2012年5月25日 (金)

楽しみにしている3冊の本

アマルティア・セン「正義のアイデア」、ジョン・ロールズ「正義論」という大冊を読み終えて、あとは何度も挑戦しては失敗しているカール・マルクス「資本論第3巻」しか残っていないか、と思うと、つくづく気が重くなって、ずいぶん自分が不幸に思えるのだった。

そのとき、面白そうな本が3冊目についた。

聴涛 弘「マルクス主義と福祉国家」大月書店

カール・ポランニー「市場社会と人間の自由」ン若森みどり編訳 大月書店

大友弘巳 「生協の持続的発展を願って」あけび書房

ここ当分はこれで気がまぎれそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月24日 (木)

私たちの唱える新しい福祉国家は、協同組合によって資本を規制することによって作り替えた国家であり、決して幻想ではない

今日、ふと気付いたことである。

これまでのマルクス主義は、資本主義のもとで福祉国家に到達することは幻想にすぎないとしていた。「厚生経済学」という学問がそのまやかしを振りまいていると考えてきた。

しかし、現代は資本主義のもとでの福祉国家を切望している。それは不可能ではないと考えるのが普通になっている。

マルクス主義はどこで間違ったのか?

その答えは、柄谷の唱える経済社会構成体の土台の枠組みを変えてみるという考えのなかにあるのだろう。

これまでは生産関係を土台にし、国家を上部構造と考えてきた。これでは、生産関係は資本主義のままなのに、国家だけが福祉国家に変わるなんて幻想に過ぎないという結論になるのは当然である。

しかし、柄谷の言うように、土台を生産物の交換関係だとすれば、資本と国家と【ネーション⇒協同組合】が同一平面上でそれぞれ相対的に独立している土台のコンポーネントになる。協同組合の影響力で国家が福祉国家に変わるのは、資本の影響力を排除すれば、資本主義が土台面に残っていても可能である。

私たちの唱える新しい福祉国家は、このように協同組合によって、資本が規制され、作り替えられた国家である。資本主義がなくならなければ成立しないものでは決してない。

だが、資本と国家が残る限り新たな戦争の可能性はいつまでも残り続ける。それが解決するのは、資本主義にかわる社会主義であり、世界共和国であり、協同組合社会である。

では、生産関係という土台と、交換関係で作る土台の関係はどうなているのだろうか。

それはよくわからないのだが、折衷的にいえば、生産力ー生産関係―交換関係は、必ずしも「生産力の上に生産関係が立ち、そのうえに交換関係がある」という重層的な関係の土台(それなら生産関係土台論と変わらない)になってはおらず、人間の生活のように渾然と溶けあって存在しており、観察者が一つの視点を選ぶとき一つが浮き上がって見えるのだということになるだろう。

*レーニンの「労働者保険綱領」1912は社会保障の諸要求の原因を払われるべくして払われなかった賃金に求めているから、社会保障を資本主義の枠内のものだと考えていたことは明白だろう。

**「ゴータ綱領批判」におけるマルクスは、社会保障に必要な労働生産物部分は各自への分配の前にあらかじめ全体のために控除されるとしている。これは生産手段が社会化された社会主義後のこととして当然である。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012年5月23日 (水)

医療安全チームSTEPPSの教材について:日本語字幕の作成・・・SBAR,CUSの実例

全日本民医連の医療安全委員長をしている東京健生病院の根岸先生から、彼が作成中のチームSTEPPSの教材の資料を貰った。

英語のドラマ仕立ての動画に、根岸先生自身が字幕を付けているものである。

ところがUSBで貰った資料の再生が僕の使うボロパソコンでは難しく、字幕部分が上手く並べられない。結局、動画を繰り返し見て英語の台詞を聴きこんで、何とか再現したのだが相当時間がかかった。

根岸先生自身が同じことやってしまえば、数分でできるものを3時間くらいはかけてしまった。

そういう労作なので、本来は他人の作物とは承知しながら、自分のブログにアップすることにした。

根岸先生から抗議が来れば取り消す予定である。

患者 エディ・トーマス ERをよく受診する患者。 息切れ、足関節周囲の腫れ、下顎の痛みを訴えている。 「胸に象が座っているような感じ」 ハル・アダムス(正看護師)がいつもとは違うエディの様子に気づいた。

月曜 午後 3時15分

ハル: ルシンダ、スミス先生を呼んでくるまで手伝ってくれないか。エディが新しい胸痛を訴えているんだ。 血圧は90/60、脈拍は110、顔面蒼白で冷や汗をかいている。 ペグが酸素を開始して12誘導をとっている。 心筋梗塞だと思う。モニターを付けて点滴を開始しておいてくれ。スミス先生を呼んで2分で戻る.

ルシンダ: かわいそうなエディ。他に痛みはないの?

ハル: ないよ。少し彼に聞いてみてくれ。

月曜午後3時25分

ハル: スミス先生、6号室のエディ・トーマスですが・・・・。

スミス医師: ちょっと待って 電話だ。

ハル: エディ・トーマス、56歳男性でうっ血性心不全で何度も来院されています。 スミス医師: (電話を続ける)ラシックスを40mg静注して酸素開始。それをやったらすぐに診察に行く。部屋を開けておいてくれ。

ハル:スミス先生、心配なんです!

スミス医師:後で電話する。 それでハルどうしたんだ

ハル: エディはいつもの心不全ではありません。胸骨後面から下顎にかけての締め付けられるような感じがあり、蒼白で冷や汗をかいています。血圧は90/65、脈拍は110です。 酸素を開始して12誘導をとっています。私は心筋梗塞と考えます。すぐに診察していただけますか?

スミス医師君の言うとおりだとすると心筋梗塞だな。すぐに行こう。8号室だったかな?OK6号室か。よし行こう。

月曜3時45分

ペグ: 心電図です。 スミス医師:ふむ。急性心筋梗塞だね。 よし、みんな集まってくれ。 これから行うことを確認しよう

スミス医師: カテ室への入室準備を急ごう。

ハル: 確認します。

スミス医師: よし、とりかかろう。

カレン: 酸素4Lを鼻カニューラで開始、小児用アスピリンを2錠投与しました。血圧が低いのでニトログリセンの使用は控えています。モニターに装着しました。

スミス医師: いい判断だ。ニトロは待機。血液データの結果は?

カレン: 現在測定中です。15分で結果が出ます。

スミス医師:患者に)胸痛があるそうだね。 この痛みはいつもの心不全とは違う よ。 心臓発作だと思う。これから多くのことを行うけれど、後で必ず説明するからね。

月曜午後4時30分

ハル: 胸のレントゲンです。それから心カテチームからあと5分で入室可能と連絡がありました。3番にマーチン先生から電話です。

スミス医師:(患者に)また後で。

スミス医師:やぁボブ。

マーチン医師: ハイ、ボス。僕にダイエットをさせるつもりかい? 食事しようとする度にERから新たな患者だ。

スミス医師: いや、君に忙しく働いてもらっているだけだよ。今回はハルが見つけた患者なんだ。

マーチン医師:それで?

スミス医師: 患者はエディ・トーマス、56歳男性、ウイルス性心筋症の既往があり、うっ血性心不全で何度も来院している。痛みの性状は「引き裂かれるような」痛みで、今日、前壁の急性心筋梗塞を発症し早期の心源性ショックを呈している。

今回と以前の心電図は用意してある。

既往にはウイルス性心筋症があるが冠動脈疾患はない。大動脈解離はないと思う。

アスピリンとヘパリンを投与しインテグリリンを開始した。血圧が低いのでβブロッカーとニトロは待機、血液データは結果待ちだ。

マーチン医師:Ok ボス。 頻回の心不全の既往のある患者の新しい胸痛、心電図では前壁の急性心筋梗塞の所見、アスピリン投与済みでニトロは待機、検査結果待ちだね。 あとはこちらで引き受ける。

月曜6時45分

スミス医師: ハル、今日はよかったよ。 コミュニケーションは正確ですぐに必要な治療に結びつけることができた。 グッジョブ!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以下は振り返りのため、各シーンをもう一度分析的にみることになる。

◎どこが良かったでしょうか?

① Hand Off  アメフト用語で「ボールを渡す」には

*CUS

Concerned  気になる ,

Uncomfortable  ちょっと変,

Safety 大丈夫 

のどの段階の問題だと思っているのかをはっきり表現する方法)

(ハルが「先生、気になるんです!!」と叫ぶ場面参照)や

*SBAR    

Situation 状況 (患者の状態)  

Background 背景 (臨床経過)   

Assessment 評価(何が問題か)   

Recommendation 提言(どうしたいのか)

を組み合わせて報告するとよい。

ハル: スミス先生、6号室のエディ・トーマスですが・・・・。

スミス医師:ちょっと待って。

ハル: エディ・トーマス、56歳男性でうっ血性心不全で何度も来院されています。

スミス医師: (電話)ラシックスを40mg静注して酸素開始。それをやったらすぐに診察に行く。部屋を開けておいてくれ。

ハル:スミス先生、心配なんです!スミス医師:後で電話する。それでハルどうしたんだ 。

ハル: エディはいつもの心不全ではありません。胸骨後面から下顎にかけての締め付けられるような感じがあり、蒼白で冷や汗をかいています。血圧は90/65、脈拍は110です。酸素を開始して12誘導をとっています。私は心筋梗塞と考えます。すぐに診察していただけますか?

スミス医師: 君の言うとおりだとすると心筋梗塞だな。すぐに行こう。8号室だったかな? OK 6号室か。よし行こう。

② Huddle 集まって議論する

ペグ: 心電図です。

スミス医師: ふむ。急性心筋梗塞だね。 よし、みんな集まってくれ。 これから行うことを確認しよう

カレン: 酸素4Lを鼻カニューラで開始、小児用アスピリンを2錠投与しました。血圧が低いのでニトログリセンの使用は控えています。モニターに装着しました。

スミス医師: いい判断だ。ニトロは待機。血液データの結果は? カレン:現在測定中です。15分で結果が出ます。

スミス医師:カテ室への入室準備を急ごう。

ハル: 確認します。

スミス医師: よし、とりかかろう。

エスミス医師:(患者に)エディ、胸痛があるそうだね。 この痛みはいつもの心不全とは違うよ。 心臓発作だと思う。これから多くのことを行うけれど、後で必ず説明するからね。

③ Hand Off   (ボールを渡す) “I PASS THE BATON  バトンを渡したよ“

ハル: 胸のレントゲンです。それから心カテチームからあと5分で入室可能と連絡がありました。3番にマーチン先生から電話です。

スミス医師: また後で。

マーチン医師:僕にダイエットをさせるつもりかい? 食事しようとする度にERから新たな患者だ。

スミス医師: いや、君に忙しく働いてもらっているだけだよ。今回はハルが見つけた患者なんだ。

マーチン医師: それで?

スミス医師: 痛みの性状は「引き裂かれるような」痛みで、既往にはウイルス性心筋症があるが冠動脈疾患はない。大動脈解離はないと思う。 アスピリンとヘパリンを投与しインテグリリンを開始した。血圧が低いのでβブロッカーとニトロは待機、血液データは結果待ちだ。 スミス医師: 私はもうすぐ勤務終了なので、何か聞きたいことがあったらハルに聞いて欲しい。

マーチン医師: 頻回の心不全の既往のある患者の新しい胸痛、心電図では前壁の急性心筋梗塞の所見、アスピリン投与済みでニトロは待機、検査結果待ちだね。 あとはこちらで引き受ける。

④ Positive Feedback  褒める

スミス医師:ハル、今日はよかったよ。 コミュニケーションは正確ですぐに必要な治療に結びつけることができた。 グッジョブ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

スペイン映画 Biutiful・・・現代に現れたイエスの話

バルセロナのスラム。

違法行為で稼ぐしかない極貧生活を送りながら、躾もきちんとして子供二人を育てていた40歳くらいの男。

前立腺癌で余命2ヶ月と診断されて死亡するまでの、絶望的な善意を尽くした日々を追った映画。

化学療法、血尿、紙オムツを当てた姿などがリアルに描かれる。

アフリカ人や中国人の不法移民の生活とも密接に関わっている。

全編暗く悲しいが、この男の臨終のシーンを立体的に描く映画的な工夫もいくつかあって、150分近い長い映画がほとんど飽きさせるところがない。

監督は黒澤明に私淑しているようで、「生きる」にそっくりなシーンも出てくる。

いよいよ死が迫ると、二人の子供に石文のような石をそれぞれ渡して「大切にしろ」と言い含めるところは胸を衝かれるが、「おくりびと」にも似たような場面はあった。

この男が現代のマルクスであるわけはないが、現代に現れたイエスであるという解釈は許されそうだ。

(堀田善衛の解説するゴヤの絵の中にも、処刑される人々を守ろうとして手を広げる大男の掌に釘の跡があり、明らかに彼がイエスとされているものがある。スペインではそのような物語を作る伝統があるのかもしれない)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月20日 (日)

国立新美術館「エルミタージュ美術館展」

2泊3日の会議出張の帰りに寄ってみた。
こんな鑑賞は絶対に損。いくら時間をかけても惜しくない絵が運ばれてきているのに、主として音声ガイドに沿って1時間で会場を一回りしてもう空港に行かなくてはならない。

ただ、家に帰って作品名一覧をながめているとほとんど全ての絵を思い出す。美術館に行くのはどんなに短時間でも決して無駄ではない。

こんな常識的なことを書くのは年取ったせいだろうね。

*オーラス・ヴェルネが死んだ娘を想って書いた「死の天使」に胸を衝かれる。

*麻薬モルヒネは眠りの神モルフェウスから名付けられたというのは初めて知った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月18日 (金)

健康の社会的決定要因SDH の日常診療への活用

まず、目の前の患者さんがなぜ病気にかかったかの大きな背景を捉える枠組みとして有効である。

次に、この患者さんが、病気を治す、あるいは病気と共存して生活していく、あるいは可能な限り穏やかで充実した終末期を過ごすうえでの資源を探すうえに役立つ。

死に臨んだこの人をこの世界につなぎとめている健康さというものは何かが推測できるからである。

前者は、健康の剥奪要因、後者は健康増進要因の意味合いである。どちらにしても同じ要因の不利の克服と、積極的部分の活用の2側面がある。

どちらかと言えば、後者の方が役立つような気がする。

マクロな一国や地域の人口全体の健康へのアプローチにおいても、ミクロな個人診療においても、双方を一つの視点で貫いて指針とできる点がSDHの画期的な特長だろう。

もちろん具体的な用い方は、一方は国や地方の政策全体のアセスメントや立案、片方はケア方針の方向付けと相当違うことは当然である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

井上章一「日本に古代はあったのか」角川選書2008年

不破さんが、鎌倉幕府から徳川幕府成立までの400年にわたる封建革命の存在を何度も言及している話は先日もここで書いた。

それは革命の長さを示唆するもので、封建革命の実在自体を専門家でもない不破さんが証明するというものではなかった。

封建革命というものの実在はどうなのだろう。それに関連しているのがこの本である。

「むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをおもしろく おもしろいことをまじめに まじめなことをゆかいに ゆかいなことをいっそうゆかいに」という点では井上ひさしの後継者と言える井上章一氏が、一応真面目に書いたものである。

これまでの日本の歴史の叙述は、鎌倉幕府の勃興(くわえて江戸幕府の成立、明治の東京遷都)を特に強調して、軟弱な京都の影響を脱して関東が剛健な政権を打ち立てたのが日本社会の進歩だという架空の物語を謳う「関東史観」によって極度に歪められていることを、畿内人らしいねちっこさで述べ続けている。

あまりの繰り返しの多さに閉口するが、とても面白い。

日本の歴史は世界の歴史に連動している。

世界史は、漢帝国とローマ帝国までが古代で、中世はその後の分散した状態である。封建主義はその別名でもある。

日本の古代と呼ばれている飛鳥・奈良・平安時代は実は古代ではない。この時点ですでに漢帝国崩壊後を反映した中世だった。

だから、日本史には古代はなく、中世から始まっている。

それは別に珍しいことではなく、大帝国周辺の氏族社会、すなわちゲルマン諸族や日本はその一例である。

したがって、鎌倉幕府成立は、古代から中世を画す大事件などではないし、公家と武家の間にそれほどの差はない。武家を尊ぶことこそ、「関東史観」イデオロギーの中核である。

では、中世はいつから近代(その前半が近世)になったかというと、中国では10世紀の宋、ヨーロッパでは15世紀のルネサンス、日本では室町時代15世紀の応仁の乱である。それ以降の日本人の生活パターンは基本的に変わっていない。近世の特徴は商業の興隆、貨幣経済の発達、多民族を束ねる帝国とは反対の国民国家に向かう傾向の始まりである。

井上氏は明確に書いてはいないが、理屈としては、江戸幕府の成立は封建主義の完成でもなく、近世の一層の深まりである。それは資本主義の母胎となりながら自然に明治に続いて行く。

世界史と日本史をリンクさせて考える、大帝国の中心部と周辺部の関連と区別を明確にするなど、基本的姿勢には共感する。

この意見を採用すれば、不破さんのいう封建革命は、不破さんがとらわれている東京中心史観によるものであり、考え直した方が良いということになる。

近世を準備し、進める一連の革命的事件というべきだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月17日 (木)

自分のブログを読み返す

鶴見俊輔、上野千鶴子、小熊英ニの鼎談について自分が書いたブログ記事をふと読み返して、強調して抜き書きしておこうと思うことがあった。

*9条の会に先行するものは組織理念的には「ベ平連」である。その理念は日本の市民社会の財産になっている。

**語られない戦争体験を光源にして人間を照らし出すという小熊の「民主と愛国」の方法はさらに深められなければならない。

***加藤周一の「雑種文化」論がポストコロニアル・スタディの一種であるとすれば、 そこには明らかに欠けているものがある。日本が宗主国となった朝鮮と台湾におけるポストコロニアル状況への目配りである。

現在、韓国、台湾に行われている言語は、やはり日本語と現地語のクレオールではないか。
韓国語を学ぼうとして、多くの術語が共通しているから楽だという発言など、極めて能天気だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月16日 (水)

嘱託産業医として心がけていること・・・Fish!哲学の導入などでなく本当に大切なこと

午前と午後の外来診療の間の短い時間に、いつもなら病棟の回診をするのだが、今日は後期研修医と一緒に、嘱託産業医をしている水産物加工工場の巡視に出かけた。

もう熱中症が警戒される季節なので、今日は熱中症度計ともいうべきWBGT計を持参して、工場内のあちこちの作業場の記録を取った。今は、穴子の蒲焼の時期で、焼き場は炎が上がっている。それでも、まだ特に危険域というところはない。

そのように物理的環境に気を配るのは当然だが、職場の健康を決めるのはそういうものではもはやないだろう。

職場の健康を決定するのは、雇用の安定、作業の自己裁量度、周囲の援助などである。これを職場の健康の原因、健康因と呼んでおこう。

Fish!哲学と称してもてはやされている、従業員同士の気づかいを可視化し、おたがい褒め合うという試みがある。しかし、雇用側の価値観の押しつけに終わって、ソフトな成果主義になっていることが多く、上記の健康因を阻害しむしろ職場の健康を悪化させるだろうことが推測される。

そこで、最近は職場巡視の中で、職場の雰囲気、働きやすいかどうか、従業員同士の人間関係の観察に重点を置いている。

ただ短い職場巡視の中では、そんなことを観察するのは容易ではない。Fish!導入云々以前の状態で、みなさん黙々と作業しているだけである。

病院のように人間を相手にする仕事ではないので、基本的には私語は禁止されている。コミュニケーションはなくても安全に作業できることがむしろ工夫されている。おそらく、日本の中小企業の多くではこのように、わが身に置き換えると耐えられないような索莫とした労働風景が広がっているのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月15日 (火)

藤沼康樹編「新・総合診療医学  家庭医療学編」カイ書林2012 ・・・40ページ「患者中心の医療の方法」藤沼康樹・・・「健康の社会的決定要因」=社会的剥奪要因=社会的健康創造要因

いま、その本が手元にないので正確なことが言えないのだが、カナダの西オンタリオ大学のモイラ・スチュアートMoira Stewartという女性が編集した「 Patient centered medicine(患者中心の医療)」という本に夢中になって持ち歩き続け、ついに本がほどけてボロボロになったので、出入りの業者さんに頼んで一冊だけの再製本までしてもらったことがある。あまり勉強しないので、そんなことをした本は他にはないのである。

(札幌医大の山本和利という人が日本語訳を出しているが、英語で読んだ方がよい。)

数年前まで地元の大学の総合診療部から頼まれて医学部学生の半日の学外実習を6年間くらい続けて引き受けていた。

そのときは、短い時間の中でも「患者中心の医療」の考え方を伝えようと努めたのでいつもそれを手元に置いていた。

教授が変わったことを契機に学外実習を頼まれなくなって、最近は開くこともなくなっていたのだが、今日、上記の新刊本を読むと、編者の藤沼康樹氏が「患者中心の医療」について書いていることが実に新鮮だった。

あんなに時間をかけて読んだのに、自分はいったい何を理解していたのか、という気持ちもした。

患者中心の医療は六つの構成要素(コンポーネント)によって構造化されている。

すなわち

1 医学的に診断される「疾患」と、患者の「病い体験」の双方を明らかにする。

2 患者を全人的にとらえる。

3 共通の基盤を見つける(作る)。

4 予防と健康増進を診療と同時に行う。

5 患者ー医師関係を強化する。

6 現実的になる。

である。

学生に教えようとして、実はこの六つを同列に並べることは難しくて、結局、1の「疾患と病い体験の双方を捉える」ことに集中していた。うまくいくと、2 「患者を全人的にとらえる」について触れることもできた。

実は、結局この二つが重要だと自分でも思っていた。4の健康増進など、なぜわざわざ言うのだろう、という気がしていたくらいである。

しかし藤沼氏は、「患者中心の医療」のコアは3の「共通基盤の形成」にあるという。それが全体の目標であり、そのために、1,2、4、5、6があるのだというのである。

これは、驚きだった。これまではそういう構造を考えてもみなかったのだ。

まさにその通りだ。民医連が、「医療は患者と医療従事者の共同の営み」と定義することとぴったり重なるのもこの部分であり、この項目をコアにすることは当然なのである。

4の「健康増進」についても、患者が持っている健康的な側面と、それを支えているいわば「健康因」(「病因」に対する言葉)を見つけて強化することが、たとえば治らない病気で病気と共存するしかない患者をどれだけ健康にするか、と述べている。全く退屈ではないコンポーネントだったのである。

というわけで、日本語のこの新しい本も只者ではないので、会う人ごとに勧めようと思っている次第である。

*その後、以下のようなことに気付いた。

人間は理論上の自然状態でも(「=なにがなくても」)健康を失うように方向づけられている存在かもしれない。

さらに実際の環境の中ではさまざまな健康の剥奪要因にさらされて確実に健康を失う。

しかし、それと同時に、反対方向に健康を創造する能力を持っているので、二つの力が平衡して何とか日々の生存を維持し、さらには将来に向かって前進している。

民医連の方針になっている「健康権」も「健康の剥奪要因」にさらされないことを保障されるという防御の権利ではなく、健康を創造する要因を獲得するという能動的権利でなくてはならない

そのとき、WHOが提唱している「健康の社会的決定要因に基づく行動」は、それが論じている「社会的」という次元において、剥奪要因を見極めることそのものが創造要因を発見することだと鮮やかに表現して見せたので衝撃的だったのだ。

子ども時代の援助不足や貧困や失業などの剥奪要因が奪うことの本質は、人間の「自律・社会参加・社会からの支援」であり、それこそが健康の創造要因=「健康因」だった

すなわち、健康の社会的剥奪要因が剥奪しているものこそ、健康創造要因だったのである。・・・まぁ至極当然のことなのではあるが、改めて気づくと驚くのである。

アマルティア・センはそれを「ケイパビリティ」と表現した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«東日本大震災被災地を見てレベッカ・ソルニットは何を語ったか・・・雑誌「atプラス12」太田出版2012年5月