中国共産党幹部による中国資本主義の生成も血と汚物にまみれている。

○また、ワレサ率いる「連帯」が政権を取った後、彼らがシカゴ学派にそそのかされて始めたショック療法=経済改革によって2003年貧困ライン以下の生活を送る国民がじつに59%に達してしまった。失業のない『社会主義』の国から、若年層の失業40%の国へと変わったのである。

○2010年10月の記事で僕は以下のことを記録している。

世界には安全な飲み水を得られない人が8億84百万人、水洗トイレが使えない人が26億人以上いるのに、1992年国連の「水と環境に関する国際会議」が水道事業の民営化方針を決め、世界銀行の貧困国融資も水道民営化を必須条件とするようになっため、南アフリカでは、水道料金が払えず水道サービスを受けられない人が激増して2000-2001年に大規模なコレラ流行が起こって多数の死者が出た。

雑誌「世界」2010年10月号で読んだことだ。

なぜそんなことがマンデラが大統領になった国で起こったか不思議でならなかったが、彼の政権がGATT(WTOの前身)にがんじがらめにされて何の自由もなかったことがこの本でよくわかった。

そのため2006年時点で南アフリカの平均寿命は1990年に比べ13年も短くなっていたのである。

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2012年1月15日 (日)

加藤周一「ひとりでいいんです 加藤周一の遺した言葉」講談社2011

加藤周一さんの本を読むことは僕にとって純粋な楽しみで、好きな音楽を聞くに等しい。この本もそのような本で、特に書くべきことはない。どこにも加藤さんの息遣いが溢れているようで、作ってくれた凡人会の人達にお礼を言いたくなる。

もちろん加藤さんと僕の意見が違うところもある。とくに中国の文化大革命やチベット独立問題ではそうである。ダライ・ラマのもとでチベットが独立すると、政教一致の国になるので好ましくないとする加藤さんの主張は加藤さんらしくなく混乱している。しかし、そんなことはどうでもよい。

一点だけ、今の僕の仕事に直接に関係することがあった。第5章の技術者と知識人を論じた部分である。

少し僕流に変えて引用すると、「技術者と知識人の分かれ目は、専門家が専門外に出て 、自分の仕事が社会や人間にどういう影響を及ぼすか考えるかどうかにある、とサルトルは定義した。自分もそれに同意する。しかし、問題はそこではなくて、どうしたらそのようにして技術者が知識人になれるかという過程あるいは方法にこそある。」と加藤さんは言っている。

医師が一般的な守備範囲を超えて人権の守り手になるには何が必要なのか、それが今の僕の第一の関心事である。医師がどこまで行っても視野の狭い専門家でしかない現実を、特に青年医師のところでどう変えることができるのか、いつも考えている。加藤さんはそここそが一番難しいと言ってくれているのだ。

その答えは、第3章にありそうだ。結局のところ、「原体験」と呼ぶべき経験しかないのだろう。
東日本大震災の支援活動が一人の医師の原体験になる可能性がある。
それは、今読んでいる、レベッカ・ソルニット「災害ユートピア」が関連したことだろう。
しかし、ソルニットは、災害は実は普遍的にある、いまの社会そのものが災害だといっているのだ。
日常生活のなかにある災害を見抜く目を養えば、人々の変化はきっと起こる。
医学生や若い医師もそういう経験が重ねられれば知識人に育つはずだ。

それからもう一つ、「一つの観点からいくら世界がよく見通せたとしても、それはそれが唯一の観点だということは違う、混同してはならない。そういう観点は複数存在する可能性がある」と加藤さんがしているのは、僕の当面の関心に影響する。

いまの共産党からは受け入れ難く思われるだろう柄谷行人のマルクス解釈も、加藤さんは容易に受け入れただろうことを推測させるものである。生産力と生産様式を土台に上部構造を見通すことも、生産力ー生産様式に加えて交換様式を土台にして別の上部構造を見通すこともいずれも可能なことで、どちらかが間違っているわけではない。

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2012年1月11日 (水)

在宅医療の時代―民医連―猪飼周平「地域包括ケアの時代」―健康権―WHO「健康の社会的決定要因」―柄谷行人「国連のWHO型の改革」・9条実現の日本の国際貢献―「新しい福祉国家」に向けて

東京の清瀬市で診療所6か所を展開している医療生活協同組合から学習会の講師を頼まれたのでその準備に追われている。

テーマは「地域包括ケア時代に診療所はどう備えるか」。

2011年8月に全日本民医連が参加者500人を優に超える在宅医療交流集会を開いて当面の方針を提案しているので、それを説明するというのが僕の役目のようなのだが、その時に未解決の問題もあるので、全く新たなテーマと思って取り組んでみた。

超高齢社会にむけてどういう地域医療の課題の変化が起こるかを予想し、そこで求められる医療活動と政府の政策の大きな食い違いを市民と医療人の連帯した運動で解決しようというのが当然主題となる。

在宅医療が今の数倍に拡大されなければ超高齢社会における高齢者の人権は守れないが、政府は間に合わせの介護の拡大と高額なサービス付き高齢者住宅の大量建設で済ませようとしている。後者はゼネコンの新たな市場であり、そこには入れない貧困な人は超高齢化時代の新たな難民になっていく。古びていくにまかされている老人施設が難民キャンプになるかもしれない。

まず超高齢社会を「脱医療化」の時代にしないよう、医療の持つ役割をしっかり市民に訴える必要がある。

しかし、その医療の中身は、現在の急性期病院における専門医の行う医療ではない。中小病院と診療所と老人施設の全部が見渡せる総合医と多職種からなるチーム医療である。総合医は全部の医師の最低4割はいなくてはならないだろう。チーム医療は個別の病院の中に閉じこもるものでなく、病院、経営を超えて全地域が一体のものになるような地域医療である。

そのようなチーム作りを、「地域医療の民主的形成」と呼びたいし、チームのまとめ役を「地域連携コーディネーター」と呼びたい。

しかし、それはまだ高齢者ケアに限局した話である。猪飼周平によれば、ケア全体が「地域包括ケア」に向かって大きく転換しようとしている。その背景にあるのは「病院治療」一辺倒から「QOL重視」へ向かう社会の価値観の大きな変化である。それを猪飼は「生活モデル」とも呼んでいる。

生活モデルに向かう価値観の変化はまず障害者福祉から生じたが、本質的には、グローバリズムと格差の進行の中での「健康の社会的決定要因」の発見と確認による変化である。それによって「健康権」という概念が科学的根拠を得た。

この変化はWHOを源としている。

WHOの健康戦略の変遷も興味深い。1970年代の「プライマリ・ヘルス・ケア」は先進国を排除した中国・ソ連モデルだった。1980年代のヘルス・プロモーションは先進国の格差増大に直面して先進国がイニシアチブを発揮したが、結局はアメリカ式の個人のエンパワーメントと個人責任追及がヨーロッパ式の環境改善より優勢になってしまった。

そこで1990年代になって、ヨーロッパ式の環境改善方針の根拠を確立する「健康の社会的決定要因」の追求が本格化する。そこで発見されたのは、圧倒的な健康の社会的剥奪要因である。その影響から逃れられる人間はいなかった。格差社会は社会全体を不幸にしていたのである。

ここに至って、そういう健康破壊にさらされないことを保障する「健康権」が確立する。それは生活モデルの健康追求と言い換えてもよい。

健康権を実現するのは「新しい福祉国家」だが、この国家は憲法9条を完全に実施することで『生活モデル」による国際貢献を果たし、それが国連全体を変えていく。

国連は、大国の軍事力をバックにした「安全保障理事会」中心型から、すべての成員が平等なWHO型に変わり、世界共和国への展望を得る。これが柄谷行人のいう世界同時革命そのものである。

では「新しい福祉国家」はどのように実現されるのだろうか。それは「国家+資本」主義を規制する協同組合的な交換様式の発展による。この交換様式は事業体としては協同組合、運動体としては新たなコミュニティづくりである。それは民医連が唱える「非営利・協同セクター」の発展ということにほかならない。

まとめてみると、≪在宅医療の時代―民医連の方針―猪飼周平「地域包括ケアの時代」―健康権―WHO「健康の社会的決定要因」―柄谷行人「国連のWHO型の改革」・9条実現の日本の国際貢献―「新しい福祉国家」に向けて≫ という流れを60分で説明するつもり。出来そうもないか・・・?

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2012年1月 4日 (水)

朝日新聞1月4日にアントニオ・ネグりのインタビュー「新しい民主主義」

ネグりは多国籍大企業や国際通貨基金、世界貿易機関などが一体になって作られるグローバルな権力と秩序を「帝国」と呼んだ。そして、もちろんアメリカがその中心だが、アメリカそのものが帝国だというわけではないとした。

帝国の対抗勢力は「マルチチュード」と呼ばれる自律的で、可動性と柔軟性に富んだ労働市民層である。

こういう主張はアメリカからは気に入れられて、日本でも彼の「帝国」はNHKが出版を手掛けている。「NHK出版から発行される革命書!!」

ネグりがアメリカから気に入られた理由は、アメリカの目指すものを彼が的確に言い表しており、対抗勢力 マルチチュードが的を茫漠としたグローバルな帝国に絞る時、本当の主戦場たる国民国家での闘いがぼやけてしまうからである。

そういう意味で、僕はネグりはアメリカの「異形の代理人」あるいは危険な挑発者と思っているが、この記事を読むと彼にも変化が生じているのではないかという気がした。

というのは「ウォール街を占拠せよ」などの非暴力的な抵抗運動を彼が評価しているからである。

そして「真の意味の民主主義政治」とは?という質問に病院を例に取り上げている。若干僕流に変えてメモしておこう。

「それを病院の運営で説明しよう。真の民主的な病院とは、という質問になる。

単に治療や研究の場としてだけでなく、患者との人間関係、愛情、社会とのつながりなどを考えて、もっと人間的な病院を組織するにはどうすればいいかという質問になる。

その答えは、生活全般の中に病院を置いて考えればいい、ということになる。

こうした病院を政治に置き換えれば真の民主主義のモデルになる」

民主的な医療運動が、民主的な政治運動にまっすぐつながり、モデルになるとネグりは言っているのだ。

まるで、ネグりが民医連を研究したのではないかと思えるような話だが、これはヨーロッパ左翼の伝統かもしれない。

というのは、19世紀にあのウイルヒョウが「医療はすべて政治であり、政治とは大規模な医療にほかならない」と述べているからである。

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2012年1月 2日 (月)

雑誌「世界」12月号 ナオミ・クラインの記事「ウォール街を占拠せよ ―世界で今いちばん重要なこと」に励まされる・・・中野剛志とも共通点があるかもしれない

年末年始は12月29日と1月2日が当直。その間は、病棟から入院患者の変化の報があるたびになるべく素早く病院に行き短時間で方針を出して帰宅して読書という方針にした。

読書といってもたかが知れている。友人からもらった中野剛志の本2冊、理事長室の本棚の整理をしている途中に手に取ってしまった佐藤貴美子「われら青春の時」新日本出版社2009(名古屋の民医連の歴史の小説化されたもの)、およびマルクス「経済学批判」の序文くらい。

中野剛志は佐伯啓思に似ているのかもしれない。そういえば二人とも今は京大にいる。グローバル化でなぜ貧富の格差が広がったかをデフレをキーワードにして説明しているのが説得的だ。最初はつまらないと思ったのだがだんだん面白くなってきた。日本のコミュニタリアニズムはばかにはできない。吸収するべきものは吸収し可能なら共闘の道をさぐることが必要なのだろう。

それよりも気が重いのは1月から2月にかけて急に4箇所での学習会の講師を引き受けてしまったのと、その真ん中あたりに医学部での特別講義が入ったことだ。どれもテーマは近接する。

これまで作ったいくつかのプレゼンテーションをそのまま使ってしゃべれなくもないのだが、自分自身の考えがそれらを作った当時より大きく変わっている気がしているので、全く新しく作りたい。そこで、全体の概要を講演調の原稿として書いてみることにした。しかし、これが強い心理的抵抗を生んでしまう。なんだか自分の力量をはるかに超えたテーマに挑んで、結局は空疎なことを大げさな身振りでしゃべろうとしているのではないかという恐怖感にとらわれてしまう。

限局的かつ具体的なテーマを選んで、役所が発表している文書を読み込み、若干の批判を加えつつも正確に紹介すれば参加者には有益なのかもしれない。しかし、それは僕が最も不得意とすることだし、そういうことなら田舎の一臨床医の僕が講師になる必要はないのだ。

この二つの思いの間で仕事のスタートが切れない。

そのせいか、2日の朝はいなくなってしまった人に会う夢を見た。何かを頼まれたので、「それは簡単だが、でももうすぐ、いなくなってしまうんだよ」と言った。本人はそれを知らなかった風で、そこからどういう展開になるのか気がかりだったが、丁度その時、「病棟から入院患者の腹痛が続くがどうしたらいいか」という電話がかかってきて叩き起こされた。

暗い曇った朝だった。

厚い本を読む気にもなれず、机の上にあった雑誌をあれこれ読み散らかしているとき、やや古くなってしまった「世界」2011年12月号を手に取っているとナオミ・クライン「ウォール街を占拠せよ ―世界で今いちばん重要なこと」が目に付いた(124ページ)。

40歳くらいのカナダのジャーナリストであるナオミ・クラインは「ショック・ドクトリン」の著者で、先月の民医連の理事会でも数人が話題にしていた。その本自体を目にもしていないことで若干焦りを感じたことを思い出して、短い記事を読んだ。

*「ショック・ドクトリン」は日本の現状では「東日本大震災便乗型構造改革」とでも訳せそうで、その大要とナオミ・クライン自身の語りはhttp://democracynow.jp/video/20070917-1/で見ることができる。最初の登場する初老の女性はアナウンサーでナオミ・クラインではないことに注意。

「ウォール街を占拠せよ」「私たちは99%だ」というスローガンを掲げた今回の運動と1999年の反グローバリズムの運動の違いをナオミ・クラインは注目している。

まず経済状態が違う。1999年は世界経済は絶好調で失業も少なく、景気がよかったので強欲な経済システムと闘おうといっても得られる共感は少なかった。今は豊かな国は世界中から消えて、存在しているのは1%の金持ちだけになった。彼らが公共の富を略奪し、世界中の自然資源を使い尽くして金持ちになったのは明らかだった。運動の仕方も持続的になったし、非暴力に徹するようになった。権力のつけ入るすきがなくなっている。

ナオミ・クラインはここで触れていないが、運動が「反グローバリズム」と言わず、それぞれの国の支配の中枢に的を向けていることも大きな違いだろう。これは中野剛志の「経済ナショナリズム」とも関係するかもしれない。資本と国家が国民を忘れて癒着をますます深めることに批判を絞り、国民本位の国家が資本を規制する方向に変えることを目標とする点においてである。

しかし、それより、今の僕が励まされたのは以下の言葉である。僕流に少し変えてある。

「私たちは、この地球上でもっとも強力な権力を持つ相手にケンカを吹っ掛けたのです。それは怖いことです。運動が大きくなれば報復の怖さも増していきます。

運動の標的をもっと小さなものにしたくなる誘惑、たとえばこの会場の隣の人に論争を吹っ掛けることで済ますというような誘惑、それは勝ち目があるし、怖くないのですが、そんな誘惑に負けないように注意してください。隣の人はみんな同志と思ってください」

その直前にみた夢はいつまでも気持の底を漂っていたが、ナオミ・クラインも怖さと戦っているのだということ、これが今年の初めにまず励まされたことだった。

理解されないことを恐れず、話したいことを話してみよう。

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2011年12月30日 (金)

中野剛志「国力論」以文社2008、「国力とは何か 経済ナショナリズムの理論と政策」講談社現代新書2011・・・中国が第三次世界大戦の引き金を引くことを予想させるところにこの新書の価値がありそうだ・・

旧友から貰ったので読んだ本である。

まず前者から読み始めた。

著者は最近「TPP亡国論」などを出版して僕らとも共闘できる相手だと思っているのだが、これくらい僕に予備知識がなかった本も珍しく、ほとんど理解できない。 後者を読んで少しわかってきた。

著者は主流派経済学、すなわち構造改革派あるいは新自由主義派が、資本と国家の一体化を進め、国民を忘れていることに反対している。

後者の新書の方で東日本大震災の復興も国民の団結心、すなわちナショナリズムなしにはありえない、新自由主義に任せれば被災地は見捨てられるだけだと言っている。

国家は資本を軍事力で守っているが、本格的な軍事力は国民を通じてしか調達できないことはエレン・メイクシンズ・ウッドも言っていることである。けっして新自由主義が国民を忘れてしまえるわけではない。しかし優先順位として劣位においているのは確かだ。

著者の結論は国家と資本の癒着による国家資本主義への歩みを止めて、国民国家、すなわち国民志向の経済を持つ国家あるいは経済ナショナリズムを作ろうという呼びかけである。

柄谷行人の言うように資本、国家、ネーションをそれぞれ商品の交換、収奪と再分配、互酬(贈与と返礼)という生産物の主要3交換様式を代表する現代社会の実体的な土台とする立場からは、著者がネーションを主観や想像の産物とすることには異議があるだろうが、ともかく国民本位のすなわち互酬的交換を拡大するという立場であることは間違いなく、それは私たちとも共通するといってよい。

ただし、それ以上の具体像がここには示されていない。

一方、私たちの目標は、新しい福祉国家と新しい公平な国際経済秩序=真の国連中心主義である。これは互酬的交換を、ネーションとしてではなく、それとは違う新しい共同体連合として築きあげながら、グローバリゼーションと正面から向かい合って横に連帯を広げて行くという構想である。ネーションはそのなかでに繰りこまれ。消えるものではないが、中心にくるものではない。やはり国民国家の進化とは違う。

そういう意味でこの2冊の本は、僕には評価を定められないモヤモヤが残る本である。

それよりは、むしろ、国家資本主義の道を暴走するアメリカ、中国、ロシア、とりわけネーション形成が格別困難な中国が第三次世界大戦の引き金を引くことを予想させるところにこの新書の価値がありそうだ。

具体的には、国内の莫大な貧困層の異議申し立て、あるいはチベットなどもともと中国ではなかったところの独立運動が内乱に発展し、そこにアメリカ、ロシアが介入することから世界的な戦争は始まるだろう。

(そのさい著者が核兵器を抑止力と考えているのは間違いである。)

そして、この世界的戦争にあたって、戦争に加担しない、あるいは戦争を防ぐ日本国家をどう作るかが実は新しい福祉国家・日本が与えられた真の歴史的課題である。

それが新しい国民国家では、何とも心もとないではないか。

また、その事態に対しては東アジア共同体構想は何の意味もないだろう。

以下はメモ

○新書

35ページ

「日本は1998年以降デフレから抜け出せなくなっている」

36ページ

「デフレは国力を損なう。

労働者の所得は低下する。他方で輸出企業は人件費の圧縮が可能になり株主の利益を増やすことができる。その結果、労働者階級と資本家階級の所得格差が拡大する。

デフレは社会の格差をかかだいさせ、ネイションを分解させていく」

37ページ

「デフレによる失業は組織や社会から個人を阻害する。

個人の自尊心やアイデンティティは失われ、社会への敵意や憎悪を育てる。社会秩序は不安定になり、全体主義を生んでいく。」

「デフレによって内需がなくなり、海外市場の収奪のためのグローバル化が進行する。」

39ページ

「1997年の橋本構造改革からデフレが始まった。

1999 労働者派遣事業が製造業を除いて原則自由化。⇒2004製造業でも派遣解禁

2001 確定拠出年金制度導入=企業の年金への責任免除

2002 商法改正 アメリカ的社外取締役導入 外資による買収の自由化

2005 会社法制定 株式交換が外資に解禁⇒90年代まで10%だった外国人持ち株比率が2006年には25%に。

いずれも競争激化によるデフレ圧力となった。

その結果、大企業の純利益、役員報酬、株主配当は急上昇した。

一方、失業率は高止まり、給与、労働分配率は下がり続けた。自殺の急増、非正規労働者の増加、就職難、地域共同体と家族の解体、無縁社会の出現も、このデフレ不況の結果である。」

○新書43ページ

「1970年代後半、アメリカの富裕層の上位1%が有する富は国民総所得の9%以下にすぎなかったが、2007年までには国民総所得の23.5%に膨れ上がり、貧富の格差は著しく拡大した。」

44ページ

「グローバリゼーションによる貧富の格差、賃金の低下は、アメリカの内需も低下させるはずだった。ところが、住宅価格をバブル化させることで、アメリカの労働者に賃金低下を借金で補わせ購買心をあおって内需を減少させなかった。2007年そのバブルははじけて、リーマンショックとなって世界的な経済危機が起きた。⇒53ページ アメリカは大規模な金融緩和を実施し、あふれたドルは、製造業ではなく金融市場になだれ込み、原油や穀物価格の高騰を引き起こした。」

「しかし、その後もアメリカが消費・輸入過剰、アジアが消費過小・輸出過剰というグローバル・インバランスは続き、バブル再現の危機は続いている。」

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2011年12月29日 (木)

雑誌「月刊地域医学」地域医療振興協会2011年10月号を読む

地域医療振興協会から無料で配布されているが、内実は自治医大出身者の親睦雑誌みたいなので医局では誰も読まないのだが、僕だけは丁寧にその内容を追っている。巻頭のインタビューにはいつも学ばされることが多い。

10月号は有名な松村理司医師(いまは洛和会音羽病院―僕には経営第一主義の病院の典型というイメージがあるのだが―)に山田隆司医師がインタビューしている。

○は恣意的引用、*は僕の感想である。

○中小病院でうまくいく場合は内科系の病院総合医と専門医がともによく頑張る場合。

うまくいかない場合は、専門医が仕事を総合医に任せて手を抜く場合。たとえば手術前の諸検査や中心静脈カテーテルなどの処置を総合医にさせて、自分は手術だけしようとするのですね。

専門医が9時ー5時ですっと帰り、総合医は毎日どたばたしながら夜の9時、10時まで仕事を続けるというのでは握手がしにくい。

○北里大学の竹本毅(「考える技術」の訳者である若い医師)が最近面白いことを書いている。

「検査よりすぐに手術が必要なのに、診断にこだわって総合医に精密検査の続行を要求する。その結果患者を死なせる。その一方で紹介が遅いと総合医をなじる。早く紹介すると『当科的には問題なし』と突っ返す。こういう専門医が最大の問題だ」

○そういう専門医は大学病院、大病院に発生しやすい。大学病院や大病院でしか役に立たないように養成されている。

○「立ち去り型サボタージュ」と騒いでいるのも、大学病院でしか働けないように養成された人が地域に出て、そこのニーズからくるストレスに耐えかねて去っているのも相当含まれるのではないか。

○最初から地域で育てるとそれを防ぐことができる。

○日本の医療で一番危機的なのは僻地の診療所でなく、中小病院、特に自治体病院だ。診療所の家庭医を目指す人たちもそれを理解して、中小病院を担う気持ちを持ってほしい。

○プライマリ・ケア連合学会も診療所の研修を強調するより、中小病院の方に力を入れないといけない。

○うまくいっている200-300床の病院は、ひとりアトラクティブな人がいれば、総合診療が輝く。400床以上ではそれでは難しい。もっと集団的でないとだめだ。

○100床前後の病院ではたくさんの医師は集められないけど、プライマリ・ケアの原点を見せることはできる。

100床の病院に寄せられるニーズはたくさんある。

往診が好き、救急が好き、鑑別診断が好きというふうに、出来上がった総合医の個性はいろいろ形があるのだが、そういう要素のすべてが100床でも十分見せられるのだから努力次第だ。

○総合医の示しうるアウトカム(結果、業績)は資格や論文ではない。いつまでも患者が来てくれて、地域から感謝されることだ。

○還暦過ぎると多くの医師は管理職からも外れる。健診担当などジェネラルな方向へすそ野を広げないと働けなくなる。超高齢社会なのだから75歳くらいまでは働かなくてはならない。そうなると超専門だった人もジェネラルでしかやっていけなくなる。ジェネラルマインドはなるべく早目に磨いておかなければならない。

○自治医大卒業生は、義務年限9年間の中で地域医療、総合医について価値を見いだせずマイナスのイメージのまま年限終了することも多い。そういう人たちをどうすればいいのかが悩みだ。

○明るいところからは暗いところがよく見えないのは仕方がないかもしれない。しかし、病歴と身体診察だけで相当なことができる、安易に検査に頼らないという手作りの医療の面白さはいつも変わらない。

*全体に共感することが多く特に異論めいた感想はないが、最後の○のところだけは脱力してしまった。これは結論ではありえない。

総合医を切実に必要とする大きな転換点にさしかかっている医療と社会の情勢が、松村先生には十分に理解されていないのかもしれないと思わせるところがある。だから、経営拡張著しい有名民間大病院の院長をしているのだろうけど。

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